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「課長を諦めて、結婚して…家庭に入るかそのまま主任として働くのも自由だ。そこそこ幸せになれる。それなら俺は、彩香と結婚する。」
それを聞くと泣きながらクスッと笑う。
「さっき……気持ちは冷めたと言ったのに?」
彩香の声が冷静な声に変わった。
「ああ…。それでも愛していたから、彩香の望む通りにしたい。」
「愛していた?…………愛してないわ。あの女を愛してた。あなたはずっと…。いつ取られるかって思ってた。結局…取られたわね。子供産んでいれば…取られずに済んだのかしら?」
「君は産まないよ?出世を選んだだろうね?」
「いいわ…別れる。変な噂が立つと困るわ。どっちも捨てたあなただもの。どっちも残らなかった……それでいいわ。置き土産…よろしくね?」
「……さよなら。誠一…。」
今もあの時の彩香の言葉は覚えている。
あれほどヒステリックに興奮していた彩香が、別れを言っているのに泣きもせず淡々と別れの言葉を口にした。
噂が流れた時点で、いつまでもこのままでいたら自分も危ないと、引き際だと考えていたのかもしれない。
あれほど愛した人との恋が呆気なく終わった。
だけど人を利用してまで騙してまで続けようとした恋など、その程度なのかもしれないとも思えた。
そして不思議なほど、重かった手足が軽くなった気がした。
ーー「安藤彩香を愛している」
その言葉を……もう、心の中で………唱えなくていい。
寂しさと悲しさと同時に安堵した。
***
「ひどい男だな。全く…だからこんな風になる。」
戯けた顔を横に向けると、怒った様に机を上にあげられた。
「馬鹿言うな。世の中の病気の人に悪いと思わない?堪えられる人にしか試練は与えないんだってさ!父さんはこの試練に勝って母さんの側にいなきゃ…。ひどい男だと思うなら、痛くても苦しくても我慢して母さんと一緒に生きるんだよ。」
優一の目から大粒の涙が溢れて、背中のクッションを取り、ゆっくりと横にされる。
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