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幼少期のつらい経験をしながらも祖母とふたりと慎ましく生活していた響子だったが、周囲は次第に好機の目を彼女へ向けるようになり、小学校を卒業して中学生にあがる頃には腫れ物のように扱いはじめた。
それまで親しくしていた友人や近所の大人たちが、男に襲われたのを境に急によそよそしくなったのだ。
さらに不条理でさえあったのは、本来被害者であるはずの響子が犯人の男を誘惑したのではないかと、まことしやかに噂されていたことだった。
――まだほんの子供のくせによくやるわ。
――男の人の愛に飢えてたんじゃないの? ほら、父親がいないから。
響子に面と向かってそんな話をする人こそいなかったものの、犯人が不審死を遂げたことも手伝って、噂の尾ひれはそのように次々とつけ加えられていった。
田舎の、それも閉ざされがちな集団である。心ないデマと偏見は、コミュニティをぐるぐるとまわり続けるばかりで収束の兆しをみせず、家事と学業、そして祖母の看病に追われる十代の多感な少女の心を打ちのめした。
振り返ってみれば、噂の出所は年齢を問わず女性を中心に広がっていたようにも思えた。その理由として、響子の美しさがまったく無関係だとは考えにくかった。
歳を重ねるにつれ、響子は蕾がほころぶような美しさをそなえはじめていた。彼女のその容姿は周囲の羨望を集めるようになったものの、同時に密かな敵意や悪意を向けられるようにもなっていたのだ。
顔では友好的な笑みを向けながら、その下にトゲで刺してくるような情動がひた隠しにされている。いつしか響子はそのわずかな機微を感じ取れるようになり、人目を避けようとする内向的な性格はますます強まっていった。
十代後半になってからも、響子の苦しみに満ちた日々は続いた。原因はやはり、その美しさにあった。
響子自身、自分にそんな魅力があるとは到底思えなかった。だが本人の思いとは裏腹に、周囲の人間は男女問わず彼女を無視できなかったのだ。
共学だった高校時代では、男子が響子をちやほやしていたばかりに女子からの反感を買ってしまった。響子に対する敵意は、やがていじめとしてあらわれた。
物を隠され、脅迫まがいの手紙を送られた。冬の寒い日にトイレの個室に閉じ込められ、水を浴びせかけられたこともあった。
いじめの手口は巧妙で、相手はけして響子の前に姿を見せなかった。正体さえつかめればまだ対策の余地もあったのだろうが、彼女……あるいは彼女たち、あるいは彼女たちと彼ら……が誰だったのかわからないまま、響子はじっと堪えるように高校の三年間を送らなければならなかった。
大学に進学した響子は高校生活での反動からか、今度はできるだけ希薄な人間関係を築くことに心を砕いた。この頃から、彼女は孤独という概念を強く意識するようになっていた。
誰とも深く関わらず、しかし孤独になりすぎてもいけない。響子はそのことを念頭に常になにかしらの集団の一員に属しながらも、目立たない人物でいられるよう注意を払った。周囲から浮いても集団から孤立しても、恰好の標的になりやすいことを知っていたからだ。
女子グループの端っこにいる目立たない女の子。それが響子の目指した理想的なポジションだった。
いつしか響子は孤独を受け入れることに対して憧れと恐怖を抱き、その狭間をうろついていた。
だがそんな綱渡りのような日々を送っていた響子は、またしても周囲から孤立させられていった。大学の長い夏休みが明けてから、それまで仲良くしていた知り合いが急によそよそしくなったのだ。
不審に思った響子は、同じゼミの女生徒に事情を訊いてみた。
普段は大人しかった彼女の熱意に押され、やがて女生徒がしぶしぶととある噂話を語りはじめた。
その噂は、菰田響子はひと夏のあいだに男をとっかえひっかえしているというものだった。おまけに、その相手は恋人がいようと大学の教授だろうとおかまいなしだというのだ。
響子はこの話に開いた口がふさがらなかった。当然、そんなことは本人の身に覚えのない事実無根のことだったからだ。それどころか彼女はそれまで男性と付き合ったことはおろか、手をつないだことさえなかった。
だが響子がその根も葉もない噂話に行きついたときにはすでに手遅れだった。大学のそこここで学友から向けられる含みのある視線がそのことを物語っていた。
いたるところに蔓延していたこの醜聞を、もはや個人で消し去ることはできない。そのことは、遠く離れた故郷ですでに経験済みだった。ここでも彼女は、不特定多数の悪意から苦しめられていた。
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