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落日の眩耀
眩いばかりの落日が、枯れ葉を透かしながら山々に漆黒の訪れを告げている。
この峠に、どのような経路で辿り着いたかなどはどうでも良いことだ。ただ遠い昔、子供の頃から脳裏に焼き付けられていたのであろう、初めて見る景色ではない。
私は急いでいた。このままでは日があるうちには帰れないと解っているのだが、とにかく急いだ。山道には枯れ葉が積もり、踏みつける度にガシャグシャと音をたてる。場所によっては、膝近くまで埋まるほど落ち葉が積もっている箇所があるために、急いではいるものの歩みは慎重でやけに重い。気を付けなければ、底に貯まった水気のある枯れ葉に足をとられ滑りそうだ。
暫く下って行くと右手に大きな白樺があり、それを過ぎると脇道があった。その入り口には地蔵が立っている。風と雨水にやられたのか、顔付きがやけにいびつな地蔵である。
木々の間から差し込む夕陽に照らされた地蔵の影は、脇道に沿って長く伸びている。それに導かれるように無意識に、私は道を逸れていった。
手入れされたその道には落ち葉が無く、ゆったりと右にくねる小道を行った先には、一軒の平屋の家が建っている。平屋の裏は崖なのだろう、西陽に照らされた雲がオレンジ色に耀き、遠くの山々迄見渡せる。山に映る陽は徐々に暗闇に支配され、その上空に星々がうっすらと姿を現すと不意に不安感が押し寄せて、来た道を振り返る。
振り返った先には、逆光を背中に浴びたスラッとした女が立っている。陽が眩しくて女の顔が認知できず、手のひらで光を遮りながら細目で目を凝らす。わずかに唇が動いているのがわかる、なにか私に話し掛けている様子だ。
更に目を凝らした次の瞬間、女の姿が消え、人差し指と中指の間から西陽がもろに突き刺さる。瞬時に目を瞑ると、瞼には朱色の光の楕円。徐々に焦点が合ってくると、それがデジタル時計の時間を表示していると気付く。
……5:25……
そして静かに目覚めたのだと理解する。
そんな夢を一週間も見ているのだ……
何度も同じ夢を見ているうちに、私には願望が芽生え始めていた。疑問も生じたがそれは大したことではなかった。自身の中で解決はされている……
夢冒頭のあの景観、見覚えがある。確かに以前から記憶している風景だ。そうだ、あれはこどもの頃に遊んだ裏山。冬になると、険しく細い山道は枯れ葉で埋め尽くされ、道の窪みに貯まった枯れ葉の中に飛び込んで遊んだ記憶がある。
小一時間程かけて登って行くと山の頂きに着く。
逢魔が時、そこから見える海に沈む夕日が、こどもながらに素晴らしく思えたものだ。多分デフォルメされたその景色が夢に出てくるのであろう。だが、裏山には地蔵はないし民家などなかった……白樺が自生する環境でもない。しかし、それこそが夢の夢たる証し。全ては脳の記憶がクロスオーバーして創られた世界なのだろうと納得はできる。安易ではあるが疑問は解決された。
願望というのは、あの平屋の家には何があるのか見てみたい。そしてあの女性は、私に何を話したのかはっきり聞いてみたいというものだ。その願望を意識して夢に挑むのだが、白樺を越した頃には、いつもすっかり忘れてしまっていた……。
今夜こそ、夢を進ませなければならぬ……
謎が解けさえすれば、こんな夢は見なくてすむはずだ。
落日の山道、見た夢の足跡を辿るかのようにゆっくり進む。一本の白樺、ここからだ。右掌の甲をつねりながら、次のステージに向かう。地蔵が見えた。顔つきを確認する……歪んだ顔、よし。無意識ではなく、はっきりとした意識の中で手入れされた小道を進む。崖の手前に平屋が見えた、不安はない。
初めて平屋の玄関に辿り着く。ここからが新しいステージとなる。
綺麗だな……。
玄関ドア上部には、切り抜きの四角い枠にステンドグラスの細工が施され、室内の明かりが漏れている。
ガラス細工の赤い花。見たことはあるがなんという名前だったか思い出せない……というよりも、その花の名をしらぬ。
私はゆっくりとドアを開けた。
中に入るとそこには、床も壁も天井も全て漆喰で塗り尽くされた真っ白な、外観からは想像もできない程の『空間』が広がっていた。
透明感と奥行きのある光沢、これはイタリア漆喰、その中でもベネチアーノか……高級ホテルのロビーのようでもあり、美術館のようでもあった。
高い天井からは、無数の間接照明が様々な角度から空間全体を照らし、演出された自然な光は私の影さえ落とさない。
「白」の世界。
暫く見渡していると、背面からス~と風が入る気配を感じた。振り返ると黒い喪服を着たすらっとした女が、ステンドグラスのドアの前に立っている。
白の中に浮かび上がる黒衣の女。山道のあの女だとすぐに気がついた。また、なにかを話している。口だけが微かに動く。同じ言葉をゆっくりと、何度も繰り返している。
唇を読むと、「や め な さ い」……止めなさいと動いているのが解った。
「なんのことだ」と問いかけても反応がない、いや、私の声そのものが出ていない。
女のように唇だけが動いている。
音のない世界なのか……
女は遠い目をしていた。私を通り越した女の視線の先に目をやると、いつ現れたのか、奥の壁中央に大きな絵画が飾られており、その横に真っ黒なドアがある。
初めて見る絵ではない。絵画の下には作品の題名が記されている「決して来ない時」と書かれていた。そうだ、絵画展で見たことがある。確かフランスの画家だ……バルテュスと言ったか。
バルテュスの絵には少女が描かれた作品が多い。なぜ少女を描き続けるのかについて、「それがまだ手つかずで純粋なものだから」と答えたのが印象深く、記憶に残る。
「決して来ない時」
椅子に浅く腰掛けて、片足を投げ出し、上半身を反り返らせるような不自然なポーズで眠っている少女。その奥にいるもうひとりの少女は、大きな窓から遠くをただ見つめている。窓からうっすらと差し込む陽は、その絶妙な色彩により、観る角度で朝陽にも夕陽にも想起させる……それは、観る者のその時の感情により、左右されるのであろう。
私には、夕陽にみえた。
・・・・・
三河湾スカイラインを、一台のパトカーが疾走している。 時は正に落日を迎え、朱色に耀く太陽が、それぞれの万感の思いと共に、水平線にその身を浸そうとしていた。
「主任あれですね、少女殺しの犯人の車は」
サイレンをけたたましく鳴らしながら、パトカーが国坂峠の駐車場に入って行く。
フロントガラス越しには、犯人が、車から慌てて飛び出して行くのが見えた。犯人の車の後ろには、ぴたりと白いワゴン車が停まり、その運転手が後を追う。手には出刃包丁が握られていた。
「あれは確か……少女の父親です……」
「そこのふたり、止まりなさい!」
女性警官は声を張り上げながら走り寄る。
追っていた男の手が、犯人の肩を掴んだ。
「やめなさい!」
逆光を浴びた女性警官の姿を確認した男は、一瞬動きが止まったが、直ぐに刃を掴んだ手を犯人の頭上にかざした。
ドゴーン ゴーーー
銃声と共に、栖で微睡み始めた鳥たちが一斉に木々から飛び立つと、辺りは静寂に包まれた。
すぐさま男の警官が、犯人の身柄を確保し手錠をかける。撃たれたワゴン車の男は、ぐったりとその身を地面に横たえていた。その視線は、真っ直ぐ歩み寄る女性警官に向けられている。
傍に寄り、しゃがみこんで男の顔を確認すると、視線は変わらず彼女が来た方向に向けられていた。
振り返り、男の見つめる視線の先に目をやると、道路標識が立っている。
逆光の中、目を凝らす。
『県道 525号』とある。
標識の周りには、季節外れの真っ赤な彼岸花が、ゆらゆらと西風に揺れていた。
・・・・・
椅子に腰掛け微睡む少女。
窓の外を見つめているのは、その少女自身ではなかろうか……
「今」この瞬間、過ぎ去っていく時間は決して後戻りすることは出来ない。
逢魔が時、夢の中の少女には窓の外に何が見えたのか、「決して来ない時」を愁いでいるのか……
絵画を観ているうちに、なんだか視界がぼやけてきた。私は泣いているのか……
どういう訳だかこのまま、この絵をずっと観ていたくなった。
しかし、夢を終わらせねばならぬ。
黒いドア
多分これが、最後のステージなのであろう
これで終わりにしよう。
覚悟を決めドアを開ける……
落日に目が眩み、膝をついてしまった。
【終】
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