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いま志穂さんは僕と目を合わせない。
自信なさげに視線を泳がせる志穂さんを、初めて見る。
「お墓には行ったよ。」
僕は志穂さんの髪を撫でる。
「ハヤテ先生に聞いたわ。」
僕たちは何故、鏡越しに話をしているのだろう。
「時くん。わたしは酷いやり方で夫を裏切った。時くんのことも利用したわ。」
僕はチェアの背もたれを握る。
もう逃げないように。僕自身が。
利用した。
僕の利用価値とは何だろう。
酷い言葉だ。
僕にはまだ、利用価値はあるのだろうか。
「わたしは残酷で醜い。」
志穂さんの手は膝の上で握りしめられていた。
指が白くなるくらいに、きつく。
その全てが鏡に映っている。
左手の薬指の指輪も。
もしここが僕の部屋だったら。
ベッドの上だったら。
僕たちは抱き合ってくっついて、ひとつになる。
高まった欲望が上り詰めるみたいに、一瞬はひとつになれる。それはとても素敵だった。
ここは僕の職場で。
僕の馴染みの鏡たちが、僕たちの像を逃さない。
表に向けた顔も、横顔も、背中も、そのひとの全てを映しとる。
僕はベッドの中に逃げ込むわけにはいかないのだ。
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