第一章 爪の先の夏空

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 どうも野木くんは、人にあまり興味がないらしい。 「あんた寝過ぎで溶けないかって、まりもが心配そうだからさぁ」  わたし!?  いきなり話をふられてあわあわしてしまった。野木くんを見ていたことをかおちゃんに気付かれていたことも、それを野木くんに伝えられてしまったことも、ダブルで恥ずかしすぎる。  かぁっと顔に熱がのぼる。ダメなんだよ。すぐこうなるんだから。 「か、かおちゃぁん……」 「だってなんか見てるからさぁ」  言わないでお願い。  野木くんは相変わらずぽけっとしたまま、ゆっくりと今度は反対側へと首を傾げる。 「まりも……」 「片瀬まりもちゃーん。この子だよ」  かおちゃんがくるっとわたしの後ろに回って、両肩を抱いてくる。  真理乃、です。というか、それは、あの、昨日……。  言うわけにもいかず、何とか引きつった笑みを浮かべてみるくらいしか出来ない。笑みになってたかどうかは自信ないけれど。  さすがに、気づいた、だろうか。  不安と期待を交じり合わせながら野木くんを見たけれど、野木くんは変わらないそぶりのまま、ふーん、とだけ、言った。  ――すんっ、と、心のどこかに重しが乗っかる気配がする。  興味なし。そう言われた気がする。昨日のあれは、やっぱりきっと、幻だ。  野木くんはふわふわする髪を手で押さえつけながら、首を回して教室の時計をみた。 「……HR終わった?」 「割と前にねー」  かおちゃんが答えている。  なんだか、額縁の向こうの絵みたいに思えてくる。平凡な学校の、平凡な絵。でも、彩度がとても低くて、青が強い。 「あたしこれから部活ー。まりもは?」 「あ、え、か、かえる……」  昨日、綾乃にご飯を作らせてしまったから、今日はわたしがやらなきゃ。 「そかそか。んじゃ気を付けてね。また明日ね! 野木もばいばーい」  かおちゃんがぱたぱたと鞄を持って教室を出ていく。  ……き、きま、ずい……。  教室にまだ人はまばらにいるとはいえ、どうにも居心地が悪い。早く帰ろう。どうせ、昨日のあれは、野木くんの中ではなかったことになっているんだろうから。  あったことになっていたとしても、どうしたらいいのかなんて分からなかったんだし、ちょうどよかっただけじゃない。  机の中のノートと教科書をリュックに急いで詰め込んだ時、かたんと音がした。  とっさに顔を上げる。  野木くんが鞄を手に歩き出したところだった。ちょっとまるまった背中が、ゆらゆら揺れながら遠ざかっていく。  ……帰る、のかな。それとも。  考えたあたりで、ふるふると首を振った。関係ないことは、詮索しない。  そう、思ったのに。  首を軽く振った反動で、視界にそれが映ってしまった。  野木くんの机の上に残された、一本のマニキュア。 「……!?」  思わず息を呑む。  や、まってまってまって。さすがにまって!? これはあの、さすがにアレではないでしょうか!? っていうか、持ってたの? 昨日のは幻じゃなかったの? 野木くん本人なの? だとしたらなんで持ってきていたの。無防備にここに置いていていいものじゃなくないですか!?  ほぼパニックになりながら、とっさにわたしは立ち上がっていた。野木くんの机に駆け寄り、反射的にそれを手の中にしまい込む。  し、心臓が痛い。  誰にも気づかれてはいないらしい。そっと教室を見回しても、こっちを見ている人はいない。存在感なくてよかった。  野木くんはもう、見えなくなっていた。
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