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その指先は「バタイフライピー レモンシロップを添えて」と書いてある。ばたふらいぴー? ちょうちょ? 知らない飲み物だったけれど、ピー、という音がなんだかかわいい。
「ちょっとすっぱいから、そゆのが苦手じゃなければだけどねん」
「大丈夫です……あの、それで」
「はーい。パパー」
「聞こえてるよ」
パパ、と呼ばれたのはさっきの店主さんらしきおじさんだった。お父さん、だろうか。
……素敵。仲いいんだ。
店主さんは、入り口脇のカウンターを離れて、こっちに歩いてくる。
「えーと、真理乃ちゃん?」
「あ。はい。片瀬真理乃、です」
「うん、こないだ聞いた! ごめんね、聞きっぱなしで。あたし、大地美鈴。ゼンのいとこです。で、ここは父のお店」
「マスターの大地啓です。よろしくね」
ちょうど通りすがった店主さん――マスターさんがニコッと笑ってくださった。
そのまま、今度はこちら側の奥にあったカウンターへと入っていく。そっか。ここにもカウンターがあるんだ。
こっち側のカウンターは、木で出来ていた。テーブルや椅子と同じオールドウッドの色合いが優しい。カウンター周りにはいくつか写真が飾られてある。カウンターは、理科の器具のようなものから、きれいなグラスまでいろいろ並べられていた。
「あ、あの。すみません、急に来てしまって……」
「いやー、店としてはお客は来てほしいところだけどねぇ」
カウンターからくすくすと笑い声が飛んできた。美鈴さんも笑っている。
「てーかゼンの仕業なんでしょ? ごめんねー、変な子でさぁ」
「俺、別に変ではないけどなぁ」
そこは否定するところじゃない気がするんです。
「えーと、まり……」
野木くんが何かを言いかけて、むぐっと口をつぐんだ。……? なんだろう。
なぞの間のあと、ぱちんっと野木くんが手を打った。ぱぁっと、チークをつけた頬が笑みの形になる。
「まりもちゃん!」
なぜそれを。
「え……あの、え」
「ど失礼すぎん? ゼン」
「ちーがうんだって。そう呼ばれてたろ? 教室で」
「あ。はい……あの、と、ともだちが、そう呼びます」
かおちゃんだけだけれど。
「そうそう。それそれ。音がまるくってかわいいなぁって思っててさぁ、いま思い出した」
にこにこと、野木くんが笑う。あんなに、教室では興味なさそうだったのに。聞こえていたんだ。かおちゃんの声。わたしのあだ名。
「俺もまりもって呼んでいい?」
「ぅえっ?」
またしゃっくりが跳ね上がって転がってしまった。
「ゼン。ゼン。距離感。真理乃ちゃんドン引きアラモードしてる」
ドン引きアラモードってなんだろう。
野木くんはちぇっと唇を突き出してふくれっつらだ。
「だってかーわいくない? 音。まんまるってかんじでさぁ」
「あんたほんっとに可愛いの好きだね」
若干呆れたような美鈴さんに、ゼンくんは満面の笑みでうなずいた。
「うん!」
――ああ。風だ。今日のはすこし桜色づいているけれど、紛れもなく春の風。野木くんはきっと、そういう人なんだ。
きゅっと、親指を握り込む。つるつるとしたマニキュアの中に感じるざらついたラメ。かちっと爪を鳴らすと少しだけ心が落ち着く気がした。
「はい、お待たせしました。バタフライピー、レモンシロップを添えて」
その風を割るようにテーブルにグラスが置かれた。縦長のグラスには氷と、真っ青な液体。
え。なにこれ、飲み物?
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