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驚いて固まっている間に、もうひとつ、小さなガラスの器が隣に置かれた。
マスターさんはにこっと笑ってから、奥のカウンターへと引っ込む。
「ねっ、きれいでしょ」
美鈴さんが微笑む。屈託のない笑みは、どことなく眩しくてくすぐったい。
グラスにそっと手を伸ばす。からんと氷が揺れた。それと同時に青い液体も少し揺れる。
「きれい……」
グラスの中に閉じ込めた真夏の海だ。
「バタフライピーっていうハーブティーなの。ハーブだけど癖はないから飲みやすいと思うよ。そのままだと味ほとんどないけどね。それ」
と、ガラスの器を指さした。
「そのシロップに甘みもついてるから、入れて飲むといいよ」
そっか。だからレモンシロップを添えて、なんだ。促されるままシロップをそっとハーブティーに注ぎ入れて。
「――えっ」
思わず小さく声を上げていた。
レモンシロップを注いだところから、透き通った青い海は夕焼けを溶かしたように赤く色づいていく。恐る恐るストローでかき回すと色がきれいに混ざり合い、最初に出された青い海は鮮やかでとても美しいピンクに変わっていた。
「すごい……魔法みたい」
「ふふっ」
笑い声は野木くんだった。頬杖をついて、わたしを覗き込んでいる。少しだけいたずらっ子のような目をしていて、ちょっとどきっとしてしまった。眠そうだった銀縁メガネの奥の目が、すぐそこで生き生きとわたしを覗き込んでいる。
しかもなんだかとびきり可愛い女の子の顔で。
「いーい反応。ナイスチョイスだね、れいちゃん」
「だしょだしょ。やっぱ純粋なガールは違うねこれね。あんたんときつまんなかったー」
「俺なんか言ったっけ?」
「無表情でアントシアニン? って聞いてきたよ、覚えてない?」
……あ、なるほど。アントシアニン。色素がレモンシロップの酸性に反応したってことだ。
そう言われれば納得だけれど。でも、分かってもやっぱり。
「きれい、です」
そっとストローに口をつける。吸い上げたピンクの液体は、たしかに癖もない。レモンシロップのスッキリとした甘さと酸味がお茶に溶け合って、気持ちよく喉を通り過ぎていく。
「おいしい」
「よかった。やーっと笑った」
野木くんがぐっと背伸びをした。
「……え?」
「なんか緊張してた? ずーっと顔こわばってた」
……気を、使ってくれていたんだ。
「そりゃそうだよねー。ゼンこんなだしねー」
「こんな言わないでよれいちゃん」
美鈴さんと野木くんのやりとりは、テンポが早くてついていけないけれど、でも、見ていてちょっと楽しい。
「あ、あの。マニキュア……勝手に使って、ごめんなさい。返さなきゃいけないのに」
「へ? まだそんなことで悩んでたの?」
野木くんが目を丸くする。わたしにとってはそんなこと、ではないのだけれど。
「ひとのもの……」
「あー。おけ、おーけい。んじゃこうしよう」
野木くんは笑いながら、先ほど一度しまったはずの青いマニキュアを取り出してテーブルに置いた。
「あげる。そしたら人のものじゃなくなるでしょ」
そんな詭弁……?
「むむむむむりです、そういうつもりじゃなくて」
「そんなビビんないでよ、それ別にブランドモンとかじゃないよ、ワンコインでお釣りくるやつだよ」
「そうじゃなく、て、あの!」
「もーらって」
強引に、野木くんはわたしの手にそのマニキュアを握らせた。
「オトモダチになった記念ってことで、ね?」
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