第一章 爪の先の夏空

3/10
前へ
/79ページ
次へ
 全体に塗ってから、それから青。少しだけ重ねる濃さを変えながら塗りつぶしていく。  その時、だった。  カラカラカラ、カシャン!  背後から硬質な音とともに何かが降ってくる気配がした。  驚いて振り返る。 「きゃー、ごめんなさいー!」 「すみませーん!」  悲鳴が二人分、それと同時に色がわんさと降ってきた。  な、なになになに。  坂道を、なにか小さい色の塊がいくつもいくつも転がり落ちてくる。わたしの足元に溜まって、跳ね返る。  驚いて動けずいたわたしのもとに、悲鳴の持ち主だと思われる二人組が坂道を下ってくる。  ひとりは、車椅子に乗って。ひとりはその車椅子を押しながら。押しながら? 引きながら? ゆっくり、坂道を降りてきた。 「ごめんなさい、怪我しませんでした!?」  坂道を下りきって、車椅子のひとが両手をパンッと合わせてわたしに謝ってきた。  少し年上のような女の人だ。ボブヘアがよく似合っていて、くるくるっと大きな目をしていた。 「あ、だ、大丈夫です」 「あー、よかったー! ほんとごめんなさい!」  ほっとしたように、その女性が笑う。それから自分の後ろの女性を向いて、へへー、と可愛らしく笑った。 「無事だったってー、よかったー」 「よかったーじゃないし。下手したられいちゃん殺人犯だったかんね」 「そこまでいう?」  ぷぅと膨れ面になった女性に、車椅子を押していた彼女は言いますとも、と軽く悪態をつきながら、しゃがみこんだ。 「ほんとすみませんでした。このひと、手ぇ離しちゃって」  言いながら、落としたものを拾い出す。  あ、そっか。車椅子のひとは拾えないんだ。 「てて、手伝います!」  慌てて手近な色の塊を掴む。  えっとこれ、は。 「マニキュア……?」  ちいさな可愛らしい小瓶に入った色の塊。ネイルとかにつかう、マニキュアのようだった。  すごい、たくさんある。  手当たり次第にいくつか拾い上げて顔を上げると、拾っていた女性と目があった。  にこっと彼女が微笑う。  大きくやさしい瞳。すうっと通った鼻筋。型よく持ち上がった唇はきれいな赤。肩先をながれていく、サラサラとした焦げ茶色の髪の毛。  き、きれいな人。  年は近いのかもしれない。車椅子の女性よりは年下に見えた。でも、お化粧のせいか、おねえさん、みたいにみえるひと。  彼女が差し出したビニール袋に、拾ったばかりのマニキュアを入れていく。 「ありがとう」  少し低めの心地良い声で笑いかけてくる。  とうめいな春の風が吹いた気がした。  ……。  ――ん?  一瞬、自分で自分の感覚を疑った。  なんか……違和、感。  ザラつく肌感覚をごまかせなくて、わたしは無言になってしまう。そしてそのまま、彼女を凝視してしまった。  明るい、お陽さまのような表情。色鮮やかな花のような気配を身にまとっていて、全然、白でもとうめいでもない。なのに今一瞬、たしかにあの風を感じた気がする。  綺麗な大きな目。二重でまつげも長い。鼻筋も通っていて、長い首が、襟の詰まったストライプシャツによく似合う。夜空のような色のチュールスカートに、ぺたんこのバレエシューズ。マニキュアを入れた袋を持つ手は、ネイルこそされていないけれど色白で、指先は――  ごつごつ、してる。  違和感が。  募る。 「どうしたの?」  すっとしみ込んでくるような低めの声。心地良い。心地良い、けれど。  ……女性にしては、結構低め……?
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加