第一章 爪の先の夏空

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 今日は梅雨の晴れ間になるでしょう、と、朝の天気予報のお姉さんがさわやかな笑顔で告げた通り、久しぶりの青空だった。  結局一晩中どういう顔をして学校に行けばいいのか悩み続けてしまって、ほとんど眠れないまま窓の外は明るくなった。いつもみたいに家は早く出たけれど、どうにも学校で野木くんと会ってしまった場合どうすればいいのか分からなくて、駅のベンチでぼんやりとスマホをいじってしまい、結局始業時間少し前に、滑り込むように教室へ入る。  ……情けない。 「おっはよーまりも」 「おはよう、かおちゃん」  ちょっとドキっとしたけれど、かおちゃんはそれ以上何も言わずにこーっと笑っただけだった。ほっとする。昨日のことを詮索する気はないらしい。  自分の席に座ってから、ちょっと呼吸を整える。落ち着け、わたし。  ゆっくり、顔を上げた。  窓際の席に、彼はいた。男の子の制服姿で。頬杖をつきながら外を見ている。  ふわふわっと、踊るように茶色の髪が揺れている。  ……昨日のさらさらヘアは、なんか手入れしたせいなんだろうか。それとも、ウィッグってやつだったんだろうか。  気になってしまって、いつの間にか凝視していたのかもしれない。視線に気づいたのか、野木くんがふと、こちらを見た。  目が、合う――  銀縁の眼鏡の奥で、昨日とは違う少しぼんやりした目が二度三度まばたきして、それから、すうっと細くなる。笑ったんじゃない。あくびしたんだ。大きな大きな、あくび。  ……え、あくび、です、か。  一晩中悩ませてくれた相手は、想定外に大あくびをして、それでおしまいだった。そのまま何事もなかったかのようにまた机に突っ伏す。  チャイムが鳴った。HRがはじまる。  ……え。ええええ。おしまい? なんです、か?  呆然としてしまう。一晩中悩んだのに。悩んだのに!  昨日のアレは、夢だったんだろうか。  ううんそんなわけがない。あの路地で、たしかに野木くんは、とてもかわいい女の子の姿をしていた。  いまみたいな、だらけた猫みたいな顔じゃなくて、とびきり明るい顔をしていた。  ……本人だよね? 双子とかじゃないよね?  わたしの混乱はかおちゃんにも言えないまま膨れ上がっていって、放課後にはもう破裂寸前だった。一日こっそり見ていたおかげで、いくつか分かったことはある。  野木くんはたぶん、友達はひとりだけ。クラスメイトの和久井くん。でも和久井くんは和久井くんであまり喋らないぽくって、お昼ご飯も二人で並んで、でも無言で食べていた。  授業はそこそこ真面目に受けているみたいだけれど、板書を終えたり、問題を解き終わったりして時間があまるとすぐに眠る。あと、髪の毛はいつもふわふわ。  ……それくらい。  HRが終わってそれぞれ動き出した教室の中で、彼はまた寝ている。それを見ながら、どうしよう、と考えていた時、視界の中で明るい光が動いた。  あ、かおちゃん。  かおちゃんがこっちに来る間際、野木くんの頭を軽くペンッと叩いたのだ。 「野木、あんたいっつも寝てない?」  寝てます。 「んー……?」  ぽやぁと顔を上げた野木くんは、数秒かおちゃんを凝視して、いぶかしげに眉を寄せた。 「内倉だよ。クラスメイト」 「……ああ。うん」  名前が、分からなかったんですね……?
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