三十三 友情

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三十三 友情

 先ほど電話で報告された瀬戸からの情報と、小出の前置きから推測して、無流は改めて問いかける。 「坂上くんの事件の被害届を、取り下げる相談かな」 「そうです。不安や恐怖、損害を与えたのは間違いないので、厚かましいお願いですが」  思い詰めた様子ではあるものの、最悪の事態への覚悟もしているように見える。  啓も不安げではあるが、この場所なら味方に囲まれている。  警察署で聴取するよりも、気は楽だろう。 「逆に、俺が聞かない方がいい部分があれば、耳を塞いでおくが」 「それは――」 「無流さん」  しばらく様子をうかがっていた高梨英介が、不意に声を掛けてきた。 「はい」 「さつまいもが蒸しあがりました。あと、お茶のおかわりをどうぞ」 「ああ――すいません」  今まで控えめだった高梨が割って入ったのを不思議に思い、目を合わせる。 「無流さん。お茶を飲んでいる間は、ですよ」  高梨は意味深な流し目で、微かに口の端を上げそう言った。 「……なるほど。では、お言葉に甘えて両方いただきます」  無流が緊張を解いたのを見て、高梨は穏やかに笑む。  顔はそこまで似ていないが、物言いと機転は、北原によく似ている。  個人として聞き、警官としてどうすべきかは後で考えろというわけだ。 「椎名さんと和美くんも食卓へどうぞ」 「やった」 「ねぇ小出くん、猫ってさつまいも食べられる?」 「冷ませば大丈夫です。好きじゃないかもしれないけど、お腹は空いてるはず」  八重がタオルでくるんだ三毛猫に、芋をほぐして嗅がせる。  高梨は猫用にも水を用意し、自分も席に着いた。 「小出と無流さんが話して、僕たちは気になるところで口を挟むかたちにしてもいいですか?」  啓がそう言って、和美も頷く。 「わかった。そうしてみよう」  全員が食卓を囲み落ち着いたところで、小出は話し始める。 「僕が布袋先輩に声を掛けたのは、学内展示で彼の石膏像を見て、しばらくした頃です」 「君から声を掛けたんだな」 「そうです。先輩の評判は知っていましたが、作品は前から気になっていて――人付き合いが下手なだけで、悪い人ではないとわかった。僕とは読書や好きなものが似ていて、思った以上に仲良くなりました」 「え、本当に仲良かったのか」  和美が驚いて思わず言ってから、すまなそうに黙った。 「至さんの建築にも興味があったので、会食に呼んでもらったりもしました。ある時、同席していた渋井という男が、僕の歯を見て――君も汚染の被害者か――ときいてきた」 「渋井明だな。さっき連続傷害事件の主犯として、身柄を確保した」 「そうです」 「渋井って、剥製師の?剥製の質は凄くいいので腕は確かだし、人気はあるんですが――叔父には、関わらないようにと念を押された。詳細は聞きませんでしたが、そういう人だったんですね」  意外なところで反応した高梨が、苦い顔をした。 「布袋充の身柄も確保したが、彼は大した罪には問われずに済む見込みだ」 「良かった」  無流と小出以外は顔を見合わせて驚いているが、小出は落ち着いている。 「で、汚染っていうのは?高梨先生、ご存知ですか」  無流が尋ねると高梨は頷いた。 「さっき、湧き水の話をしたでしょう。二十年前、源泉のひとつが汚染され、その地域で生まれた一部の胎児の骨に、変形が見られた」 「――ああ、被害者の共通点はそれか」  瀬戸たちは既にその事実に辿り着いたのだろう。 「先輩もその影響で、生まれつき鹿の角のようなものがあったのを切除したと聞きました。僕のこの歯はその件とは無関係でしたが、渋井に興味を持たれたように感じた」 「連続傷害事件より前?」 「一件目の事件の後です。その後、学校や家でも何度か、渋井と先輩が話しているところを見かけた。先輩の様子が変だったので、それとなく見守っていました。その頃から、どんどん顔色が悪くなったのは、犯行を手伝わされていたからでした」 「脅されてたのか?」 「麻酔が効いた状態で、犯行の練習台もさせられていた。渋井は体格はいいですが、紳士的で気さくだし、人を虐げるようには見えません。狩りの仲間に警察上層部の関係者もいました。先輩が事実を証言しても、証拠を公正に警察が精査してくれないと、信じてもらうのは難しいので、誰にも言えずに従っていた」 「新聞で大きく取り上げられた話題の事件だ。全然関係のない輩が大勢、自分が犯人だと名乗り出てもいたしな」  無流は小出の冷静さに感心しつつ、瀬戸を思い出す。  彼らが自分を助けてくれると理解すれば、誰よりも心強く感じる。だが、味方で善人だとわかっていても、知能の高い人間への畏怖は常にある。 「心配だったのでしばらく側にいようと、先輩に合作を持ちかけ、空き家を使う提案をしました。そこに何か隠している様子だったので――入ってみたら、猫がいないのに室内で蕁麻疹が出て、変だなと思った。先輩の目を盗んで探したら、渋井に指示されてさらった猫が、個別に小さい籠型の檻に入れられて、空き家の外の物置と縁の下に隠されていました」 「猫さらいは彼だと知ったわけだ」  厄介な体質も、意外なことで役に立つものだ。 「物置の中には、不審な石膏型もありました」 「君の部屋の押入れにあった二つだよな。他は?」 「三人目から型を取るのはやめたそうです。練習台にされた時は型を取るだけだったのに、現場で実際に切り取られていると知り、恐怖を感じたと」 「何をするか知らされていなかったのか」 「渋井は商品に使わなかった部分を合成した剥製を、特注で愛好家に作っているそうです。渋井自身もそういう嗜好です。先輩は、ミノタウロスの資料に牛の骨や剥製を渋井から買ったり、そういった剥製や標本を見せてもらっている内に、助手にならないかと誘われたそうです。先輩はずっと自分の独創性や個性に悩んでいたので、将来の進路として魅力的に思えたようです」 「河童とか人魚の木乃伊(ミイラ)みたいなもんなら、昔からあったが」  それは詐欺的な人寄せや見世物の要素が強いから、愛好とは違うのだろうが、嗜好として根強いのはわかる。 「先輩が悪魔や天使、神々の像を作る企画は前からあって、被害者から取った型も使うつもりだった。僕の歯型も取っていたんですが、北原さんにモデルを断られたりして、作品は完成しませんでした。歯型は後から、坂上くんを襲う時の小道具に流用しましたが」 「あたしも猫好きだけどさ。猫ってそんなに執着するもん?お金になるの?傷害事件起こすほど?」  三毛猫はすっかり八重に懐いて、適温になった芋を少しずつ食べている。 「渋井は突然変異の個体が好きで、密輸にも関わっています。猫は個人的に交配実験や研究をしていて、どんな種類でも良かったみたいです。先輩が上手く盗めたのがたまたま、あの界隈で流行っていた外国の猫だった」 「傷害事件や殺傷事件の前に小動物を殺す犯人は多いから――そっちかと思ったが」  北原がその辺りのことに気付いたのなら、渋井を出入り禁止にしたのも理解できる。 「渋井は僕と同じ体質で、以前のように自分で猫の交配実験や標本づくりができなくなったそうです。先輩にそういったことを継がせると言っていたみたいですが、僕は、切り取った部分を全て移植されるようなかたちで、先輩が最後の被害者になるんじゃないかと――それは避けたかった」 「あり得ない話じゃないな。利用できるだけ利用して、秘密を守れなくなったら死なせる気だったのかも」 「四件目の犯行が終わった頃に先輩を問い質して、それらの経緯を知りました。先輩はほぼ被害者であること、罪を軽くできそうなことがわかった。僕と先輩の命を安全なところに置きながら、渋井とは関係ない事件の証拠として物証を警察に渡したかった。ひとまず先輩から渋井に、僕と坂上くんのことを新しい獲物として印象付けてもらいました」 「知らせた後にすぐ、坂上くんを襲った?」 「渋井は切り取り魔であることを誇っていましたから、その手柄を横取りする偽の犯人を作りたかったんです。警察は被害者の情報には配慮した発表をしていましたが、一部の媒体では、事実に近い情報も得られます」 「カストリ誌には、渋井みたいな犯人を想定できていた記事もあったと思う。大袈裟に書いたつもりが、その通りだっただけだろうけど。被害者本人からも情報は漏れるしね」  八重が呆れたようにそう頷いた。 「坂上くんの目が特別なのは誰が見てもわかる。僕とも共通点が多いので、警察に順序よく犯行現場や手口、先輩の関与を示せて、注目させながら守ることができる。先輩にはその事件のことは知らない振りをしてもらい、次は僕を狙う方が簡単だと思わせてもらいました。さらに、珍しい三毛猫がいることも伝えてもらった」 「あ!私、小出くんにも聞き込みしてたね?もしかして」  八重はさらわれた猫と、住民たちが見かけた三毛猫の目撃情報を細かく集めていた。件のオス猫以外の三毛猫の分布図と家系図ができそうなほどだ。  八重の明るさに、小出も少し表情を和らげた。 「ええ。町の人にも広まっていました。渋井に伝えやすくて助かった。あの猫を絵に描いていた、坂上くんの行動範囲を重点的に探したら、怪我をして防空壕に住み着いているとわかった」 「どの事件から怪しんでも、小出くんに繋がるようにしたわけか」  布袋充と友人にならなければ、本来は全く事件に関係が無い人物である自分に、わざわざ全ての糸を繋げ、罠を張った。 「俺があそこで布袋先輩を捕まえちゃってたら、どうなってた?」  和美は好奇心に満ちた顔で、小出に質問した。 「その時は僕が先輩を逃がして、渋井に繋がるよう犯人について証言するか、事情を話して無流さんを頼ることになったかも。その案の方が現実味があったものの、先輩は盗むのと走るのと隠れるのは上手いので、逃げ切った。もし坂上くんを上手くさらえてしまったら、渋井を誘い出して現行犯逮捕を狙おうとか、いろいろ選択肢はあった。飯田くんの怪我は本当に、申し訳ない」 「このくらいの傷なんてすぐ治るし、最初から俺に言ってくれれば良かったのに――でもお前、結構盛りだくさんで面白いやつだったんだな」 「小出くん、スパイみたい」  盛り上がり始めた八重と和美は不謹慎なようで、犯人が捕まった今、その明るさはむしろありがたい。 「先輩が教室で僕に目のことを言ってきたり、小出がいないことを匂わせてきたのもその一環だったんだね」  小出は啓の言葉に頷いた後、神妙な顔で無流に目線を移した。 「先輩には北原さんに謝罪の意を示すという名分で、坂上くんの絵を買ってもらった。次に出されるのが僕のケンタウロスの絵だと知っていたのもあります。先輩はその後、僕が行方不明だと判断されたところで、法律事務所に諸々の説明をしに行って、行方不明になってもらいました。至さんは特に事前に説明しなくても、警察が先輩を探しに来たら連絡をくれるはずなので、それまでに猫を返せば間に合う」 「二人とも行方不明になったのは、そう思われた方が、犯人か被害者かの選択肢を増やせて、家宅捜索も楽になると踏んだのか」  小出の部屋に石膏型があったおかげだが、布袋至も、息子が犯人扱いされた場合より、確かに協力的だっただろう。 「そうです。僕の下宿と実家は一連の事件のやや外側の地域にあるので、一旦、そちらに警察を引き付けて調べてもらって、その日の夜の間に、先輩たちには盗んだ猫をこっそり返しに行ってもらいました。警察には僕と先輩が事件に関与していそうだ、ということしかわかりませんが、渋井に何か伝わった場合は、先輩が渋井を裏切ったように見せたかった」 「防空壕に隠れたのは?」 「渋井が警察より先に探しに来ても、夜の間は誰にも見つからない場所で猫と待機したかったんです。あの場所なら最悪、何かあっても高梨先生に助けを求められます。隠れる前に姿を見られても、先輩や高梨先生が犯人かもしれないと渋井や警察に思ってもらえて、色々とかく乱できる。今回はそのかたちでは先生を巻き込まずに済みましたが」 「ああ、確かに高梨先生も」  畸形の部位を持つ二十歳の青年が、二人も師事している。  無流には全くその発想はなかったが、高梨は頷いた。 「そう、被害者のそういう身体的特徴が共通点なら、小出くんと坂上くんを教えている私が、この辺りで一番怪しい人物なんですよね。三件目の事件の後、ここにも、俳優みたいな雰囲気のかっこいい警部さんが来ましたよ」 「志賀警部がここに?」  その頃は、今年二十歳の青年が共通点だということで、青年の集まる場や関係者をしらみつぶしに当たっていた頃だ。他に怪しい人物が見当たらなかったから、念のため責任者が様子を見に来たというところか。  小出も啓も和美の同級生だから、あえて無流に関わらせないようにしたのかもしれない。 「ああそう、志賀さんだ。アリバイがあって事なきを得ましたし、他の家にも制服の警官が聞き込みをしていましたけど、今思うと警部さんってあんまり聞き込みには来ないですよね。坂上くんの事件のあった夜も、瀬戸さん――あの身体が大きくて声のいい刑事さんが、坂上くんのことをきいた後で、お腹の調子が悪いって、手洗いを借りていきました。相当、疑われてたんだろうな」 「――瀬戸まで」  しかも、確実に家の中をひと回りしている。  かなり前から、核心に迫る嗅覚はあったのだ。  渋井の自宅はここから西へかなり行ったところにあるため、特定に手間取ったが、この町内に住んでいたら、相当前に逮捕されていただろう。 「坂上くんたちの絵を移動したり、画室の修繕の件で人がたくさん出入りしていたし、夜は電話も多かったんで、このところあまり独りにならずにいて良かった」  小出は申し訳なさそうに目を伏せたが、すぐに気を取り直して、三毛猫に視線を移した。 「昼間に上が騒がしくなった辺りで出て行こうと思いましたが、雨で身体が冷えて具合が悪くなってしまったので、先に猫を放しました。この猫は本当に人の言葉を理解しているみたいだ。手ぬぐいを上に持って行ってくれるよう言い聞かせてみたら、坂上くんたちを連れてきてくれた」 「啓に見えてたのは、もっと前からだけどな」 「え?」 「多分、僕が猫のことを意識してたのと、猫と小出が僕に何か伝えたいと思ってたからだろうね」  無流は長いため息をついて、すっかり冷めてしまった茶を飲み干した。 「その辺りまでが、現時点で話せる全部ってとこかな。布袋充の行動についてはまだ、警察の聴取が進んでからの方がいい」 「そうですね」 「で、どうする?坂上くん。和美も怪我をしたから、二人とも被害届は受理したが」 「取り下げるよな?啓」 「うん。心配しないで」 「――ありがとう。ごめん、迷惑かけて」 「迷惑っていうか――頼ってくれたみたいで、嬉しい」  思わぬことで信頼関係を確認できて、友情が深まったように見える。  小出の案は最善の方法とは言いがたいが、事実とはそういうものだ。  日を改めて署に三人を連れて行く約束をし、無流は画室高梨を後にした。
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