一 眼帯

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一 眼帯

 僕、坂上啓(さかじょうけい)の朝の日課は、亡くなった祖母の古びた鏡台の前に座り、右目に白い眼帯を着けることだ。  今朝は色とりどりの魚の群れが、空中を浮遊していた。 「お祖父さま、おはようございます」  居間では、ほとんど白くなった髪を後ろに流し、書道家らしく着流しをまとった祖父、坂上標文(すえふみ)が新聞を読んでいる。  昔から物静かで無表情だが、祖母が亡くなってからは心なしか寂しそうにも見える。祖父は身の回りのことは自分でもできるが、両親の勧めで住み込みのお手伝いさんを雇っているのは、正解だと思う。  一緒に暮らし始めてわかったが、祖父は両親の言うような、変わり者でもなく、頑固で融通がきかない人でもない。  必要な時は必ず手を差し伸べてくれる。  祖父には弟子が数人いる。僕はそう認識しているが、何人かは祖父を慕って通うだけの人たちらしい。  彼らと同じで、僕と祖父は、合うのだと思う。  僕の両親の方が、この居心地のいい集団の中ではきっと、異質なのだ。  そんなことに少しずつ気付かされる。  愛情とは別に、相性というものがあるのだと。 「おはよう、啓」  祖父の読む『あかつき日報』の一面は今朝も、身体の一部を切り取るという連続傷害事件を報じていた。  今度は左腕  同一犯の可能性大  切り取り魔か  そんな文字が見える。  最初はただの通り魔だと思われていたが、体の一部を切り取られる共通点や、予想される凶器の形状から、同一犯による計画的な連続事件だと特定された。  死者は出ていないが、重傷者の一人が、生死の境を彷徨っているという話だ。 「今日も先生の所に寄るので、少し遅くなります」  祖父は新聞から目を離して、僕の方に少しだけ体を向けた。 「ああ。気を付けて。今度の被害者は、お前の通学路で襲われてる」 「はい。九時半頃には戻ると思います」 「そうか」 「行って来ます」  祖父は頷きながら、新聞に目を戻した。
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