二十八 正体

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二十八 正体

「ええと、まず。珍猫連続行方不明事件で被害届の出ていた猫ちゃんたちは、昨晩の内に無事におうちに戻りました。健康被害はなく元気だそうです」  瀬戸は連続傷害事件の解説の前にそう言って、猫の事件の掲示物をはがして片付けた。  志賀の他に捜査本部に残っていた者も数人、一緒に解説を聞いている。 「猫ちゃんたちが――おうちに」  小声で復唱した志賀に構わず、瀬戸は続ける。 「切り取り魔の正体は渋井明。元軍人で、戦時中は病院付衛生兵の教育を受け、前線の野戦病院にいました。復員してからの本業は剥製師(はくせいし)です。狩猟、作成、販売、運搬全てを一人でやっています。布袋至には剥製等を手配し、布袋充の彫刻作品の運搬もしているそうです。芦原美術専門学校にもデッサン用の剥製をいくつか、布袋至を通じて寄贈しています」  瀬戸は説明しながら、猫の事件の掲示物の跡地に、渋井の資料を貼り付けていく。  志賀は今回の状況を利用して、瀬戸が必要だと思う指示は、志賀の名前を使って出していいと許可していた。瀬戸は許可や令状が必要な際はその都度、その他は定期連絡の電話で報告し、事後承諾を得る形だ。  ほぼ全権を委ねていると言ってもいいが、そう公言してしまうと瀬戸の評判に関わる。失敗の責任は全て志賀が負う。まだ出世していないとはいえ、瀬戸は志賀の知る限り一番使える駒だった。 「被害者の拉致は渋井が行い、布袋充は見張り役。手術は麻酔を打った上で、布袋家の所有物件の敷地内等、近隣の人目の付かない場所に運搬用のトラックを停車して行われたと思われます。被害者から切り取った部分は石膏で型を取り、型は布袋充、中身は渋井が液浸標本(えきしんひょうほん)にして自宅に飾ってあるはずです。あと多分、被害者たちの精液も保管されているはず」  液浸標本とは、いわゆるホルマリン固定の標本だ。 「当たり前ですが、犯人がわかれば都合のいい条件は全て揃います。医療技術、無線機、作業場。どこで起こるか、誰を、どこを探せばいいかわからず、僕たちは四件もの傷害事件を止められませんでした。無線で動きを読まれていたのもあります。ですが、布袋充が怪しいと飯田刑事が仮定してくれたおかげで、探す範囲を絞り込み、渋井に辿り着けました」 「勘と運、か」  今度の呟きは無視されず、瀬戸と目が合った。 「直感や勘というのは、経験則や本能に基づいた脳の計算結果です。自発的に考えずとも、脳が勝手に答えを出して提案してくれる。誰にでも多少はある能力ですが、飯田刑事は特に、人より外的刺激を脳で泳がせるのが上手いんでしょう。禅寺育ちだからかな」  志賀は瀬戸の人柄に慣れているが、やや戸惑っている者もいる。 「悪い、話の邪魔をした。続けてくれ」  「被害者の共通点は、生まれつき骨の一部が変形する障害があることです。年齢が揃っていたのも理由がありました。二十年前にあった、産業廃棄物での湧き水の汚染が、それを飲んだ妊婦とその胎児に影響していた。すぐに源泉の水質は回復しましたが、この辺りに引かれていた水路は断たれています」 「ああ――あったなそういえば」  対象地域が狭く、災害による事故が原因で、対応が早く適切だったので、大ごとになる前に沈静した。 「被害者の補償として新しい家屋の提供があり、顕著な身体障害のあった家族ほど近隣に残っていました。家族同士の繋がりはなかった。被害者の特徴や身元を隠した報道をしていたこともあり、この繋がりに気付くのが遅れました」  心底悔しそうに、瀬戸が苦々しい顔をする。 「悔しいが、二十歳前後の男というのは報道できた」  犯罪が実際に起こらない限り、動けないことも多い。事件の捜査とはそういうものだ。 「布袋家の所有物件が犯行に便利なところにあったのも、水が関係あります。布袋至は汚染により手離された土地を安く手に入れ、自分の建築物を建てた。地元の人は住みたがりませんが、新たに水道が整備され、布袋至も建築家として成功したので、他の土地の人間には売れました。いわゆる成金と言われる人たちが集まった経緯です」 「ああ、だから所有物件がまばらに点在してて、一見、一番いい立地じゃないところに布袋家の自宅があるのか」 「そうです。それから、渋井は汚染の被害とは関係ありませんが、生まれつき生殖器に疾患がありました。そのせいもあり、遺伝学や動物の変異種に強い関心があった。精液を採取するのはそのためです。汚染被害のことは布袋至から聞いたはずですが、犯行を計画したきっかけは、布袋充から切除された身体の一部を見たことでしょう」 「あ?布袋充も傷害事件の被害者なのか」 「布袋充は今年二十一歳になりますが、正確にはまだ二十歳。汚染の影響を受けました。額の左右両側の骨が変形し、こぶ状の角のようなものがあったそうです。彼がそうして生まれたことで、汚染の具体的な影響が明らかになった。渋井が汚染自体にも関わっているのかとも疑いましたが、調査記録上は不明です。もしそうなら、他の小動物も何らかの変異があれば標本にしているかも」 「汚染の方の被害者か」 「生まれてすぐ切除した部分は、証拠として両親が保管していました。彼が角のあるミノタウロスに執着したのもそのせいかな。既に切り取られてしまっていたので、布袋充は渋井の標的にはなりませんでしたが、布袋充を巻き込めば、財力や犯行に必要な条件が揃う。布袋充の精液も採取されたかもしれません」 「何故、男しか狙わない?」 「手術の経験があるのが、戦場にいる男だけだったこと。それから、血液型が揃っています。手術中、自分と布袋充からすぐ輸血ができる。卵子より精子を採取する方が効率が良く、彼の目的に都合がいい」 「ああ、遺伝学か――」  無流が布袋の「顔色は良くなかった」と言っていた。そんな細かい情報すら、瀬戸は推理の裏付けに役立てていく。 「渋井は研究者気質です。高度な医療技術がありながら、医者は目指していない。死なないように上手く切り離して、傷口を塞ぐ手術だけが好きなはずです。もし、切り取るだけなら、道具があれば誰でもできる。そのまま死なせたり連れ去って殺す方が楽だ。そうしなかったのは、もし捕まらずに済んだら、彼らの子孫を観察したかったからだと思います」 「捕まる可能性は考慮の上か」 「条件に合う対象者はもう全て切り取り終わっている。証拠を揃えて聴取すれば、罪を認めると思います。以上が、本人が捕まる前にわかる範囲での、渋井明の事件の概要です。そろそろ、先に頼んだ分の裏付け捜査の結果が報告される頃だと思うので、一旦休みましょう」  瀬戸は長いため息をついて、そこで話をやめた。
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