49人が本棚に入れています
本棚に追加
六 噂話
「おめでとう」
「何が」
来て早々、和美から突然掛けられた祝いの言葉を、理解出来なかった。
「北原画廊で絵が売れるんだろ。相変わらず冷めてるな。啓は」
和美はそう言った割に、嬉しそうだ。
きっと僕の反応を予想していたのだろう。
何ごとも悪い方に考える癖のある僕は、何でも楽しめる彼に救われていると思う。
「早耳だな。北原さんは有名なのか」
少し考えてから、彼はまた画帳に目を落とし、呟くように答える。
「マニアックな絵ばかり置いてあるからな。あそこにある美術品は、誰の作品かというより、北原さんが選んだというのが重要なんだ。あの人の目は確かだよ。美貌目当ての客も通い詰めだ。北原さんにはもう会ったんだろ?」
「会ったよ。画廊では見かけたことがなかったから、随分と綺麗で驚いた」
「ああ、店番の女の子がいることが多いよな。奥で商談してるんだろ。一応、うちで一つ美術史の講義を持ってるらしい。履修は来年より先だけど」
「英介さんの叔父さんだっていうけど」
「ああ。高梨先生の絵も置いてあるだろう。あんまり普通には出回らないやつが」
英介さんに連れられて何度か画廊に行った時も、北原さんはいなかった。昨日の様子を見ると、いない日を選んでいたのかもしれない。
「……なあ和美」
「ん?」
「僕の絵はマニアックか」
「なんだ。自覚してなかったのか」
彼はくすくすと笑う。
「もっと貰っておくんだった。お前の描く絵、好きだから」
彼は何故か少し照れながら、長い睫毛を伏せた。
「未知の恐さがあってさ。夢を見ているような。この世に無い色に包まれる感じ」
「過大評価し過ぎだ」
なんだか急に恥ずかしくなる。
自分の絵のことを言われているとは思えない程の賛辞だ。
日頃、的確で辛辣な彼の批評を聞いている身としては、信じられない。
「そうか?」
和美はいつもの様に、不敵に笑んだ。
「僕は、お前の絵の方が好きだ。絵が生きて動いてるみたいで」
彼は確かに生きているのだと、感じることが出来る。
「うちのセンセイは、乱暴だとか雑だとか言う」
「あれだけ動きがあるって、凄いと思うけど」
――君の絵は、君の見た景色を伝えるだけでなく、君自身を語ってくれるんだよ
北原さんの言葉が頭をよぎった。
「動物とか植物以外も色々見えるんだろ?人間は?」
この講義は眼帯を外している。和美は不思議そうに僕の右目をのぞきこんだ。
「強く思ってるものが見えたりはするかな。今お前が白玉善哉が食べたいと思ってることとか」
「はは、よくわかったな」
「でも、相手が僕をどう思ってるかは、よくわからないんだ」
「ふーん、自分の思いが混ざると駄目なのかな?」
「そうかも。多分、自分が悪く思われてると知るのが恐いってだけだけど」
「もっと自信持ってもいいと思うけどなぁ」
無理だよ、と和美に言った目線の先に、小出が誰かに呼ばれて出て行くのが見えた。
「あ、そうだ。小出の絵も画廊に置かれるって」
「へえ……今の、布袋先輩かな。彫刻科の。あいつも友達いるんだな」
小出の消えた先が妙に薄暗く見えたが、遠くから雷の音がした。そのせいだろう。どこの白玉善哉を食べるか考え始めた和美の話を聞きながら、カンバスに目を戻して筆を動かした。
最初のコメントを投稿しよう!