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絆
八条院の秘密を知ってから半年が過ぎた。その間に俺自身もやっとクラスに馴染むことが出来た。
俺の中では、ここからが高校生活スタートだ。
「あのさ、悪いんだけど昨日の塾の宿題範囲教えてくれない?」
俺と同じ塾に通っている深津涼(ふかつりょう)に声をかけた。無口の涼は、登校して席に座ってからずっと漫画を読んでいる。漫画から目を離さないで、カバンの中から一冊のノートを取り出すと器用にスラスラと宿題のページを書き連ねていく。俺は、急いで自分のノートにそれをメモする。
「ありがと。助かったよ」
優しい学友の存在に感謝、感謝。まぁ、無口過ぎるのが玉に瑕だけど。俺は、気分よく自分の席に着こうとした。すると、この学校の次期生徒会長 最有力である前園美魅(まえぞのみみ)が、ズンズンと大股で俺の前まで来た。
「また、塾休んだでしょ? 最近、たるんでるんじゃない? もっと、しっかりしなさいよ。だいたいーーー」
それから数十分、担任が教室に入ってくるまでの間、俺は延々と前園に説教された。前園は、クラスでもリーダー格の恐い存在なので誰もその行為を止めることが出来ない。苦手なタイプだった。唯一、前園と正面から堂々とケンカ出来るのが、八条院だった。八条院は、前園と廊下ですれ違っただけで口喧嘩を始める。その声は、扉を閉めた教室の中にまでうるさく響くほど大音量だ。
犬猿の仲と辞書で引けば、二人の顔写真が載ってるくらい二人は仲が悪かった。
「朝からついてなかったね。前園さん、今日も機嫌悪いみたいだね」
「うん。まぁ………塾をサボった俺も悪いから何にも言えないけどさ。でも、あんな大声で説教することないって。ほんと恥ずかしいよ」
「ハハ、そうだね。廊下にいても普通に聞こえるしね。塾をサボったって言ったけど、何してたの?」
「う~ん。特に何もしてない」
本当は、八条院と一緒にゾンビゲームをしていた。さすがに付き合うところまではいかないが、友達程度にはなれたと思ってる。
俺の前の席に座っている田中未来(たなかみらい)は、頬杖をついてうとうとし始めた。
「なぁ、未来。今日は、一日起きていられそう? 一時間目から古文だけどさ」
「……」
「未来、聞いてる?」
「…………」
「おいって!」
腕を枕にして、既に寝息をたてている未来。彼の前世は、ナマケモノに違いないと確信する。それにしても、未来は異常なほど良く寝る。学校にいる時も大抵寝ている。教室にいない時は、学校の屋上で寝ている。三度の飯より睡眠をとる男だ。
ほんと、どうしようもない奴。しかし、こんな奴だが女子にはモテる。彼の顔は、モデルのように整っているし、背も高い。極めつけは、普段寝てばっかいるくせに学校のテストでは学年一位と信じられないような好成績を連発している。悔しいが、俺の頭では彼の足元にも及ばない。未来は、俺と違い、塾にすら行っていないのに……。
昼休みになり、八条院がメイドから受け取った昼食を隣で食べていた。最近、昼飯は八条院と一緒に食べるようになっている。正直、クラスの冷ややかな視線もあるし、一人で食べたいのだが。勿論、そんなことは本人には言えない。
「ねぇ、正義。帰りにさ、ゲーセン行こうよ。私さ、欲しいヌイグルミがあったの。また、取ってもらいたいしさ」
はぁ、また小遣いがなくなる。八条院の家は金持ちなんだから、自分で金出せばいいのに。毎回、俺がなけなしの金を使い、彼女の欲しいものを取っている。俺達は、週に二回のペースで近所のゲーセンでUFOキャッチャーをしていた。
「放課後になっても先に帰らないでね。もし、いなかったら家まで行くから。居留守しても分かるから」
「………うん」
はぁ~。ほぼ脅迫だし。
前の席では、まだ未来が寝ていた。さすがに昼飯抜きは可哀想なので、未来の体を激しく揺すった。
「う~ん、うん? あぁ良く寝たぁ。おはよう。夢羽ちゃん。今日も可愛いね」
「朝から寝てたの? 相変わらず、どうしようもない男」
「ハハ、そうだよ。僕は、どうしようもなくバカで一途な男さ」
「一途?」
「夢羽ちゃんに惚れてるってこと。あぁ、恥ずかしい」
自分で言ってて、何が恥ずかしいだ。はぁ、こんな男よりバカだなんて。世の中不公平。間違ってる。
「何度言ったら分かるの? 私は、正義しか好きにならない。お前じゃ、ダメなんだよ」
「そんな悲しいこと言わないでよ………。はぁ、悲しい。そして……眠ぃ」
「どこ行くんだ?」
「この悲しみが消えるまで、屋上で寝てくるよ。僕は君が心底羨ましいよ。彼女の心を独占してさ」
独占するつもりは、全くないんだけどね。肩を落とし、教室を出て行く未来。その背中が、ひどく小さく見えた。
「なんなんだ、アイツは。良く分からない。私の苦手なタイプ」
「でもさ、未来は顔も頭もいいよ。女として、惹かれないのか?」
「全ッ然! 冗談でしょ。ミジンコほども惹かれないね」
「そうなんだ」
そのミジンコより成績悪いのか、僕は。
米粒を一つも残さず自分の弁当を食べ終わった八条院が、買ってきたお茶と一緒にいつものように茶瓶から取り出した『赤いカプセル』を一粒飲み込んだ。俺は、何気なく教室を見渡す。同じように茶瓶から赤いカプセルを取り出して飲んでいる生徒が五人はいた。この中学に入学してからほぼ毎日、この光景を目の当たりにしている。
「あのさ、その赤いカプセルって健康サプリなんだろ? ずいぶん長い間流行ってるよな。気になって薬局やコンビニとかで同じものを探したんだけど、全然見つからなくて」
「これは、正義には関係ないものだよ。だから、気にしなくていい。すっごく、苦くてマズイしさ」
「ふ~ん。それ飲むと体調良くなるんでしょ?」
「これについては、もうおしまいっ!」
「えっ、でも。みんな飲んでるし、一度ぐらい試してみたい。一粒ちょうだい」
「何度も同じこと言わせないでっ! お尻ひっぱたくよ、いい加減にしないと」
八条院は、立ち上がると左手をブンブン鞭のように左右に振っている。この歳で、しかも教室でお尻叩かれたんじゃ、洒落にならない。本当にやりかねない、彼女の行動力が恐いのだ。
「分かったよ。もう言わない」
仕方なく頭の隅にこの関心を封印した。
放課後。
午後の授業を軽く受け流した俺は、教室で一人、八条院が来るのを待っていた。
「遅いな、何してるんだ」
空いた前の席を見た。未来の席は、もちろん無人で。今度は、窓の外を見る。雲行きが大分あやしくなっている。雨が降るのも時間の問題だろう。一度気になり出すと、もう自分ではその悪い予感を追い出すことが出来なかった。今も学校の屋上で寝ているであろう友達が、雨に濡れた姿を想像する。
「仕方ないな。起こしに行くか」
生徒は、立ち入り禁止となっている学校の屋上。そこへ続く階段は、薄く埃が積もっていた。未来の歩いた跡をなぞって静かに歩いていく。
カツッ、カツッ、カツッ。
カツッ、カツッ。ギィィィィ……。
ガッシャンッ!
鉄扉を静かに閉めたつもりが、驚くほど大きな音が出た。小走りで未来の姿を探す。すぐに寝ている未来の姿を発見した。背を丸くして寝ている。時折、体が痙攣していた。夢でも見ているのだろうか。
「未来っ! いつまで寝てんだよ。そろそろ起きろ」
「……」
近づいていく。
「もうすぐ、雨が降る。早く起きないとびしょ濡れになるぞ。なぁ、未来」
さらに一歩。もう一歩。徐々に俺と未来との距離が近づく。それに伴い、ある違和感が生まれた。さっき見た時よりも未来の背中が大きくなった? ような気がする。目の錯覚かな。
「未来、なにしてんだよ! さっさと起きろって。もう帰る時間なんだよ」
緊張と焦りーーーー。
俺は、何を恐れているんだ。
「……僕から離れ…て」
えっ。
「何言ってんだよ。ワケ分からないこと言ってないで、早く起きな」
「カプセルを飲むのを忘れてた。もう時間がない……。理性があるうちに早くこの場から逃げてくれ。さぁ、早くっ!」
未来の顔を見て絶句した。
理科準備室にある狼の剥製。未来は、それと同じような目をしていた。口からは、牙のようなものも確認できる。さっきからずっと未来は、重苦しい息を吐き続けていた。小さな雨粒が、俺の頬を流れる。とうとう降ってきた。
「なっ! なんだよ、それは。悪い冗談はやめてくれ」
冗談なんかじゃないこと。分かっていた。『生物兵器』その言葉が真っ先に頭に浮かんだ。どういう理由かは分からないが、未来も八条院と同じ生物兵器に違いない。
とにかく今は、この場から逃げよう。ようやく、正常な判断を下せるようになった頭が、止まっていた両足に指令を出す。
「いっ!!!」
しかし、その意思に反して左足しか動かせなかった。その原因は、俺の右足を未来の巨木のような手が掴んでいるからで。信じられない速さで、未来は俺との距離を詰めていた。
「痛っ……」
無理に動かすと激痛がした。足の骨が折れそうだ。
お前を絶対に逃がさない! 言葉を発しなくてもその手からは、嫌というほど未来の意志を感じた。未来の鋭い爪が足に食い込むと、頭がチカチカと明滅するような痛みが全身に走った。
ヤバイ。
ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
このままじゃ、未来に喰われる。ここで死ぬのかよ……嘘だろ。両者の力の差を感じ、すでに逃げる気すら失せていた。口を開けた未来が、俺に覆い被さる。一瞬で殺してくれ。せめてもの願いだった。
ヒュゥウオッッ。
谷間風のような音。それと同時。
何かが、顔の前を横切った。数秒遅れで、それが手だと分かった。その両手は、顔の半分まで裂けている未来の口を強引に押し広げた。呻き、必死に暴れて抵抗を続ける未来だったが、その手には抗えなかった。白く透き通った右腕が、未来の口の中に関節までズッポリと入っている。細枝のようなこの手のどこに、変異した未来に対抗できる力があるのか不思議だった。この手の主。雨に濡れた短いスカートが、風になびいている。
「八条院……」
ジュポッ。
未来の口から手を抜いた彼女は、俺をチラッと見た。彼女の目。血が溶けたような真っ赤な目の中にゴマのような細い瞳だけが浮かんでいた。その目を見て再び、死を覚悟した。未来の姿も恐ろしいが、八条院の目はそれ以上に俺に恐怖と絶望を与えた。自分が、喰われる存在であるとはっきりと分かった。
「震えてる。でも、もう大丈夫だよ。カプセルを無理矢理飲ませたから」
八条院は、一度目を閉じた。次に目を開けると、人間の目に戻っていた。その柔らかい顔を見て安心した俺は、口を微かに動かすことが出来た。
「ありが…と」
自分でも聞き取れないくらい声が小さい。もし、彼女の登場があと十秒遅れていたら、俺の頭は砕かれ、未来の腹の中に収まっていただろう。確実に殺されていた。今も倒れている未来。その体は、次第に縮小し、元の姿に戻りつつあった。
「未来は、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。何の問題もない。私の手が汚れた以外はね」
彼女は、俺にあの『赤いカプセル』を見せた。
「そのカプセルは、何に効くんだ?」
「これは、私達の発作を抑えることが出来る唯一の特効薬なの。もう分かってると思うけど、未来も私と同じ生物兵器。管理されていた施設は、お互い違うけどね。でも未来って、本当にマヌケ。薬を飲むのは、私達には空気を吸うのと同じくらい自然な行動なのに。それを忘れるなんて信じられないよ」
俺は、ずっと前から気になっていたことを質問した。
「あのさ……生物兵器って、そんなに何人もいるの?」
「何体って言わないところが、正義の優しいところだよね。そういうところ好きぃ」
「いいから、それは」
「ねぇねぇ。寒いから、中で話そうよ」
「ん、そうだな。未来は、どうする?」
さすがに、服も破れてほぼ全裸に近いあの姿じゃ風邪を引くかもしれない。
「あのままにしておけばいいよ。罰よ、罰」
「いやっ、あの姿じゃさすがに可哀想だ」
鉄扉を開けると階段を駆け下り、教室に戻った。体操着が入っている袋を持って、また屋上に行く。走る途中、多少足は痛んだが、特に問題はなかった。手形はくっきりと足についているが、すぐに消えるだろう。
俺は、赤ちゃんのように安らかに寝ている未来の頬を軽く平手打ちし、起こした。
「風邪引くから、これ着な」
「……ごめん。襲ったりして……。僕、なんて君に謝ったらいいか……」
「いいよ、別に。発作時は、理性がないんでしょ? なら、仕方ない。未来のせいじゃない。でも、かなり命の危険を感じたからさ、ジュース三本でチャラにするわ」
「うぅ、ありがとう。君は、なんて優しい心の持ち主なんだ」
まるで、舞台で演じているかのようなオーバーアクションで(全裸で)抱きつこうとする未来を、初めてやったバックステップで避けた。
ベシャッと雨で濡れた地面に全身を強打する未来。頭を両手で抱え、ジタバタと暴れていた。
「あれだけ、元気なら大丈夫。行くよ、ほら」
「だな」
俺と八条院は未来を残し、屋上を後にした。
二人で、教室前の廊下を歩く。生徒の大半は、すでに帰宅したり、部活動の為に外に出ている。廊下には、俺達以外誰もいなかった。
「教室で話す? 今は誰もいないだろうから」
「もしかして、誰もいない教室でエッチなことするつもりじゃないよね? いやっ、私はいいんだけどね。……でも、あれかな。まだ、心の準備が出来てなぃかも………」
モジモジしている。
漫画の読み過ぎじゃないか?
「そんなことしないよ」
「え~~。まぁいいけどさ~。なら、ママに聞いたほうが早いかも。まだ、校長室にいるだろうし」
俺の手を引き、走り出す。
「ち、ちょっと待って! いきなり、校長室に行ったら失礼だって」
その言葉は、彼女には届いていなかった。校長室の前で立ち止まった八条院は、元気良く叫んだ。
「ママぁ! ママぁ! ここ開けてぇーーー。正義がね、話したいことがあるんだって」
正気か。
家ならともかく、ここは学校。こんな大声で叫ぶのは非常識すぎる。しかも自分からママって言っちゃってるし。たしか、八条院は学校の皆に校長と親子だって知られたくないんだよな。
明らかな矛盾。
「入りなさい」
中から、校長の声がした。少し怒気を含んだ声色をしているのは気のせいかな。
八条院が思い切り扉を開け、俺は静かにその扉を閉めた。校長室に入るのは、初めての経験なので、内心かなりドキドキしていた。部屋に入った瞬間、古紙の匂いがした。小学生の頃、何度か利用した視聴覚室の雰囲気に似ている。歴代校長の写真が、天井近くの壁に飾られていた。その下に、分厚い本がびっしりと入っている書棚がある。
大きな窓は、少し開いており、外から湿気を帯びた風が部屋に入りこんでいた。どうやら雨は止んだらしい。その窓の前で、執務机に座っている女性。
眼鏡をかけて、髪を後ろで束ねている。八条院家のメイド長であり、彼女のお母さんでもあり、この学校の校長でもある女性が、僕たちの目の前にいた。やっぱり、威厳がある。雰囲気が、家にお邪魔した時とだいぶ違う。
「ママ、あのね。正義が、ママに聞きたい事があるんだって」
「夢羽。学校では、ママではなく校長先生って言いなさい。前にも注意したでしょ?」
「うん……。ごめんなさい」
反省している。
「竹島君。話って何かな?」
ダークグレーの回転椅子から立った校長が、俺の前まで来て微笑んだ。相変わらず、美人。応接時に使用するためのソファーに腰掛けた校長は、俺たちにも座るように促した。座った瞬間、尻が予想以上に深く沈んで驚いたが、慣れてくるととてもリラックスできた。目の前のセンターテーブルには、見たことのない外国のチョコがあり、八条院は無言でそれを食べていた。遠慮という言葉は、彼女の辞書にはないらしい。
正直、俺も一口味わいたかったが、気になっていたことを先に聞いておこうと思った。
「お忙しいところすみません。仕事の邪魔をしてしまって。どうしても気になったことがあったので来ました」
「早く聞きなよ。これから、ゲーセンに行くんだからさ。時間がなくなっちゃうよ」
軽く睨むと話を続けた。
「な、なによ。正義が怒っても全然恐くないんだから」
「夢羽。少し静かにしなさい。ごめんね。話を続けてちょうだい」
「あ、はい。今さっき、学校の屋上で僕の友達が変異したんです。彼も生物兵器でした。最初は、悪い冗談かと思ったんですけど。八条院が助けてくれなかったら、今頃喰われていました」
「そのお友達は、薬を飲むのを忘れていたのね。あれは、発作を抑える薬だから。一日一回は必ず飲まなくちゃダメなのよ」
手の平にかいた汗をズボンで拭った。部屋は適温のはずなのに、額にも汗が浮かんでいた。
「俺のクラスでも五人は、あの赤いカプセルを飲んでいました。ってことは、つまり彼らも生物兵器ってことですよね。最初は、八条院。彼女だけが特別な存在だと思っていたんですけど……。そもそも何人、いるんですか?」
いつの間に用意したのか。八条院は、冷たい麦茶の入ったグラスを俺に手渡した。それを一気に飲み干した。
「美味しい? この部屋乾燥してるから喉渇くよね」
「うん。ありがとう」
嬉しそうに笑っていた。髪を手の甲で撫でている。とても落ち着きがなく、足をバタつかせていた。彼女の無邪気な姿に思わず、口がにやけた。
「この学校はね、日本中から生物兵器の子供達を集めた特別な学校なの。現在、全生徒の三分の一くらいかなぁ。普通の学校では、馴染めない子供たちを監視付きで保護、教育してるの」
「そうだったんですか……。生物兵器を保護する場所。確かに同じ仲間がいたほうが安心でしょうし、何かと協力出来ますね」
たしか、次期生徒会長の前園も赤いカプセルを飲んでいた。彼女もそうだったのか。
「他に何か聞きたいことある? 時間ならあるから気にしなくて大丈夫よ」
「ないってば! ねぇ。早く帰ろうよ。ゲーセン、ゲーセン」
駄々をこねだした八条院を無視して、さらに質問した。
「その……彼らが飲んでる赤いカプセルって、どこで入手しているんですか? もちろん市販はされていないでしょうし、毎日飲むなら相当数の確保が必要になると思うんですけど」
「なかなか鋭い質問ね。赤いカプセルは、私たちの仲間が秘密の場所で大量に製造しているの。私たちは、あの薬を『ブラックモンキー』って呼んでいるわ。まぁ、薬の原料となる動物の名前がそのまま薬品名になっているんだけどね」
ブラックモンキー?
そんな動物がこの世の中にいるのか。聞いたことのない名前。
「興味あるって顔してるわね。君は特別だから、見せてもいいわよ。どうする?」
「見たいです、すごく」
「じゃあ、ちょっと待っててね。今、準備するから」
校長は、鍵のついた金庫から、重量感のあるメタリック塗装の箱を取り出した。その箱にも暗証番号を入力する画面がついていた。厳重に保管されているのは分かったが、この箱の中じゃ、中の動物は息が出来ないんじゃないかな。
「これよ。これが、私たちを救う希望『ブラックモンキー』」
校長は、黒い毛の塊のようなものを握っていた。強く握っているらしく、手には軽く血管が浮かんでいる。
「死んでいるんですか? 毛だらけで、中の様子がまるで分からないですけど」
「生きてるよ。君の持っている動物のイメージからは、かなりかけ離れていると思うけどね。手に持てば、ちゃんと体温を感じることも出来るし」
「そうなんですか……。でも、あんな密閉された箱の中で息は出来てるんですか?」
「このブラックモンキーはね、あまり息をしないのよ。無呼吸状態で一週間は生きられるの」
「無呼吸で一週間。凄いっ!」
こんな不思議な動物が、この世界にいたのか。興奮していた。そして、この動物を欲しいとすら思っていた。触りたい、そんな俺の心を見透かしたように校長は忠告した。
「あぁ、でも竹島君には飼ったり、触ったりすることは難しいかな。こうやって握ってないとすぐに逃げちゃうし。逃げ足が速いのよ、この子」
校長は、ゆっくりと手を広げた。さっきまで、瓢箪のように潰れていたブラックモンキー。解放された瞬間、僕の前から姿を消した。別によそ見をしていたわけじゃない。さっきまで校長の手の中に確かにいた。でも今はいない。煙のように消えてしまった。
「えっ?」
校長の足下や辺りを探した。
いない、どこにも。
「ママ、あまり困らせないで」
八条院は、立ち上がるとキョロキョロと目を動かし、手を伸ばした。一瞬、ハンマーを振り回した時のようなブンッ! と言う音が聞こえた。音の後、その手を見るとブラックモンキーがすでに手の中に収まっていた。一瞬の出来事。突然、消えたり現れたり、マジックのようだ。
「普通の人間の動体視力では、ブラモンの動きは速すぎて見えないんだよ。だから、私たちみたいな異常な眼力と俊敏な動きがないと捕獲も出来ない。そもそも常に握ってないとすぐ逃げちゃうしね。とっても面倒な動物だよ」
「へぇ………そうなんだ。飼うのは、無理だな。でもせめて少しだけでも触りたかったなぁ」
「今度、触らせてあげるね。コイツが冷たくなったら」
生きているうちにお願いします。
今も彼女の手の中で窮屈そうに暴れているブラックモンキー。苦しそうだ。
町は、うっすらと夜に染まってきていた。どこか寂しく、最も嫌いな時間になっていた。思いの外、校長室に長居してしまった。
「そろそろ帰ろうか」
「うん! 帰ろう」
「竹島君。一つだけ、お願いがあるんだけど。おばさんのお願い、聞いてくれない?」
両手を合わせ、上目遣いでお願いする校長。その仕草が、餌をねだるアライグマのようでなんとも愛らしかった。
「えっと、なんでしょうか? 俺にできることならなんだってしますけど」
「夢羽ちゃんと仲良く。二人で幸せになってほしいの」
後頭部に何か柔らかいものが当たっている。なんだ? 俺の耳元で、八条院が囁いている。
「私は、今のままでも十分幸せだよ」
その言葉はとても優しくて、甘く心に響いた。
「胸が、当たってるよ」
「!?」
八条院は、飛び上がると俺から離れた。視界が、パッと明るくなる。やはり、後ろから抱きしめていたようだ。今考えるとかなり恥ずかしい状況。しかも目の前には、校長もいるし。
「夢羽ちゃんって意外と胸あるのよ。母親似でね。フフ、将来楽しみでしょ? 色んな意味で」
校長は、エロ親父のような目で俺を見ていた。肯定も否定も出来ず、ただ黙ってうな垂れていた。それから、すぐに校長室を出た。なんだか、居心地が悪くなったから。
「また、夕飯一緒に食べましょうね。今度は、板前さん呼んで美味しいお刺身を用意して待ってるから。竹島君。夢羽のことこれからも宜しくね。校長としてではなく、母親としてお願いします」
正面玄関で靴を履き替えていると、俺の横に復活した未来が来た。走ってきたのか、はぁはぁと息遣いが荒い。
「今、帰り? 偶然だね、僕もだよ」
「なんか、わざとらしいな。その言い方」
何か企んでる。
「そ、そんなことないよ。偶然、帰りが一緒になっただけ。用心深いなぁ」
そう言うと、未来は靴箱を開けた。バサッ、バサバサバサ。少なく見積もっても十通以上のラブレターが、簀の子の上に雪崩式に落ちてきた。俺は、それを死んだ目で拾った。
「はい。相変わらず、おモテなようで。羨ましい限りですよ、全く」
「はぁ……彼女らには悪いけど、僕には夢羽ちゃんがいるしなぁ。こういうラブレターってさ、処分するのに困るんだよね~」
贅沢な悩みだな。俺なんか、今まで一度もラブレターなど貰ったことはないのに。不幸の手紙くらいだ、届いたのは。
「そういえば、夢羽ちゃんの姿が見えないけど。これから、ゲーセンに行くんでしょ? もちろん、僕もついていっていいよね。親友なわけだし」
昼休み中、未来は寝ていたはずだが。どうして、ゲーセンに行くことを知っているんだろう。恐ろしいほどの地獄耳だな。
「三人で行こう」
仕方ないな。まぁ、二人でも三人でもさほど変わらない。
「やったぁ! ありがとう。やっぱり、君は素晴らしいよ」
鼻歌交じりでスキップしている未来。僕たちは、校門前で待っていた八条院に声をかけた。
「却下っ!」
「まだ、何も言ってないよ」
「未来も連れて行くって言うんだろ。そんなのダメだ」
「そんなこと言わないでよぉ。お願いだからさ、僕も連れていってよ」
土下座する勢いの未来。その姿に同情すら覚える。
「三人で行こう。きっと、楽しいから。ね?」
「……ふぅ。仕方ないなぁ。その代わり、今日はヌイグルミ三個だから!」
自分で自分の首を絞めてしまった。はぁ。三人並んで歩き出した。
未来は、相変わらず八条院の機嫌をとろうと必死に話題を振っていた。それを無視するか、適当に返事を繰り返す彼女。俺は、そんな二人の後姿を見ていた。
(こうやって見ても普通の人間と変わらないな)
生物兵器。八条院や未来、校長も。今でも信じられないが、この目で見てしまった以上、もはや現実逃避は出来ない。
あの赤いカプセルがあるおかげで、彼らは普通に生活できる。ブラックモンキー様々だな、ほんと。
「どうした? やけに静かだね」
「お腹でも痛いんじゃないかなぁ。下痢だよ、きっと。そんなことより、夢羽ちゃん! ゲーセン行った後でさ、二人だけでカラオケ行かない?」
『二人だけ』そこを強調する未来。彼の目には、もはや俺の姿は映っていなかった。
「現世でも来世でも行かない」
「そんなぁ。はぁ、ショックだ」
「行ってきなよ。未来が、可哀想だし。あんなに涙まで流してるんだから」
「い・や・だ。私が、二人きりになるのは正義とだけだよ。他の男なんて虫けら以下の存在なんだから。虫と一緒にカラオケ行っても仕方ないでしょ?」
「……明日、もし僕が学校に来なかったら、双子山を警察と一緒に捜索してね。きっとそこには、以前僕だったモノが小便垂らしてぶら下がっているだろうから」
ハハ、と元気なく笑う未来。危険な状態だった。不安になった俺は、未来の耳元で囁く。
「八条院は、照れてるんだよ。未来が、あまりにもいい男だから」
薄っぺらーい嘘。
「本当っ、それ! やったぁ」
「こ、声のボリューム。みんな、見てる」
すれ違う人たちが、みんなクスクスと笑っていた。かなり恥ずかしい。
ゲーセンに着いた俺たちは、対戦ゲームやUFOキャッチャーをして遊んだ。
「ねぇねぇ。三人でプリクラ撮ろうよ!」
何故か、興奮している未来。プリクラなど興味なかったが、未来が眩しいくらいの笑顔で誘うもんだから俺も八条院も渋々参加した。
カシャッ。
出来上がったばかりのプリクラを見ながらぼんやりと考えていた。
「未来の部分だけマジックで消したこのプリクラさ、財布にでも貼っておいてよ」
学校で一緒に勉強し、学校帰りには時間を忘れるくらい夢中で遊ぶ。いつまで、こんな生活が出来るんだろう。
「どうした?」
もし、あの薬で発作を抑えることが出来なくなったら?
彼らは、躊躇なく俺を襲うだろう。恐いというよりも、なんだか凄く悲しくて。
「本当にお腹痛いの? 近くの薬局で薬買ってくるよ」
「大丈夫だよ。少し考え事してただけ」
「何を考えていたの? もしかして」
『私達が、化け物になって正義を襲うことかな』
ドキッとした。彼女の勘の鋭さに驚く。
「その可能性は、数パーセントもないと思うよ」
ってか、数パーセントって結構危険な値だな。
「まぁ、そのときは諦めてよ。僕の血となり肉となって、僕の中で永遠に生きてくれ! 他の奴に喰わせるぐらいなら僕が食べる。髪の毛一本も残さないよ」
コイツに至っては、もはや喰う前提で考えている。友達解消しようと本気で思った。
「綺麗な夜空だねぇ」
「明日も晴れるねぇ」
「なに、その棒読み。俺は、八条院や未来のこと信じてるよ。絶対に俺を襲わないって信じてる!!」
「ハハ…ハ……マジか」
その乾いた笑い止めろ!
友達を信じられなくなったら、終わりだろ?
まぁさっきは、喰われそうになったけど。今度は、きっと大丈夫。俺たちの絆は、過酷な運命も凌駕するはず。
「そろそろ夏も終わるねぇ」
「ほら、秋の足音がすぐそこまで来ているよ」
「だから、その棒読みはなんなんだよっ!! イライラするな。信じていいんだろ」
「文化祭の準備が始まるねぇ」
「今年の出し物は何かねぇ」
「…………もう……いいです」
心臓近くが、ギリギリと痛んだ。
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