2 アビゲイルが男全般をエリミネイトしようと決意したいきさつ

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2 アビゲイルが男全般をエリミネイトしようと決意したいきさつ

 アビゲイル・F・アーミテージは五人兄弟の真ん中という、もっとも投資のされずらい立ち位置に生まれた。上二人も下二人も男ばかりで、彼女は好むと好まざるとにかかわらず、彼らとなにかにつけて張り合う必要があった。  それは一種の生存競争といえる段階に達していた。明らかに全員へいき渡らないお菓子や夕食、教育資源、その他いろいろ。彼らが平等に扱われるのは乳離れまでである。あとは自分の才覚と体力で資源を両親から引き出さねばならないのだった。  両親は小規模の野菜農園を営むフランス南部出身のアメリカ移民一世で、四六時中、年がら年中農園へ出ずっぱりの典型的な貧困層であった。  彼女の住まいは古きよき時代(ベル・エポック)に建てられた、デザインもへったくれもない無味乾燥なアパート群の一画であった。低所得者を破格の家賃で優先的に入居させるという――にわかには信じがたいかもしれないが、あくまで善意の――合衆国の方策が功を奏し、めでたく一帯は悪鬼(ゴブリン)もはだしで逃げ出すような極貧スラムと化した。  四人もいる男兄弟たちの就職先は、スラム街に家族が根づいた時点で決まったようなものだった。選択肢はふたつある(ふたつしかなかったともいえるが)。すなわち①小規模野菜農園を引き継ぎ、わずかなアガリで細々と暮らす、②スラム自警団(マフィア)に入党し、麻薬(クスリ)拳銃(ハジキ)売買に精を出す。  迷うまでもなかった。男兄弟たちは四人とも②を選び、遅くとも14歳までには全員が教育からドロップアウトを完了していた。マフィア構成員にとって学歴は逆相関的な影響をおよぼす。常識を身につけさせる学校教育の毒牙からいかに早く離脱したかが、将来の昇進スピードに顕著な影響を与えるのだ。 「アビー、あんただけは」母親は涙にくれながら娘の肩を抱いた。「あんただけはまっとうな道をいくんだよ。絶対にダミアンやトリスタンみたいになっちゃいけないよ」 「大丈夫だよ母ちゃん」娘は泣き崩れている母親を安心させてやった。「あんなバカどもとあたしを一緒にすんなよ。偉くなってやるからさ」  母親は鼻の下をこすってはにかむ幼い娘を誇らしく思ういっぽう、彼女のガサツな側面を無視できないのだった。      *     *     *  アビゲイルが小学校を卒業するころには、四人兄弟のうちで生き残っているのは二分の一にまで減っていた。上の二人はマフィア間の抗争に巻き込まれ、それぞれ悲惨な死にかたをしていた。  ダミアンは札つきの若者がたむろする地下鉄の出入り口でコカインを売っているところを、コロンビア人の殺し屋集団によって文字通り解体された。コロンビア人たちはもともとこの地方に根づいていた老舗の麻薬組織であったのだが、ダミアンの所属していた新興勢力がそのシェアを奪いつつあった。  麻薬密売は縄張りが命である。棲み分けを理解していない者にはそれ相応の目に遭ってもらわねばならない。というわけで、ダミアンはそれ相応の目に遭った。彼らがプロであればまだよかったのだが、あいにくコロンビア人たちにプロを雇える資金はなく、必然的にセルフでやらねばならなかった。  殺しかたは回りくどく冗長で、ダミアンが脳死状態にいたるまでに数時間を要した(彼は見せしめのために、特段白状する秘密もないのにありとあらゆる拷問を受けさせられたのち、生きたままばらされた)。解体済みのパーツは不透明の黒いポリ袋に詰め込まれ、翌朝、アーミテージ家の玄関に届けられた。  トリスタンの最期も劣らず悲惨であった。彼の所属していた組織はひときわ知能の低い集まりであり、武力威嚇でライバルを蹴散らせばいずれ残るのは自分たちだけだという(いささか誤った)信念を持っていた。  組織はコロンビア人勢力の減殺を狙った一大侵攻作戦を企図、トリスタンを先頭にしたカチコミを決行した。部隊は12人、それぞれが旧式のリボルバー拳銃を片手にコロンビア人を殺しに殺した。  不意打ちだったのが功を奏してカチコミは成功し、事務所にいた構成員は皆殺しにされた。代償は大きかった。カチコミ部隊はもう二度と、夜道を五秒ごとに振り返らずに歩くことはできなくなった。  トリスタンは夜道を歩く際には五秒ごとに振り返っていたにもかかわらず、襲撃成功からたったの三日後、近くのドブ川に浮く破目となった。死体は嫌気性細菌にあらかた分解され、耐えがたい臭気を放っていた。  アビゲイルが中学校を卒業するころ、信じがたいことに弟二人すらも鬼籍に入っていた。二人は兄たちをしのぐ才覚を持っていた。小学校高学年で教育からドロップアウトし、友人たちが南北戦争の将軍やら南軍大統領やらの名前を覚えているかたわら、弟たちは麻薬の価格、拳銃の隠しかた、コロンビア人のたまり場がどこかを叩き込まれていた。  二人は少年の容姿で油断を誘うという(実に安直で愚かな)作戦に起用された。昨今の仮借ない抗争に警戒心を最大限まで引き上げていたコロンビア人たちは、彼らを一目見ただけで鉄砲玉(ヤバいガキども)と判断、機関短銃(マシン・ピストル)で二人の脳漿を歩道に飛び散らせた。  このとき、アビゲイル・F・アーミテージは確信した。!  彼女はカンカンに怒っていた。世の中に暴力を持ちこむ男性全般に。それは突き詰めていえば、Y染色体への憎悪でもあった。  こうして彼女は分子生物学者になるため、猛烈な努力を始めたのである。
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