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10 新しい命
「ねえ、サミー。種付けがしたいわ」
「──!?」
サミーが封蝋をボタボタとこぼしている。
あれは書状から書き直さないとだめだ。
「あのね、わかったほしいんだけど、最初は私、本当に1頭でいいと思っていたの。だけどドムを見ていたら、その……やっぱり牝も欲しいなって」
「びっくりした。牛の話か」
「ほかに何が? 馬はトムが管理してるでしょ?」
「あ、ああ。そうだね」
涼しい顔でサミーは汚れた書状を片付け始めた。
私は、夕食後に書斎で用があると言っていたのを思い出してこうして訪ねてきたのだけれど、壁一面の本にやや怯えている。だから戸口で仁王立ちしたまま、中に入れずにいた。
「それで、返事は?」
「牝牛だね。いいよ、手配しよう」
「やったぁ! ありがとうッ!!」
喜びが胸いっぱいに弾けて、ついつい机に駆け寄ってしまう。
燭台の灯に照らされて、ぬらりと私を見おろす本たちの事はすっかり忘れてしまった。
「実はもう名前も考えたのよ! サンダラ!!」
「いいね。力強くて美しい」
「そうでしょ!」
「でも、さすがに2頭となると人手が必要じゃないかい?」
私は両膝をついて、手だけちょこんと机に乗せた。
「……ッ、可愛い……っ」
わかっている。
それが狙いだ。
「そうなの。でもメアリーはドムと相性が悪くて。っていうか動物全般が苦手みたい。だからね、あとの8人を一度、実家に預けてもらえない?」
まあ、実際のところは10頭くらいひとりで面倒を見られる。
ただ私はこの先、後継ぎを産まなくてはいけない。骨盤に自信はあるけれど、大きなお腹を抱えてドムを追いかけ回すのはさすがに無理だ。
実家なら、家族と助け合う事が出来た。
この屋敷にも、私以外に私と同等の酪農ができる人が必要だ。
みんな体が大きくて頑丈そうなので、かなり期待している。
「彼女たちを? いいけど、それより実家から人を呼ぶのはどうだい? ベテラン揃いのほうが安心だろう」
「たくさん援助してくれて本当にありがとう、サミー。でも、向こうには向こうの生活があるから、呼びつけるのは嫌なのよ。動物も動揺するし」
「そうか。わかったよ」
ちょろい。
こうしてメアリーを除く8人のメイドが、私の実家へ研修旅行に出かけた。
2日後、半分の4人が早速帰ってきた。
「すみません奥様」
「馬が私を嫌うんです、奥様」
「豚ちゃんが押し寄せてきて気絶してしまいました」
「奥様、私……ううぅ」
ジュディ、キャリー、ブルネットのメアリー、エイミー。
新しい暮らしにも慣れたし、4人だったら覚えられる。
名前が被らなければ難しい事じゃない。
「そんな、いいのよ。私のわがままなんだから、謝らないで」
あと4人のうちの、2人はエミリーか……
どれとどれだろう……
1週間後、また2人帰ってきた。
「申し訳ございません、奥様」
「いいのよ、エミリー」
「頑張って奥様のお役に立ちたかったのですが、蕁麻疹が……っ」
「泣かないで、エミリー」
「「奥様」」
頑張ったけど向いてなかった2人は、どちらもエミリー。
絶好のチャンス到来だ。覚えた。
ふたりのエミリーを見あげながら手をあげて背中をさすっていたら、いつものメアリーが歩いてきた。いつもの陽気さははなく、真剣な表情で、競歩。
大 迫 力。
「奥様」
「「あ、メアリー」」
2人のエミリーが慌てて涙を拭う。
私は無言でメアリーに頷いて、エミリーたちにお礼を言って別れた。
実は誰にも秘密で、お医者様を呼んでもらっていたのだ。
診察を受けるのもメアリーに付き添ってもらった。
夕食の席で打ち明けられなかった私は、夜、またサミーの書斎を尋ねた。
「ねえ、サミー」
「なんだい?」
また封蝋のタイミングだ。
一瞬、悪いなと思った。でも言っていた。
「妊娠した」
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