ことりのやぼう

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「おじさん、ありがとう」 えへへ、と笑いかけようと、てのひらの上で後ろを振り返ったとき、「みつけた!」と大きな声がしました。 怪訝そうな顔でおじさんは声の方を向きます。 シーくんは、なんだか聞いたことのある声だなぁと考えて、あっと叫びました。 「いつもぼくのお世話してくれる人じゃん」 のほほんとしたシーくんの言葉に、おじさんはぎょっとしました。それはつまり、飼育員さんのことでしょう。 「ばか、お前それ、見つかったってことじゃないか」 「ゆ、誘拐犯め! シーくんを返せ!」 ようやく事態を飲み込めたシーくんは慌てて飼育員さんの肩へ止まり、一生懸命説明します。 「やめて! おじさんはいい人だよ。わるくないんだよ! 怒らないで!」 飼育員さんはシーくんが戻ってきたことでほっとしたようでしたが、おじさんへの警戒は解いていないようでした。カラスのおじさんは、ちっと舌打ちをして走り去ります。 「おじさん!」 すぐ後に、一羽のカラスがカアと鳴いて遠くの空へ飛んでいくのが見えました。これだから人間は嫌なんだ。悲しげな呟きが聞こえたような気がしました。 翌朝のニュースでは、シーくんの帰宅が全国ネットで報道されました。 『続いてのニュースです。昨日、午前五時頃、○○動物園で人気のシマエナガが、囲いの中にいないとの通報があり、警察では脱走の可能性があるとして捜索していましたが、昨日午後七時過ぎに、同動物園内で発見され、無事保護されました。 保護されたのは、動物園でアイドル的存在のシマエナガのシーくんです。調べによりますと、発見当時、ペンギンコーナーにいた不審な男がシーくんを捕まえており、誘拐の可能性が高いとのことです。男は現在逃亡中で、長身で、黒い外套のようなものを着ていたということです。続いて、お天気です……』 一連の騒動の翌日、シーくんの囲いの周りにはいつもに増して人が押し掛けていました。ニュースを見た人たちはひとめシーくんを見ようと大量にやってきたのです。 「ふ、ふふーん、なんだかよくわからないけど、君たちようやくぼくの可愛さに気がついたみたいだね!」 夜、人がいなくなるころにはシーくんは疲れきってしまいました。 ずっと可愛いポーズをしているのは疲れるのです。相変わらず、夜の動物園は不気味なほどに静かです。 そのとき、かさ、と天井で何かが動く音がしました。 「よう」 低い声。安心する、声。姿が夜に溶けていて輪郭が把握しづらい訪問者です。 「おじさん!」 嬉しくて、シーくんは自分が疲れていたのも忘れて天井に一番近い木の枝に止まります。 「よかった。また来てくれて。怒って、もう会いに来てくれないかと思った。ごめんね。昨日は、大丈夫だった?」 「ああ、悪かったな、コトリちゃんを置いていって」 「ううん。全然。そんなの平気。それより、ぼく、おじさんにお礼言わなきゃって思ってて。いろんなところに連れて行ってくれて、わがままいっぱい聞いてくれてありがとう。今までで、一番楽しい一日だった」 「コトリちゃんでも、そんなこと言うんだな。おどろいた。まあ、俺の気まぐれだから、礼なんて望んでないよ」 「おじさんも、楽しかった?」 「……」 無言は、きっと肯定だ、とシーくんは嬉しくなりました。 「えへへ。なんかさ、ぼくわかったんだ。会ってきた他のトリたちも優しいし、可愛いところもあるし、でもみんないろいろ大変なことあるのかなって。動物園に来る人たちもさ、ぼくだけじゃなくて、たくさんの他の動物の可愛さも見たいから、ずっとぼくにばかり騒いでくれないんだろうなって」 今日は、よくわからないけどぼく目当ての人がいっぱいいたみたいだけどね。なんでかな。シーくんは心の中で首をかしげます。 「ほう。突然、大人な意見を言うようになったな」 「本当? ぼくすごい?」 「はいはい、すごいよ。で? いつも言ってる世界一可愛いトリっていうのは? そこは変わらないのか」 「もっちろん! そこは他のトリには譲らないよ! だって、世界一可愛いのはこのぼく以外にありえないからね」 「はは。そうだな。コトリちゃんらしい」 今夜は、月が綺麗です。 しばしの、心地よい沈黙。 優しい風が、木々を撫でる音がします。 おじさんが、そろそろ行ってしまう時間でしょうか。 上から、かさりと身じろぐ音がします。 「シマエナガ」 「うん? なあに、カラスのおじさん」 「楽しかったよ」 おじさんの言葉が、シーくんの胸にじんわりと優しく浸透します。こみ上げる、なんともいえないあつい気持ち。 「……うん!」 「……じゃあな」 「またね。おやすみ、おじさん」 「おやすみ」   カラスのおじさんの頭からは、オカメさんに言われた言葉がずっと、離れませんでした。 そして、その夜。闇にまぎれるように、とけこむように、黒い姿は輪郭を失い、ひっそりと消えてしまいました。 「シーくん、おはよう!」 朝です。 ご機嫌な飼育員さんの声がシーくんの囲いにこだまします。 「無事に帰ってきてくれて嬉しいよ。……あ、まだ眠っているね。誘拐されていた上に、昨日はたくさん人が来ていたからねぇ。疲れちゃうよね」 飼育員さんはシーくんを起こさないようにそおっと水と食事を取り換えると、囲いの外に出て、眠る愛くるしいシーくんを微笑ましく見つめます。 「おや?」 ふと、囲いのとなりにある花壇を見ると、どこか野性味あふれる、挑戦するような目をした、しかし雪と見紛うような白いふわふわが、愛らしいさまでこちらを見ていました。 「君は……」 終
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