194人が本棚に入れています
本棚に追加
/177ページ
時間が、ない。
その言葉は、僕を現実に引き戻すには充分だった。
そしてそれを感じているのは、結子なんだ。
自分の身をもって、思い知らされている。
「正則さん」
目を閉じたまま、結子が僕を呼ぶ。
「どうした?水でも飲む?」
「ううん、いいの」
眠っているように見えるからか、とても穏やかで優しい顔をしていた。
「ねぇ、どうしてだと思う?」
「えっ?」
「どうして、私が死ぬんだろ?私、なにかしたかなぁ?そんなに悪いことした覚え…ないんだけどなぁ」
おかしいなぁ?と続ける結子が、ゆっくりと目を開いた。
「結子…」
「私、死にたくないなぁ」
どこか一点を見つめながら、結子が呟く。
これまで、一度も聞いたことがなかった弱音であり本音。
僕は結子のことを、とても強いと思っていた。
浮気した夫をあっさりと切り捨て、シングルマザーとして娘を育て、襲いかかった病に嘆くより先に娘の将来を任せられる相手を探し、見事に実行に移す。
どこかで、結子は自分の運命を受け入れているんだと思った。
だから有希のために、残された時間を有効に使う。
でも…そうじゃない。
そうじゃないんだ。
結子にこそ、残された時間を使わなきゃいけない。
「私、死にたくないよ」
何度もそう呟く結子の背を、僕は抱きしめることしかできなかった。
最初のコメントを投稿しよう!