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「うーわ、最悪。降ってきたよ。傘持ってきてねぇ」
「俺持ってるー」
「うっそ、マジで?どんだけ準備いいの」
「うーん、なんとなく?」
退社時刻が近付いた頃、同じ部署の齊藤と山田という二人がそんなやり取りをしていた。ありきたりな名字の上に仲がいい二人は、しばしば漫才コンビのように扱われた。
そちらへ一瞬視線を投げかけたと同時に、近くで落雷する音が響き、何かの映像が頭に浮かぶ。齊藤が傘立ての傘をいくつか物色し、一本抜き取るシーンだ。すると、その映像を見たのとほとんど同時に、山田が声を上げた。
「あれ?この傘、留め具のところに岡田って書いてあるけど。岡田って課長の名前じゃ……」
山田の言葉に、齊藤は青くなった。
「えっ、あ!ホントだ。俺、自分のと間違えたみたい。じゃ、お先!」
齊藤は捲し立てるように言うと、傘を山田に持たせたまま早足で立ち去った。
「なんだ?あいつ」
首を捻りつつ、傘立てに傘を返しに行く山田。
そこから数メートル離れた壁際の席で、俺は深く息を吐いた。
こうして「見る」のは初めてではないが、毎回突然起こるため、慣れることはない。どうやら他人の記憶のようだと気付いてからは、下手に周囲と関わるのはやめた。
それでも、この奇妙な能力がなくなることはなかったのだが。
ノートパソコンを閉じ、帰り支度をしている間にも雨は止むことなく、勢いを増してきた。あいにく見えるのは過去であって未来ではないため、雨の予報がテレビで流れなければ、傘は持って来ない。
会社のエントランスから外を眺め、道路の反対側にあるコンビニで傘を買うことにした。
「いらっしゃいませ」
店員の営業スマイルに出迎えられながら傘を探したが、見当たらない。
「すみません。傘は売っていな……」
学生ぐらいに見える店員に聞こうとした時だった。
視界の端にキラリと光るものが映ったかと思えば、突然何者かに引っ張られ、首筋に硬いものを押し当てられる感触がした。恐怖に引きつる店員の顔と周囲から上がる悲鳴で状況を理解しつつある中、低くくぐもった男の声が耳元でする。
「大人しくしてろ。少しでも妙な動きをしたら、こうなる」
首筋に当てられた刃物が首の皮を切る感触がして、滲んでいるだろう血と共にじわじわと恐怖が増した。
俺の表情を見て満足したらしい男は、店員に向かって脅しを口にする。
「金を出せ。店の有り金全部だ!」
「は、はいぃ!」
涙目になった店員がレジから金を出し、男に差し出す。
「よしよし。これだけあれば……」
俺を解放し、金を手に満足気に笑う男。目的の品が手に入って油断したのか、その背後はがら空きだった。俺が恐怖を抑えて飛びかかろうとしたが、それよりも横から現れた誰かの動きが早かった。
「ぐ……うっ……」
あまりに早く、鮮やかな動きを見ているうちに、強盗はいつの間にか倒れ、馬乗りになった男に手錠をかけられていた。
「18時21分、確保」
腕時計で時刻を確認した男は、そのままどこかに電話をかけ始める。
男の鋭い眼光とシャープな顎のラインからなんとなく目が離せずにいると、電話を終えた男と目が合った。視線が合わさったのは一秒にも満たない時間だったのかもしれないが、その僅かな間に鮮烈な光景が駆け巡った。
放課後の教室で言い争う俺と、かつての友人の顔。
美代子の涙。
大雨の中で泣きながら歩いた道。
冷たい視線。
怒りの声。
やめてくれと叫びかけたところで、すっとその光景は消えてなくなり、近付いてきた男に手を差し出されてはっと我に返った。
「……?」
へたり込んでいるわけでもないのに差し出された手は、握手のために垂直にもなっておらず、天井を向けて開かれている。意図が読めずに男の顔と手の間で視線を往復させると、男はようやく何かに気付いたのか、ゆっくりと手を下ろした。
「失礼」
「いえ……」
男が何をしようとしていたのかも、何がきっかけであの光景が浮かんだかも分からないまま、近付いてくるパトカーのサイレンの音を聞いていた。
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