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 障子の外でざあざあと雨が降っている。時折地響きのような雷鳴もして、俺はこのまま雷様に連れて行かれるのかなと熱に浮かされた頭でぼんやりと思う。  つい数分前、母の美代子がすりおろしりんごを持ってきてくれたが、食欲がないからと断ってしまい、今は近くに誰もいない。心細いと訴えるのも気恥ずかしく、気を紛らわそうと眠っていたが、眠り過ぎて寝つけなくなってしまった。  雨音を聞きながら何度も布団の中で寝返りを打って、しばらくした頃だろうか。ふいに、外に面した障子に誰かの影が浮かんだ。美代子かと思い、俺は呼びかけた。 「お母さん、りんごやっぱり食べ……」  終わりまで言う前に、ふと違和感を覚えて口を噤む。  障子に映った影の大きさが、美代子にしては小さい。父の信介でももちろんない。母より小さいはずがないからだ。まるで子供のように小さい影を見て、恐怖を覚えるより先に好奇心が生まれた。  紫崎一家の家が建っているのは山奥の小さな村の片隅で、子供の数も当然ながら少ない。さらに言うと、病弱なせいもあって、こんな酷い雨の中で自分を訪ねてきてくれるような友達もなかったため、誰かがわざわざ訪ねてきてくれたのだと思うと素直に嬉しい。 「君、だあれ?名前は何て言うの?」  ゆっくりと身を起こしながら尋ねると、障子の影が戸惑うように揺らいだ。 「ねえ、開けてもいい?」  返事はなかったが、拒絶の色は感じなかったため、驚かさないように慎重に障子の戸に手をかけて開けていく。  するとそこにいたのは、ちょうど俺と同じくらいの背格好の少年だった。見たこともないほど綺麗な青い浴衣のような服を着ていて、短く切り揃えられた漆黒の髪も艶があって美しいが、何よりもその目に吸い寄せられた。  こちらを一心に見つめてくる瞳から、どうしても目を逸らせない。一瞬ちらりと、なぜか自分の顔を見ているようだという思いが頭に浮かび、首を捻る。  変だな。俺とは全然似てないのに。  その後、少年に何度もいろんな質問を投げかけたが、何一つ答えが返ってくることはなかった。そのうち質問し過ぎて疲れ切って眠ると、少年はいつの間にか姿を消していた。  不思議なことに、その日を境に、また会えないかなと願ったタイミングで少年は度々姿を現し、会話はしなくても俺と遊んでくれた。それが嬉しくて風邪を引くのも平気になったのだが、ある時、俺はかつてないほどの高熱を出して数日間寝込んだ。半分死にかけていたのかもしれないが、夢か現か分からない空間で誰かと誰かが話をしている声を聞いた気がした。  その誰かに声をかけようとした時、微かに指先に痛みが走った気がして目を覚ますと、美代子が泣き腫らした目をして俺の手を握っていた。  どうやら本当に危険な状態だったらしいが、奇跡的に回復した後、あの少年は俺の前に姿を現さなくなり、代わりのように不思議な夢を見るようになった。  最初に見た夢では、俺は学校の先生になっていた。教壇の上に立ち、俺よりもずいぶん年上そうな生徒たちに授業を教え、寝ている生徒がいたら鋭く注意する。  その声は自分のものとは全く違って低く掠れていて、授業の内容も難し過ぎて理解ができない。授業の終わりと共にトイレで用を足そうとした時、トイレの鏡に目を向けると、全く知らない男が見つめ返していた。  その翌日もその翌々日も、人を変え、場所を変え、俺は夢の中で様々な体験をした。  どれも夢だと思って忘れてしまおうとしたが、毎回現実で起こったことのようにリアルで生々しく、いつまでも心に残った。  奇妙な夢は20年程が経った今も続いているが、数年前から夢だけではなくなった。
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