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1.チンパンジーとアーチェリーと、カウンター
あ、と思った時にはもう遅かった。
傾いだ弓と、離れていく弦。ぽす、という間の抜けた音を聞いて、やってしまったとため息をつく。
「矢、死んだかも」
「麻結は全然マシだって。私なんてシリアルキラーだよ」
私の呟きを聞きつけた翠が、あっけらかんと物騒なことを言う。
「こんなに暑いんじゃ、仕方ないよねえ」
「汗で滑るよね、集中できないし」
私たちは全部を夏の暑さのせいにして、愚痴を言い合った。
昨日から、高校は夏休みに入った。例の感染症のせいで、まだ先の見えない日々だ。また休校で夏休みが延びるかもしれないけれど、あとでツケが回って来る。授業をぎゅうぎゅうに詰め込まれるなんて、想像するだけで憂鬱だ。唯一の救いは、部活の弓道部が自由参加になったこと。毎朝早起きしなくても良い。
「麻結は明日も来る?」
矢取りに向かう途中、翠が私に聞いた。
「うん。午前中は夏期講習だから、午後ね」
「ああ、学校の。私は塾があるからパスしたんだよね。夏休みまで先生の授業受けたくないじゃん?」
確かにと相槌を打つ。私もできれば塾で、暗記の語呂合わせとか、問題を早く解く裏技とか、そういうテクニックを教わりたかった。でも、塾はお金がかかる。飲食店をやっている私の家は、客足が落ち込んで家計がピンチだ。なんとか持ちこたえられそうだけどまだ安心はできないし、出費が少ないに越したことはない。
的に中った矢を回収してから、だいぶ手前で土に半ば埋まった矢を引き抜く。幸い、折れたり羽がちぎれたりはしていなかった。まだ使えそうだ。
「ねえねえ、麻結」
土を払って立ち上がった私に、翠が顔を寄せてきた。視線は一番奥の的前に立つ男女に注がれている。
「あの二人、怪しいよね」
「ああ、この前一緒に帰ってるの見たよ」
「えっ何それ、ズルい!」
翠が口を尖らせた。ズルいのは決定的場面を目撃した私か、ちゃっかり付き合い始めた二人か。まあ、どちらでも構わない。そもそも私は恋愛に興味がない。でもそんなのわざわざ言うことでもないから、曖昧に笑うにとどめておいた。
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