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詳細に記された情報。
この情報が流出すれば、立場が危うくなる人間もいるはずだ。
例えば妻子や夫や恋人を持っている場合。
家族や恋人に内緒で淫花廓に通っている事を知られたくはないだろう。
他にも使い道がある。
遠回しにはなるが、ターゲットのお気に入りの男娼に口添えをさせる事も不可能ではない。
つまりこの情報があれば、相手を操る事ができるという事だ。
楼主も紅鳶もそれを面と向かって薦めてはこない。
だが、これは間違いなく今のミサキインテリアにとって切り札になるものだ。
しかし、こんな重要な情報をこんなにも軽く受け取っていいのか躊躇ってしまう。
他の企業に淫花廓が升麻にこの情報を渡したという事実が万が一にも知られてしまったら、淫花廓の立場はたちまち危うくなるからだ。
先行きに不安を抱いていた升麻にとってこの情報提供は有難いもの。
しかし、やはり淫花廓にそんなリスクを背負わせるわけにはいかない。
「あの…やっぱりこれは受け取れません」
升麻はそう言うと、ファイルをテーブルの上に置いた。
だが紅鳶はそれを読んでいたのか、スッと手を伸ばすとファイルを押し戻してくる。
「別に何も悪い事じゃない。お前はミサキインテリアの人間でもあるが、淫花廓の人間でもある。関係者がこれを持っていてもなんの支障もないだろう?」
「淫花廓の、人間…?」
「なんだ、忘れたのか?ちゃんと研修も受けてゆうずい邸の男娼に合格したろ?」
恐る恐る訊ねる升麻に向かって紅鳶が柔らかく微笑んでくる。
胸がじわりと熱くなった。
てっきりあの淫花廓で過ごした日々はなかった事にされたものとばかり思っていたからだ。
特に楼主は升麻がいずれミサキインテリアに戻る事を予測していたはず。
もしかしたら初めから升麻を本気で男娼として扱おうなんて思ってなかったのかもしれない。
淫花廓を去ってから今までずっと、そうやって卑屈に考えていたのだ。
ちゃんと残っている。
升麻の居場所が残っている。
ずっと自分の居場所というものに悩んできた升麻にとって、それは本当に嬉しいことだった。
「俺はお前の祖父と面識はないが、きっと楼主とは苦楽を共にした仲だったんだろう。自分の亡き後の事を考えて、一番信頼できる相手にお前の手助けを頼んだんじゃないのか。守銭奴で冷徹で愛想もないが、ああ見えて情は深い人なんだ」
紅鳶はそう言うと立ち上がり、升麻に向かってあらためてファイルを差し出してくる。
「これは楼主とお前の祖父との約束の証でもある。使う、使わないはお前の好きにすればいい」
紅鳶の言葉に後押しされ、升麻は小さく頷くとファイルを受け取った。
祖父との約束を忘れないでいてくれた楼主の気持ち、自分がいなくなった時の事まで考えてくれていた祖父の気持ち、それらを代弁して届けてくれた紅鳶の気持ち。
それが形となって今、手の中にある。
「ありがとう…ございます」
震える声で言うと、升麻はファイルを胸に抱えた。
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