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「どうした」
黙り込む升麻の肩に手が触れた。
はっとして顔を上げると、凛々しい顔が升麻をじっと見下ろしている。
「あ…いえ、なんでも…」
舛花に会えなくて寂しいとも言えず、升麻は紅鳶から視線を逸らした。
決して彼が悪いわけではないのだが、ここにいるのが舛花なら…と少し恨みがましい目で見てしまいそうだったからだ。
感じの悪い態度をとってしまったかもしれない。
そう思いながらドキドキしていると、紅鳶は升麻をベッドに腰掛けるよう促してきた。
「体調が優れなかったら遠慮せずにすぐに言うといい」
紅鳶の言葉に升麻は再び顔を上げる。
「あ、あの…僕のこと知ってるんですか?」
「あぁ、楼主から話は聞いている。だから俺の前では無理をしなくていい。今まで隠すのは辛かったろう」
紅鳶の優しい気遣いにじわりと胸が熱くなる。
「ありがとうございます。今は落ち着いていて…自分でも少し驚いてるくらいなんです」
紅鳶に対しての態度や不純な気持ちを恥じながら升麻はぼそぼそと答えた。
その一方で、また舛花の事を思い出す。
こうして升麻が慣れない淫花廓での生活を過ごせているのも、大きく体調を崩していないのも舛花がいたからだ。
升麻の病気を知っても口外せず、素人の升麻に根気よくつきあい優しく接してくれた。
舛花といる間は自分の病気の事なんか忘れてしまうくらいだった。
「そうか。だが、無茶はするな。季節の変わり目は体調を崩しやすいからな」
「はい」
「ところで舛花にはどこまで教わった?」
紅鳶の質問に、升麻は舛花に教わった研修内容を時々実際にやってみせながら説明した。
その間紅鳶は口を挟む事なく升麻のひとつひとつの動作をじっと見つめていた。
すこぶる緊張したが、なんとか教わった事を全て出し切る。
すると、それまで鋭かった紅鳶の眼差しが柔らかくなった。
「優秀だな。しっかりできている」
その瞬間、安堵で肩の力が抜けた。
升麻がしくじれば、それはつまり指導者の舛花の顔に泥を塗ることになる。
それだけはだめだと思っていたからだ。
「僕ではなく、教えてくれた人がとても優秀だったからです」
升麻は舛花の事を思い出しながら答えた。
それだけで体温が上がり、口元が勝手にゆるんでしまう。
恋とはこんなにも制御できないものなのか。
升麻は内心驚いていた。
数日前まで恋愛とは無縁のように生きていたのに、今では恋心に振り回されているのだから。
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