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へらりと笑う舛花をじっと見つめてくる楼主。
だがすぐに視線はそらされた。
「まぁいい。どっちにしろ教育期間はもう終わった」
「え?」
「え?」
楼主の言葉に舛花と升麻同時に反応する。
「よかったな。明日から晴れてゆうずい邸の男娼だ」
その瞬間頭を鈍器で殴られたような感覚に襲われた。
いつか来るとは思っていた日。
その日がついに来てしまったからだ。
ここにいる者は皆研修期間を得て、いつかは男娼としてデビューしていく。
実際舛花もそうやって男娼になった身だ。
升麻にもそんな日がやって来ることは、この淫花廓にいる以上避ける事はできない。
だが、いざそれが現実になってしまうと胸がざわつき、揺らいでしまう。
張り付けなければならない笑顔を忘れてしまうほどに。
「体調が回復しだい見世に出てもらう。初めての客はそうだな、手馴れた女の客でもつけてやるから安心しろ」
舛花の動揺をよそに、楼主は淡々とした口調で告げる。
そして五分も経たずに席を立つと入口に向かって歩き出した。
だが、ふと扉の前で足を止める。
「ああ、そうだ。一応お前の耳にも入れといてやる」
その時、楼主の纏う空気が僅かに変わったのを舛花は感じとった。
「ミサキインテリアがうちとの契約を切りたいと言ってきた」
「え…」
「どういう意図か知らねぇが先代と縁の深い企業との契約を次々と切っていってるらしい。やれやれ、三崎の新社長の考えてる事はいまいちわからねぇよな」
ほんの少し顔を傾けて、楼主が升麻へ視線を投げてくる。
鋭い眼差しはいつものそれだが、何か意味深な目つきをしているのが第三者の立場である舛花にもわかった。
「新社長…?そんな…どうして…」
「さあな。まぁ、お前にはもう関係のない事だったな。とにかく養生する事だ。まずお前がするべきことはそこからだろ」
楼主はそう言うと、男衆を引き連れて部屋を出て行った。
楼主の放つ緊迫感に引き摺られ、暫く静けさに包まれる室内。
その空気を破ったのは、ヒュッという不自然な呼吸音だった。
「升麻…?!大丈夫か?」
明らかにおかしくなった升麻の息遣い。
舛花は慌てて駆け寄ると背中を摩った。
「う、うん…だ、だいじょ…ぶ…っ、いつもの…こと、だから…」
「無理に喋んな」
胸を押さえながら必死に呼吸を整えようとする升麻。
その真っ青な顔を見下ろしながら舛花はなんとか平静を保とうと努めた。
さっき心の隅に追いやったばかりの不安が今にも吹き出してきそうになる。
「ミサキインテリア」
升麻が動揺を見せたのは楼主から出たその言葉を聞いてからだ。
その企業名はこの淫花廓に勤めているものなら誰でも知っているもの。
全国各地に製造会社やショールーム、営業所を構える大手家具メーカーだ。
小売りだけではなく法人向けのコントラクト事業も手がけており、ホテルや医療施設などの内装のトータルコーディネートなども行っている。
そして、この淫花廓の内装やデザインを手がけているのもそのミサキインテリアなのだ。
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