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升麻の想像以上に迫間と祖父は固い信頼関係で結ばれていたのだろう。
祖父が亡くなっても迫間の変わらない忠誠心と祖父を慕う気持ちが、彼の表情や態度からひしひしと伝わってくる。
肩を落とす迫間にどんな言葉をかければよいか悩んでいると、迫間の方が先に口を開いた。
「升麻様…どうか…ミサキインテリアへ戻っていただけませんか」
絞り出すような声で迫間が告げる。
そして突然椅子から立ち上がると、畳へ膝をついた。
「あなたがどんな思いをされて淫花廓へ来たかは私なりに理解しているつもりです。いきなり社長という重い荷を背負わされて、戸惑うのも仕方ありません。ですが先代がなぜ会社をあなたにと任せたいと切願したのか、なぜ洋介様や他の方ではなくあなたにと思ったのか、今一度考えてみてはいただけないでしょうか」
「迫間さん…」
「洋介様とよう子様、お二人の間違った選択を正しい方へ導けるのは升麻様しかいないのです!どうか、先代のため…いや、ミサキインテリアで働く社員とその家族のため、そしてこの淫花廓を守るためにも…どうか、どうかお願いいたします」
額を畳に擦り付け頭を垂れる迫間を見下ろしながら、升麻は思わず胸を押さえた。
迫間の気持ちは嬉しいが、自分にそんな力があるとは到底思えない。
病弱でひ弱。
祖父のような威厳も決断力もない。
だが迫間の言葉で気づいた。
会社というのは社員で成り立ち、その背景には社員の家族がいる。
ミサキインテリアが倒産すればそこで働く人はもちろん、その家族の人生まで壊してしまう事になる。
そして、この淫花廓にも沢山の男娼やそれを支えている人たちがいる。
やり手の楼主がそう簡単に淫花廓を潰すとは思えないが、もしもミサキインテリアのせいで舛花を路頭に迷わせてしまうかもしれない可能性が少しでもあるとすれば、それを簡単に許すことなどできるはずがない。
荷が重い。
肩に、背中に、重い鉛を乗せられている気分だ。
だが、不思議と以前のように逃げたいとは思わなかった。
守るべきものの姿がしっかりと見えているからなのかもしれない。
升麻はベッドから降りると畳に頭を擦り付ける迫間の肩に手を置いた。
「迫間さん、顔を上げてください」
升麻に促され、迫間がゆっくりと顔を上げる。
その悲愴に満ちた痛々しい横顔を見つめながら升麻はゆっくりと言葉を紡いだ。
「僕はずっと甘えていました。社長なんて僕じゃなくてもいい、投げ出せば誰かが代わりにやってくれるだろうって思ってたんです」
淫花廓へ来た理由はとにかくミサキインテリアから逃げたいという一心だった。
男娼になるため本気で研修には取り組んだが、本当のところは社長という責任から逃げだした事を上書きするための口実だったに過ぎない。
しかし大切なものができた今、そこに向き合う覚悟ができた。
守りたい…
初めてそう思った。
祖父の築いたミサキインテリアと迫間の思い、そこで働く社員とその家族。
そして一番は舛花…
彼の全てを。
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