花のうてな 10

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だが、舛花は険しい表情のまま升麻をジッと見下ろしている。 いつもならすぐに笑い返してくれるはずなのに。 「どっかに行く気だろ」 暫くして舛花が重い口を開いた。 その口調や表情から舛花の言う「どこか」がこの場所ではないことを悟る。 舛花は気づいていたのだ。 升麻が淫花廓(ここ)を出て行く事を。 「……」 黙り込む升麻。 舛花は小さく舌打ちをすると眉間に皺を寄せた。 「やっぱりな」 その顔にいつもの光はない。 心底失望したといわんばかりの表情だ。 途端に胸が締め付けられ、升麻は弁解しようと口を開く。 だが、それよりも先に舛花が口を開いた。 「お前は…そうじゃないと思ってた。お前だけは違うって思ってた」 苦々しい表情とともに絞り出される低い声。 升麻は舛花の腕を掴むと訴えた。 「舛花、お願い聞いて」 「聞きたくねぇ!!どうせ聞いたってお前は行くんだ!俺を置いて行くんだろ!」 ドン、と体を押され掴んでいた腕が離れた。 決して強く突き飛ばされたわけではない。 だがそこには明らかに拒絶があった。 数日前まであんなに幸せで、どんな弊害があっても乗り越えられると信じてた。 舛花という存在に生き甲斐を感じ、ネガティブだらけの人生で初めてもっと生きたいと思ったのだ。 だが今は舛花との間に川が横たわっている。 その川幅はどんどん広がって手を伸ばしてももう届くかどうかわからない。 「みんな俺を捨てる…最後には俺を捨てるんだ」 舛花はそう言うと左手で顔を覆った。 その隙間から強く食いしばる口元が見える。 違うって言わないと… 肩を落とす舛花の前で、升麻は懸命に彼を納得させる言葉を考えていた。 だが頭に浮かぶ言葉はどれも安っぽく感じてしまう。 そもそも本当に違うといえるのだろうか? 会社のために淫花廓を出て行くと決めた。 それはミサキインテリアのため、そこで働く従業員のため、そしてひいてはこの淫花廓のためでもある。 だが、果たして舛花にとってそれが正当な理由として成立するだろうか。 なれるはずもない男娼になりたいと言って彼に無理矢理教えを乞い、恋人同士になったのも束の間、淫花廓を出て行くことを突然突きつけられて。 升麻の身勝手さに一番振り回されているのは間違いなく舛花なのだ。 「ごめん…」 結局、升麻が出した言葉は謝罪だった。 舛花は何も返さず、升麻の事を一度も見ずに背中を向けて歩き出す。 大きくて広い背中が小さくなっていくのを見送る升麻。 だが次第に視界は滲み、遂には何も見えなくなってしまう。 ポロポロと大粒の涙を落としながら、升麻は声を殺して泣いた。 痛む胸の中、傷つけてしまった舛花へ謝罪を何度も呟きながら。
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