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舛花はギリギリと奥歯を噛み締めながら掴んだ手に力を込めた。
しかし、紅鳶の表情は一ミリも変わらない。
どんなに上から押さえつけても、どんなに舛花の方が優位な立ち位置であっても少しも屈する事のない強い意志。
それが、内側からオーラのように滲み出ているのがわかる。
いっぱいいっぱいの自分とは違う、どこか余裕のある雰囲気。
それがまた余計に悔しくて、癪に触って、舛花は怒り任せに叫んだ。
「あんたに言われたくない!!同じ淫花廓の中で好きな相手と四六時中一緒にいられるあんたに俺の何がわかる?!」
すると、それまでされるがままだった紅鳶の目の色が変わった。
胸倉を掴んでいた舛花の腕に紅鳶の手が乗ったかと思った次の瞬間。
視点がぐるりと変わり、気が付いたら舛花の方が下敷きにされていた。
「じゃあ聞くがお前は知っているのか?俺たちが何の障害も苦労もなく、簡単に今の状況になったと思うその根拠を言ってみろ」
口調こそ穏やかだが、その眼差しは今にも噛みつかんばかりの勢いでギラギラとしている。
その威圧感に気圧されて、結局舛花はぐうの音もでなくなってしまった。
元より言い争うほどの考えも意見も舛花にはない。
なぜならただの八つ当たりだからだ。
今の舛花は、思い通りにならない事に腹を立てて癇癪を起こしている子どもと一緒なのだ。
「お前の過去に何があったかは知らない。だがいつまでも過去に囚われていたら先へは進めない。お前もいい加減わかってるんだろ」
黙り込む舛花に紅鳶が畳み掛けてくる。
その言葉は舛花の心の痛い場所に突き刺さった。
いつも諦めていた。
離れていく人の後ろ姿を見送りながら、またかと諦めて追いかける事も引き留める事もしてこなかった。
引き留めるほど大切に思っていなかったというのもあるかもしれない。
だが、決して悲しみや寂しさがないわけではなかった。
本当は怖かったのだ。
その後悔や寂しさを口にしたら、自分がこれまで築いてきたものが全部無駄になってしまいそうで。
愛なんかなくても、それを与えてくれる人がいなくても一人で生きていける。
そんな考えを原動力にした生き方をしてきたせいか、その考えを曲げてしまったら苦しみ傷ついたあの日の自分自身が報われないような気がしていたからだ。
しかし、紅鳶の言う通りそんな意地は自分の足に枷をつけるものでしかなかった。
自分を守るために、これ以上傷つかないようにしてきたこれまでの行為は、結局舛花を苦しめる結果にしかならない。
升麻という存在を失ってから、それを痛切に感じているのだ。
舛花は唇を強く噛み締めた。
鉄の嫌な味が口の中にじわりと広がっていく。
だが、今更身に染みてわかったところでもうどうする事もできない。
升麻は外の世界へ行ってしまった。
厳しい決まりのあるこの淫花廓から出ることのできない舛花はもう、ジレンマを抱えて生きることしかできないのだ。
すると、それまで黙っていた紅鳶がぽそりと呟いた。
「明日、楼主の使いでミサキインテリアへ行く。一人くらい付き添いの男衆が増えても怪しまれないはずだ」
ギリギリ聞こえるくらいの声量だったが、その言葉はしっかりと舛花に届いていた。
「え…それって…」
舛花は瞠目しながら紅鳶を見上げる。
「勘違いするなよ。お前が鬱陶しいくらい暗いからどうにかしろと他の男娼からクレームが入っているから対処してるだけだ」
紅鳶はそう言うと、舛花の上から素早く地面に着地した。
乱れた着流しの形を整えると、緩やかな仕草で髪を掻き上げる。
次の瞬間、舛花は歓喜のあまり紅鳶に向かって飛びついていた。
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