花のうてな 12

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花のうてな 12

「それではこれで失礼致します」 終始一ミリも微笑む気配のない相手に深々と頭を下げると、升麻は足早にオフィスを後にした。 眉間を擦りながらため息を吐いていると、見慣れた車が目の前にゆっくりと停車する。 升麻が後部座席に乗り込むと、車はすぐにウィンカーを右に切り替えて発車した。 「お疲れ様でした。どうぞ」 運転席の迫間が労いの言葉とともにペットボトルを差し出してくる。 温かい容器を両手で包み込むとほんの少し気持ちがホッとして、升麻は「ありがとうございます」と礼を言った。 車は景色を追い越すようにぐんぐん進んでいく。 四回目の赤信号で車が止まったとき、迫間が口を開いた。 「西(ニシ)ハ、どうでしたか」 西ハ株式会社は、升麻が出向いていた会社の名前だ。 繊維製品や機能化成品、建材用素材の精製や販売を手掛けている。 ミサキインテリアで販売される家具に使う資材や布製品類は殆どこの西ハのもの。 つまりミサキインテリアにとって西ハはパートナー企業ともいえる大事な会社だ。 升麻の留守中、伯父と母が起こした騒動は当然この西ハにも影響を及ぼしていて、升麻はその釈明と謝罪の為に出向いていたのである。 先代とは友好的な関係であり、プライベートでもつきあいがあったと聞いていたが、実際会ってみるとそんな雰囲気は全くなかった。 「やっぱりこの前の契約解除宣言が尾を引いてるみたいです。間違いである事は再度伝えましたが社内抗争があるんじゃないかと疑われていて…。先代もいない今のミサキインテリアとはこれまでのように友好的なつきあいは難しいかもとまで言われてしまいました」 「そうですか…」 升麻の言葉に、迫間の声のトーンが落ちる。 ミサキインテリアへ戻ってきてから、升麻は暴走した伯父から何とか社長の座を取り返す事ができた。 母親には散々反対された。 病弱な升麻には社長業は務まらない、伯父である兄に譲れば楽だろうと。 身の丈に合っていないことは自分でもわかっていた。 クラスの学級委員長にもなった事がない升麻がいきなり責任ある立場になっても上手く立ち回ることなんかできない。 だが、升麻には迫間をはじめ力になってくれる人がいた。 自分に経験がないこと、無力である事を伝え、ミサキインテリアのために力を貸してほしいと頭を下げたら皆快く受け入れてくれたのだ。 失ってしまった信頼を取り戻すため、これからのミサキインテリアのため、とにかく自分にできる事をやる。 そう決めた升麻は毎日企業に足を運び関係修復に努めているのだ。 「地道に信頼を取り戻すしかないですね。最初の頃より心を開いてきてるところもありますし…淫花廓で気づいたんですけど、僕結構負けん気強い方みたいなんで」 冗談まじりに肩をすくめてみせるとルームミラー越しに迫間と目が合った。 歴史という名のシワが刻む目元が柔らかな曲線を描いている。 だが、その表情はたちまち曇った。 「升麻様が戻ってきて安心している反面、会社の事を話したのを後悔もしているんです。淫花廓に出向いた時、お顔がいつもと違うように見えたので…今更こんな事言うのは薄情かもしれませんが、もしかしたら想いを寄せていらっしゃるお相手がいたんじゃないんですか?」 迫間の言葉に升麻は思わず言葉を詰まらせた。 忘れようと努めていた記憶が頭によみがえってくる。 優しい笑顔と升麻を呼ぶ甘い声。 体温の高い肌、すっぽりと包み込む鍛えられた体。 その面影を振り払うように、升麻は無理矢理窓の外の景色に目を向けた。
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