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淫花廓を出てから一ヶ月。
結局舛花とはあの日以来顔を合わせる事はできなかった。
自分の決断を後悔はしていない。
これは、三崎に生まれ祖父の背中を見て育ち、先代から託された升麻が果たすべき責務だと思っている。
だがそれを舛花に言っていれば…自分の素性をきちんと話しておけば、こうはならなかっただろう。
全ては升麻のせい。
自分が招いてしまった結末だ。
あの日舛花に跳ね除けらてから暫くは涙腺が脆くなり、幾度となく隠れて泣いた。
生まれて初めて心の底から好きだと思えた相手との別れは想像以上に辛く、心を保つのに精一杯だった。
幸いミサキインテリアに戻ってからは山積みの問題を解決するために忙しくしていたため、頭の隅に追いやっていたが…
本当はずっと忘れる事などなんかできていないのだ。
「お前もそうやって俺を置いていくのか」
あの日舛花が言った言葉は、人との別れで何度も傷ついてきたような言葉だった。
あんなに優しくて明るくて強い舛花に悲しい顔をさせてしまったのは間違いなく升麻だ。
もしかしたらもう舛花は升麻の事など忘れているかもしれない。
彼は所謂太陽のような存在だ。
箱庭のような狭い世界にこそいるが、そこにやってきた人間を温かく包み込み、極上の快楽を与えてくれる。
太陽を求めてやって来る人は、この先もずっと途絶える事はないだろう。
もしかしたらその中でまた、彼が特別に大切にしたいと思える人が出てくるかもしれない。
ここ一ヶ月間、升麻はそうやって愛しい面影を消す理由を考えているのだ。
「お疲れ様でした」
ミサキインテリアの本社に戻ると、すぐに秘書に呼び止められた。
「社長のオフィスにお客様をお通ししています」
未だに慣れない『社長』という呼び名にもむず痒さを感じながら升麻は答える。
「どなたですか?」
「会社名を教えていただけなかったのですが、紅鳶といえばわかると…。あと変なお面をつけてる黒い人も一人…」
秘書はなんともいえない表情を浮かべると、升麻に囁いてきた。
「ご存知ですか?」
「はい、この会社にとってとても大切な方たちです」
升麻は感情を面に出さないように手短に返事をすると、足早に社長室へと向かった。
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