第25章 わたしたちが結ばれない理由

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「柘彦さんはわたしのこと、嫌いですか。わたしは大好きです。あなたのことずっと、多分ほんとに最初に出会った頃から。…でも、だから結婚してほしいってだけじゃなくて。柘彦さんが人知れずわたしのことを気にかけて支えてくれていたように、わたしもこの先の人生において少しでもあなたの助けになりたいんです。もちろんわたし程度にできることなんて、大したことないのはわかってるけど」 これから離婚調停を経て、どれだけのものを彼が失う羽目になるのかはわからない。夫妻の間には子どももいないし養育費はかからないからほどほどで済む可能性はある。 だけど一方で所有財産と慰謝料の金額は連動するっていうのが本当なら、かなりごっそりいかれてもおかしくない。おそらくだけどあのお屋敷は丸ごと彼女の取り分になる可能性が高いだろう。 そうしたら彼は帰る場所を失う。もちろんわたしも同じ立場だけど、だったら宿無しが二人で力を合わせてこの世間の海を、身を寄せあって渡って行くっていうのは。それなりに悪くない、合理的な解決法じゃないかな。 どんな感情の動きも見逃さないよう視線を間近に見据えた彼の目から逸らさなかった。 だからほんの一瞬、またたくようにそこに閃いた何かの光は気のせいじゃなかったと思いたいけど。それがどんな思いの表れなのか、そこまではわたしには読み取れなかった。 「…お気持ちはすごく嬉しいです。ありがとう、ございます」 やっと彼の口から出てきた台詞はこれ。 やや平板な声で途切れとぎれに告げられた言葉にやっぱり、と落胆する。わたしは肩をおとして呟いた。 「…駄目なんですね。まあ、…わかっては。いたけど」 「すみません」 謝られて、結局また振られてしまった。と実感が湧いてきてしゅんと気持ちが萎む。どうせこうなるに決まってるのに。勢いでプロポーズなんか、するんじゃなかった。 ここまで来たら毒くらわば皿まで、だ。わたしはやけくそになって投げやりに尋ねた。 「わたしじゃ子どもっぽ過ぎるとかですか。それとも、柘彦さんて。ほんとは好きな人とかいるの?」 静かに首を横に振ってあっさり否定する。 「それはないです。そういう問題ではありません」 じゃあどんな、と口にしかけて思いとどまる。 考えてみれば、そもそもこの人って根本的に他人に対して関心が持てないってことで悩んでいたんじゃなかったっけ。館を出てきて一緒に暮らすようになってから、感情が通わないとか心理的に距離を感じる瞬間がほとんどないのですっかり忘れてた。 そしたら、もともと誰とも結婚したい気持ちがないのがデフォルトの状態か。彼に対して特別な感情がなくてお互いに求めるのは功利的な条件だけ、っていう呉羽さんが特殊な例外に過ぎなかったんだ。 そう考えたら。彼のことを好きって打ち明けちゃったわたしなんか、もう絶対に無理に決まってる。思いに応えられないって最初からわかってるんだから。 再びがっくり落ち込むわたしの前に彼が膝を寄せて、ほんの少し間隔を詰めてきた。いつになく柔らかな声で優しく告げる。多分、わたしの気持ちを傷つけないように気を配って。 「眞珂さん。…そういう次第ですから。僕は、近日中にこの部屋を出て別のところに住みます。準備に数日かかりますので、あともう少しここでお世話になりますが」 「やっぱり。わたしのこと、嫌いなんだ」 また涙。じわ、と込み上げてくるもので声が潤む。彼はちょっと困った様子でごもごもと弁解した。 「嫌いじゃないです、絶対に。それは、…間違いないので。だけど」 「結婚はできない。一緒にも暮らせないんでしょう?わたしが、柘彦さんのこと好きだから?迷惑で困るってこと?」 だんだん聞き分けのない駄々っ子みたいな口調になってきた。半泣きでいじけるわたしに彼はほとほと困ったようで、珍しく当惑しきった声で宥めつつ説明にかかる。 「違います。そうじゃなくて…。好きかどうかとかの話はできないんですけれど。特別かそうじゃないかってことなら。眞珂さんは僕にとって特別なひとです。他の、世界中の誰よりも」 ちょっと思ってもいなかった台詞にわたしは一瞬だけ涙を忘れて、瞼を瞬かせた。 「…柘彦さんは。確か誰にも等しく同じように、基本的に関心がないんでしょう。そもそも」 「関心がないわけではなくて、薄いんです。だけど眞珂さんはそれとは別です。ずいぶん前から。というより、多分最初から」 …ちょっと待って。その話、どういうわけか。 これまで一度も打ち明けてもらったこと、なかった気がする…。 どっかで説明されたけどわたしが忘れるくらいぽんこつなのか。いやそんなはずない。君だけは特別だ、例外だって言われてたら。 結婚前に彼が、自分は他人から関心を持たれるのがどうしても無理って言ったとき。あそこまで心を折られて深く打ちひしがれることはなかったと思う。 多分これはわたしにとって今まで耳にしたことのない、初耳の話なんだ。その実感が急に胸に迫ってきて思わずぎゅっと両手の拳を握った。
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