第25章 わたしたちが結ばれない理由

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彼は気負うでもなく、ただ事実を述べるといった風に淡々とそう続けた。 「そのあともそれはずっと変わらなかった。今でもそうです。君がそばにいるから僕にはコーヒーの味がわかるし、食べ物も美味しい。理由はわからなかったけどそれは事実として受け入れざるを得ませんでした。君は僕にとって特別な存在です。他の誰とも同じじゃない、代わりのいないひとです」 「やっぱり結婚しましょう。柘彦さん」 好きと言われたわけでもないのに食い気味に意気込むわたし。いや、恋愛感情じゃないのは承知してる。理由ははっきりしないが近くにいると何故か五感が甦ってくると言われてるだけだし。 だけど、ごはんは美味しい方がいいし色や匂いは鮮やかな方がいい。それだけでも、一生一緒にいる価値はあるじゃない? だけどやっぱり彼は静かにそっと首を横に振った。 「それはできません。そんな理由で君を僕のそばに留めるわけにはいかない」 「何でですか。わたしがガキっぽくて、とてもじゃないけど女には思えないからですか。もっと綺麗で可愛くて、スタイルよくないと柘彦さんには釣り合わない?」 正直そこは本人もちょっと心配。と思いつつ勢いで食い下がるわたしに、彼は微かに和らいだ優しい目を向けた。 「眞珂さんは可愛いし綺麗です。…そうではなくて、僕が。君には全く相応しくないほどとても歳上だからです」 「…そんな理由?」 予想もしてなかったほど何てことない凡庸な話を持ち出され、わたしはむしろ毒気を抜かれて思わず独りごちた。 拍子抜けしたあまりについ遠慮のない呆れた口調になってしまったが、彼は気を悪くした風もなく生真面目に真っ向から反論してきた。 「重大なことです。君が考えるよりずっと、大きな問題ですよ。いいですか、僕は今もう三十二になりました。二十歳になったばかりの女の子とそのような関係になっていい年齢ではありません。干支ひと回り違うんですから」 干支? 「ちょっとよくわからない…。犯罪でもないし」 彼が表情をあまり変えないまでもやや気色ばんでいるのがわかり、気圧されて口ごもる。 「そこまでむきになるほどのことかなぁ。幼く見え過ぎて女性として見られない、って言われたらそりゃ黙るより他ないけど…。世間体悪い?能條家の当主がばりばりに仕事のできる大人の美女と別れて子どもみたいな発育不全のフリーターの女と再婚したって噂されたら…、恥ずかしい、か。確かに」 自分で言ってて途中で納得して考え込んでしまう。一般的に言ったら確かに。あの方、長いこと独身でいられたと思ってたら実はロリコンだったのね。と面白半分に後ろ指差されてもおかしくない、かも。 彼はわたしの前に膝を進めて静かに語りかけるような声で否定した。 「周囲がどう思うかは気になりません。あの館から離れれば、そもそも能條の家がどうだとか言う関係者とは二度と顔を合わせることもないでしょうし。そうではなくて…、君と僕とでは立場が対等とは言えません。フェアじゃない」 「…どうして?」 わたしは首を傾げて唸った。何がどっちに対してフェアじゃないのか。そこからもう理解できない。 彼は一体何に拘って難色を示してるんだろ。まずはその見当がつかないとこっちも上手く反駁できない。 思わず問いかける眼差しを彼に向けると、向こうもこちらの顔を正面から見つめ珍しく力を込めてはっきりと断言してきた。 「考えてみてください。眞珂さんは僕よりかっきり十二年、人生経験が不足しているんですよ。こういう言い方は何ですが、学校や家庭の中からそのままあの屋敷に来てずっとその内側でだけ働いていたわけですから。一般社会に出た経験もほぼありませんし。…そんな世の中を知らない、二十歳そこそこの女の子をひと回りも歳上のおじさんが騙して結婚に持ち込むなんて。思えば初めて出会ったときなんか、あなたはまだ十八歳の高校生でした。言語道断の所業ですよ。犯罪です」 「だから…。犯罪にはなりませんて。完全に合法な、はず。…だけど」 あんまり自信たっぷりに断言されるとこっちの確信もあやふやになってくる。二十歳って、まだ自分の意思だけで結婚てできないんだっけ?それとも十歳以上離れてるとそれだけでもう違法とか。いやそんな常識存在しないと思う。 そもそも、結婚に持ち込もうとしてるのはわたしの方なんだし。それにわたしが社会を知らないって話ならこの人だってそんなに違わない気がする。むしろ高校のときからバイトしてただけわたしの方がより社会との接点も多かった、と思うけどなぁ。 彼はだけど、思慮深い大人の面持ちを見せてやや声を和らげ、さらにわたしを説き伏せようとする。 「君が僕なんかを選ぼうとするのは、まだ広い世の中に出てたくさんの人と出会っていないからだと思う。箱庭みたいに狭い世界の中で早々にこれ、と思い定めてしまって視野が狭くなっているんですよ。本当は…、もっと、ずっと眞珂さんに相応しい頼り甲斐のある、あなたを完璧に守って支えてくれる、同世代の男性が。絶対にすぐに見つかるはずだと思う。早合点して手近なところで手を打って、あなたの人生の可能性を狭めて欲しくないんです」 「いえ。…柘彦さんみたいな人と結婚しようとするのを。手近で適当な相手で手を打った、と表現する人、多分あなた以外にいないと思います…」
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