第25章 わたしたちが結ばれない理由

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力なく抗弁したけど彼は全く意に介した反応を示さなかった。多分、わたしの言ってる意味がほとんど伝わらなかったんだろうと思う。 彼はこちらの言い分に最早取り合う気もなくしたらしく、それ以上わたしの台詞に拘りを見せることもなかった。ただ表情を僅かに引き締めて真剣な眼差しでわたしの顔を覗き込み、言い募った。 「眞珂さん。…僕はどうしても、あなたにこの世界で一番幸せな人になってほしい。そのためには。こんな、何も持っていない何もできない、情けない男では駄目です。僕にはあなたを幸せにする力がないし、幸せにしてもらう資格もない。そういうことをこの先の人生に求めてもいません」 一旦言葉を切り、声を落としてふと遠い目で呟くように付け加える。 「…僕は、君の尽力のおかげで。あの呪われた家から解き放たれて今こうして自由を手に入れることができた。これだけで、あとはもう。本当に充分です。あなたの手助けはここまででも…。この先は僕一人でも何とかやって行けるでしょう」 その手がためらうようにこちらに向けて伸ばされ、わたしの頬に近づいてきた。触れられる、と思ってついどぎまぎとなりきゅっと目を閉じる。ほんのすぐ近くまで来てその手は止まり、わたしに触れるのをやめた。 「僕は君に甘え過ぎました。ほんとはもう少し早くこの部屋を出なければいけなかった。君とノマドとの暮らしは賑やかで楽しくて、つい…。でも、もう大丈夫です。これまでどうもありがとうございました」 わたしに触れまいと思いとどまる仕草ときっぱりした声に、彼が本気でこの部屋での生活と決別する気なのがわかった。 わたしは柘彦さんを失った。その事実が急に実感され、胸にぎゅっと迫ってきてわたしは泣きそうになった。 せめて最後に頬くらい、触れてくれてもいいのに。そんな望みさえ叶わない。わたしを尊重するからこその遠慮だっていうのは伝わってきたけどだからって納得いくものでもない。震える喉から声を絞り出して何とか尋ねた。 「…わたしから離れるために。ここを出て行くの?どこか遠くへ行っちゃう?」 「いえ。そんなに遠くへは行きません。すぐ近くですよ、ほんの目の前です。このバーでの仕事は続けるつもりですし。まだバーテンダーの修行も終わっていません。ノマドとも離れたくないですからね」 …わたしじゃなく? 猫に負けた。とむくれるこちらの胸の内に気づいているのかいないのか、彼は少し柔らかな口調で宥めるようにわたしに言い聞かせた。 「この通りの角のところに。最近ずっと開けてない店舗兼住宅があるんですが、そこの二階に住んでいたお爺さんがこの街での一人暮らしに限界を感じるようになって。もっと静かに暮らせる場所の集合住宅に引っ越すことを考えているそうなんです。それで空いた建物に、とりあえず誰か代わりに住んでくれないかと…。当面売るつもりはないとのことなんですが、空き家にしておくと家は荒れますからね」 そんな話があったのか。わたしは相談を受けた覚えもないけど、もしかしたら少し前から彼はこの部屋を出る計画を立て始めていたのかもしれない。今回のことが起こる前からわたしとの生活にはそろそろ終止符を打つつもりだったんだろう。 「管理人を兼ねてとのことなので、賃貸料は相場よりだいぶ安く済みそうです。そういうことなので生活は何とかなると思います。この階下のバーには通いで勤めますし。ノマドとも、もちろん眞珂さんとも。これからもいくらでも会えますよ」 それと、これは大切なことなんですが。とふと口調を改めて彼は居住まいを正してわたしに真剣な眼差しを向けた。 「…眞珂さんは。四月からどうか学校へ通ってください」 「学校?」 突然突きつけられた要求に戸惑い彼の顔を見返す。柘彦さんはずいぶん前からそのことを考えていたのか、生真面目に頷いて淀みなくその意図の説明を始めた。 「館にいる頃に茅乃さんから報告は受けていました。大学を受験させたい彼女に対して、確かあなたは専門学校なら通う気があると…。茅乃さんが大学進学じゃないと、と学費を出し渋るので眞珂さんは自分の力で進学するつもりでこつこつとお給料を貯めていたのじゃなかったのですか。本当なら四月から、専門学校に通うに充分なくらいの額が貯まっていたはずでしょう?」 それは。…まあ、確かに。 わたしは肩をすぼめて黙って彼の言葉を肯定した。いろいろなことがいっぺんにあり過ぎて。正直入学手続きも何も、すっかり忘れてた…。 彼はわたしの目から視線を外さず、こちらの顔をまっすぐに見つめて言葉の先を継いだ。 「ここに来てからあなたはアルバイトもしていましたし。生活費や家賃を考えてもまだ学費くらいは用意できるだけの蓄えは残っているでしょう。お願いですから、どうかそのお金をご自身の将来のために使ってください。僕の方は自分のことくらい何とかなりそうですので」 「…別に、定職に就けさえすれば。二年とか四年とかかけてまでわざわざ学校に通う必要ないんじゃないかな…」 わたしは往生際悪くぼそぼそと抗弁した。
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