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第26章 わたしたちが踏み出す理由
『堤造園(有)』とどてっ腹にロゴを書かれた軽トラのハンドルを握って懐かしい、勝手知ったる鉄製の門の前に乗りつける。もっともここに来るのは別にあれ以来初めてってわけではない。学校を卒業して堤さんのところでお世話になるようになってからぼちぼちと、先方の様子を伺いながらではあるが最近ようやく出入りを再開し始めていた。
門の前に車を停めて降り、インターフォンを鳴らす。やや間があって、ごそ、とスピーカーがオンになり。いつもの調子で茅乃さんが応答する声がそこから響いてきた。
『…はい。ご苦労さま。ちょっと待ってね、今開けるわ』
「あーすみません、どうも」
門にはカメラが付いた。向こうからはモニターでわたしが見えてるから、いちいち名乗る必要はない。今日は約束があっての訪問だから彼女の反応に特に驚きとかはなし。わたしが泰然と運転席に戻る間に自動でがらがらと門扉が開いていく。
館の経営が変わって、関係者の出入りが多くなったからここの警備システムもだいぶ現代風になった。館に常駐してる人たちは暗証番号で門や建物への出入りを管理してるけど、わたしはただの来訪者だから当然インターフォンで連絡して中から開けてもらわないと敷地内には入れない。
以前より少しきれいに改装された建物の入り口から入ると、あんまり五年前と見た目は変化がない茅乃さんがわたしを出迎えるために奥の方から歩いてきたのに出くわした。
「…お疲れ、眞珂。わざわざ遠いとこからご苦労さまです。どうしよっか、まずは。事務所で話す?」
「いえ、どうせならサンルームかな。庭園見ながら説明もできるし。あとで外見て回るにしてもあそこなら、庭に出やすいでしょ?」
「ああ、なるほど。確かに。今日はその話しに来たんだもんね」
じゃあ、常世田さんと木崎くんもそっちに呼ぶね。と言ってポケットからスマホを取り出して素早く何事か打ち込む。わたしがこの家を出たあと、しばらくしてからここ常駐の庭園担当の子が後任者として入った。基本は通いだけど、家に帰るのが大変な日はここに泊まり込める部屋もある。って、常世田さんと同じような勤務形態のようだ。
澤野さんの家事を手伝う担当者もパートの通いで何人か増やした。館内の清掃やリネン管理は完全に業者の外注になったから、以前よりかえって楽だと前に会ったときに本人は言ってたな。
「常に住み込みなのは茅乃ちゃんとわたしだけになったしね。あとの人はみんな通いだから、基本は。もっともいつでも泊まれるから、たまに今日は人数多いなってこともあるけど。そういうときは誰かしら食事作るの手伝ってくれるし。だから、眞珂ちゃんいなくなって寂しいのはそりゃ、寂しいけど。どうしようもなくて詰むってこともなく何とかやっていけてるわ。そこは心配しなくて大丈夫よ」
「あ、はい。…ありがとうございます」
それでもさすがに申し訳なくて、わたしは深々と頭を下げた。
顔を合わせてそんな話ができるようになったのは、わたしと柘彦さんが出奔してからだいぶ経ってた頃のことだから。もちろん館の内情はとうにすっかり落ち着いていたし、経営が新しくなってシステムも変わってたからそんな風にあっけらかんと何事もなかったみたいにこだわりなく接してくれたのはありがたかった。
だけど、実際には当時はそりゃ、ばたばたと対応に追われてパニックで大変だったんだろうな。と想像すると今さらながら気が引ける。
目の前の彼のことで頭がいっぱいだったとは言え。周囲の迷惑も省みずよくあんなとんでもない思いきったことができたもんだ、と数年経つとやっぱり冷や汗ものだ。後先考えず無謀だったなぁって思うと、若さって怖い。
てきぱきした足取りでわたしの前に立ってサンルームに向かう茅乃さん。あとをついて歩きながら久々の館内の様子を思わずきょろきょろと見回してしまう。…ざっと見ただけでも、やっぱり。だいぶ印象変わって見えるな。
「なんか、明るく感じますね。隅々の方までちゃんと見えてるし。絨毯替えて、壁のクリーニングしました?…あ。照明か、もしかして」
「ご名答。照明新しく全部替えたよ。さすがだね、ガーデンデザイナー。そういう観察眼やっぱり身につくの?庭園も室内も基本は同じようなもんでしょ。今度、館内の改装も手がけてみる?」
いえいえ。もちろん冗談半分だろうけど、わたしは真面目に首を横に振って否定した。傍から思うほど似たようなもんじゃないんですよ。
「うーん。違いを見つける、ってだけなら。明るく見せるにはどうしたらいいかってとこから逆算するから確かに、とっかかりはありますけどね。実際にデザインするには…。建材とか壁紙とか、敷物の材質とかコストわかんないし。向こうは植物とか土とか、岩砂利だからね。外だと気候とか土壌とか地形の影響も考えるし」
「そっか、値段の相場わかんないと見積もり出せないか。それに素材の特性がわかんないと維持管理にも困るよね。デザインしたらしっ放しってわけにいかないから、やっぱり餅は餅屋なんだ」
そしたら結局専門学校行ってよかったのかぁ。まあ、大学だって造園科あるとこあっただろうけどとそう言いつつ最後に付け足すのがやっぱり茅乃さん、って感じ。わたしが大学行かなかったこと、まだちょっと根に持ってんのかな。
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