第25章 わたしたちが結ばれない理由

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そこで座卓の一角に座してクールな表情で目を閉じてやり取りに何の反応も見せずにいる茅乃さんの方を一瞬だけちらと見やる。もしかしたら今のは半分くらい彼女への皮肉なのか。長年柘彦さんを甘やかした当人と目されてるのかも。 「あんな風に、できないしやりたくないから仕方ないね、って見逃してもらえるような、そんな甘いものじゃない。肝心な年頃にこの人はきちんと教育されなかった。だから駄目なのよ、能力がないんじゃない。やる気が育ってないだけなのよ」 怒涛のようにひと息に吐き捨てられて思わず言葉を失う。 そうか。この人だって、資産家の家系に生まれて。そっちを引き継ぐ後継者でもあったんだよな。経営の才能があるから自分でもそれを元手に事業を展開できて、適性があるからこそだよなって傍から見ると簡単に思っちゃうけど。 本人からすればそういう立場に生まれたから血の滲むような努力をしたんだ、って言いたくなるかもしれない。 「…でも、だからと言って。適性のあるなしが全然関係ないとも思えないです。あなたには才能があったから。それだけのことを成し遂げられたんであって、小さな頃から柘彦さんが同じ努力をしても。同レベルのことができるようになるとは、限らないじゃないんですか?」 何ひとつ申し開きもしない本人を前にして思わず食い下がる。まるで代理戦争だ。 どこまでも言い返してくる小娘に苛立ったように、呉羽さんは忌々しげに言い放った。 「それでも。ちゃんとやれば最低限のことは絶対できるようになる。この人だって遅くない。前向きに取り組めばいつかは、館の主人として能條家の跡継ぎとして、地位に伴った能力が育ったはずだったのよ。今からだって可能性はある。わたしが支えれば…」 彼女は憐れむ気配を滲ませた視線を俯いたままの柘彦さんの頭の天辺に向けた。 「たとえ向いてなくても、わたしがサポートして人脈を作って。顔見知りを増やして自分の顔を売ればいい。幸いこの人は印象的な外見を持ってるし。誰もがそういう美点を持ち合わせて生まれるわけじゃないから、この人には運だってあるのよ。…根気強く広く知り合いを作っていけば、その中には僅かでも本当に気の合う人や話しやすいって思える相手に出会える。それをとっかかりにして少しずつリハビリしながら、世界を広げていけばいいじゃない。そうやって社会に足場を作っていく、その作業のほんのとば口だったのよ。…それをあなたが台無しにした」 わたしに怒りで燃えるような烈しい目を向ける。 「本当にあなたは、彼のことを真剣に考えて行動を起こしたの?ずっと将来の遠い先のことまで想定した?…この人だって、目先の数年だけじゃなく数十年の間死ぬまで生きていかなきゃならない。自分の住み慣れた、居心地のいい環境を保つために本人だって最低限の努力を払う必要があった。なのにあなたは何?こんな空気の悪い、馴染みのない都会にこの人を連れてきて。こんな場末の狭い古びた部屋に彼を押し込めて」 見下す態度でぐるり、と部屋の中を見渡した。 「清潔なひっそりとした館と空気のきれいな美しい薔薇園に囲まれて静かに生きてきた人よ。あなた本気で、彼をこんな猥雑な環境で死ぬまで暮らさせるつもり?考えてみなさいよ、本末転倒じゃない。彼に適した愛着のある場所での暮らしを守るためにわたしは、ほんの少しだけ彼を努力させようとした。あなたは彼を守るためと言い張って、彼の大好きな場所に二度と戻れなくなるような形でこの人を連れ去って。こんな劣悪な環境に彼を閉じ込めて、逃げ場を失くして無理やりに自分だけのものにしようとした。…あなたのは傲慢な、ただの独占欲よ。彼の未来のことなんて本心ではこれっぽっちも考慮していない。自分のことしか考えていないじゃない」 「わたしは」 そんなんじゃない。と勢い込んで反論しようとして頭を回転させてるとき、遅れて彼女の台詞の内容が意味をもって意識の中に迫ってきた。 …彼の、未来。 そんなこと言ったって。彼が目の前で今にも壊れそうだったんだ。あのままじゃ自動人形みたいに硬直して目の光も二度と戻らず、いつかは自分の内側に沈んで固まってしまう。そう思ったから。 緊急避難的に彼を追い詰めてるその場から連れ出したから、先のことなんて考えてる余裕がなかった。…それは、事実なんだけど。 わたしが反論に詰まったことで勝機の目を見出したのか、彼女は勝ち誇った声ですかさず上から畳みかける。 「彼が弱ってることに自分だけが気づいたから行動を起こした?だったら普通の考え方なら、わたしかせめて、言いにくければ下鶴さんにでもまずはそのことを強く訴えて相談を持ちかけるのが筋ってものでしょ。それをいきなり黙って連れ出して駆け落ちさせるなんて。この人が衰弱してて抵抗の意思も見せないのをいいことに…」 効果的に攻撃がヒットしてわたしを弱らせた、と認識したのか彼女が多少手心を加えてきた。さっきよりやや和らいだ口調で頭の悪い子どもに説き伏せるように念入りに言いくるめてくる。
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