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記録会のバイト
翌日。
授業を終えて放課後になってから、スピカはアレスに声をかける。
「ちょっとアセルス先輩に言われて、バイトに行ってくるね」
「ええ……アセルス先輩の紹介だったら大丈夫とは思うけど、なんのバイト?」
ふたりとも助けられた立場なため、特に彼女に対して悪い印象はない。口調からして貴族だとは思うが、彼女には貴族特有の傲慢さを感じないのだ。礼儀正しい人だとは思う。
アレスに怪訝な顔をされ、スピカはそういえばと思い至る。
「私もなんのバイトか聞いてない。記録会するから、それの記録係を探してるとは聞いたけど」
「ふーん、じゃあ校内?」
「うん。校庭前で待ち合わせなんだ。ルヴィリエと一緒に!」
「ふーん……」
アレスはなにか考え込むが、これ以上はなにも追求しなかった。
廊下で待ち合わせしていたルヴィリエと合流すると、ふたりでアセルスに言われた校庭前へと出かける。
アセルスと陰気な先輩に連れてこられた場所を見て、スピカとルヴィリエは「わあ……」と声を上げる。
大きな校庭には、それぞれのスポーツ部が部活動を行っているのが見える。なにぶんお金がかかるために平民であるスピカはそこまでスポーツに興味がなかったが、これでバイトができるとなったら、当然ながら張り切る。
「あのう、記録会ってなにをするんですか? なんの部活の記録を?」
「ええ。シュラークバルの打率の記録をお願いしたかったんです。なにぶん皆さん既に部活に所属してらっしゃるか、バイトに興味がないかのいずれかで、部活内の事務作業を行ってくださらなくって」
「バイトに興味がないって?」
スピカからしてみれば、町の物価が高過ぎるのだから、バイトをしたほうがいいに決まっているとは思う。魔法の勉強だってそりゃしたいが、先立つものがなかったらどうしようもない。
そう思うのだけれど、陰気な先輩が「うむ」と頷いた。
「平民であったら、バイトにも興味がある。しかし町は元々はスチルボン家から来ている店員の質がいいために、あそこの質を落としたくないと学生バイトを雇わん。よって路地裏の店舗ばかりにバイトが集まるが、あそこだけで平民のバイトが賄えるほどの仕事量はあるまいよ。だから、我らが学園内でできる仕事を増やして回っている。おかしいというものがおかしいと言えるようにな」
その先輩の言葉に、スピカはピンと来た。
(これ、革命組織が校内バイトを増やしているんだ……! てっきり生徒会や五貴人に真っ向から勝負を挑んでいるのかと思っていたけれど、よくよく考えたらゾーンを使えるような人たちをそう簡単にポンポンと敵対する訳ないかあ……)
スピカはそう理解したものの、そもそも革命組織のことを知らないルヴィリエはわからないという顔で髪を揺らしながら首を捻った。
「うーん……お金を実家から送ってもらうのは無理なんでしょうか? だって学費自体はここ、ただですから、それ以外を……」
「そうやすやす賄えるもんでもあるまいよ。特にスポーツには道具やユニフォーム、専用の靴まであるから、金のあるなしで入れる入れないが変わる。着の身着のままでできる部活動なんて文化系の部活に限られておるよ」
「うーん、そういうもんなんですか……」
ルヴィリエはまだ納得してないようだったが、一応は飲み込んだようだ。
どうにか話を打ち切るよう、スピカは尋ねる。
「それで、私たちはなんのスポーツの記録会に行けばいいんですか?」
「ええ。シュラークバルのものをね」
「あらま。あれですか」
シュラークバルはクロケットや野球に似た競技だが、違うのは投手……ピッチャーが存在しないという点だ。自分でボールを投げて自分でバットを打ち、守備の妨害をかいくぐってポールを巡るというルールになっている。
一チームに付き最低十二人集めるのが公式ルールではあるが、平民でも最低五人対五人で遊べるために、平民たちでも体育の授業や空き地で集まって遊ぶことはある。
見ている限り、シュラークバル部のチームメンバーを二手に分かれて公式ルールで練習試合を行うようだった。
「ふたりには、それぞれのチームの試合メンバーと試合の記録を書いて欲しいんです」
そう言ってアセルスは記録シートをふたりに貸し出してくれた。
それをスピカとルヴィリエはそれぞれ受け取り、頭を下げる。
「わかりました」
「もしわからない箇所があったら、それぞれのチームメンバーには話を通してあるから聞いてくださいね」
「はい。ルヴィリエはいけそう?」
「うん、これだったらなんとか。じゃあちゃちゃっと終わらせようか」
「うん」
それぞれチームのほうに移動して、スピカは「あっ」と声を上げた。
スピカの向かったチームには、先日出会った【恋人たち】のエルメスがいたのだ。それに彼は口笛を吹いた。
元々金髪碧眼の甘いマスクなのだから、ユニフォーム姿も様になっていた。
シュラークバルの記録会を見物している席には、エルメスの彼女のレダだけでなく、女性陣が熱視線を向けているように思える。
一度や二度だけでない出会いのせいか、彼も名前も知らない後輩をよく覚えているようだった。
「おや、ずいぶんと縁があるね」
「……こんにちは」
「なに、別にスポーツ中だ。取って食いやしないよ。まさか君があの子たちが言っていた記録係とは思っていなかったけど」
「そうですか……先輩がスポーツやっている人とは思ってませんでしたけど」
「なに? 日がな愛しの君と過ごしてそうって?」
「そんなことは……」
「遠慮することはないさ。そう思われても仕方ない言動はしているつもりだからね」
(自分で自分が軽薄だって、わかってるんだ……レダ先輩がいるのに、ものすっごく熱視線向けられているし、別にレダ先輩がいけずされている訳でもなさそうだし、このふたりの関係も独特だなあ……)
そうこう思っている間に試合がはじまった。
特にシュラークバルが好きでも嫌いでもないスピカだが、ルールがわかり、近い席で点数が入る入らないの攻防戦がされると面白い。
ときどき記録ボードに記入を忘れながらも、夢中で試合を観戦していた。
優男だと思っていたエルメスは、意外なことにシュラークバルがものすごく上手く、彼がボールを打てばたちまちファンの女性陣だけでなく、同チームからも歓声が上がる。思っているよりすごい選手だったんだなと、スピカは少なからず見直した。
(本当に……私とアレスが勝てたのは完全に運だよね……この人思っている以上にすごい人だったし)
そうしみじみとスピカが考えていたところで、またもエルメスがバットを強く振ってボールを打ち込んだ。
彼は風使いだが、【恋人たち】の能力を使っている素振りは見せない。ポールを超えたために、そのままぐるっと回って点数を入れてくる。
歓声の中、スピカは記録シートに書き込みを加えている中、ようやくベンチにエルメスが戻ってきた。
記録を付け終えたスピカが頭を下げる。
「お疲れ様です。すごかったです」
「どうも。しかし君はどこにでも現れるね?」
「いや、ただの偶然ですけど。今日もバイトのために来ましたし」
「ははははは……最近は学園内も混沌としていたしね、スポーツに打ち込めるだけの余裕は残っていて、正直ほっとしているよ」
「……アルカナ集めですか?」
「そうだね。あれは一発逆転の最終手段だから、今は君みたいにバイトをしたり勉強に打ち込むよりも、そちらに集中している子たちだっている」
それにますますスピカは訳がわからなくなった。
(この人、私たちを襲った割には……アルカナ集めに積極的ではない……?)
「あのう……アルカナ集めは【世界】が言い出しっぺですけど、先輩はあれ、よくないって思ってますか?」
「俺は一代爵位だから、貴族の爵位自体にそこまで大きな価値や意味があるとは思えないけれど、踏みつけられた人間は、踏みつけた人間を決して忘れないものだから」
「ああ……」
国はときおり一代限りと制限を付けて爵位を与えることがある。スピカもそれがどういう理屈なのかはわかっていないし、エルメスもそれをちっともありがたがってはいないようだが、一代限りでも爵位を欲する人だって、そりゃいるだろう。
入学して日が浅いスピカにすら、この学園のヒエラルキーがおかしいことくらいわかっているし、アレスの貴族嫌いを目にしていたら、身分事態にアレルギー反応を起こすことくらいだってあるのはわかる。
だからこそ、なおのことスピカはわからなかった。
「……ならどうして、私たちを襲ったんですか?」
「俺はどうでもよくってもね。世の中には優先順位ってものがあるのさ。君たちを狙う気はもうないけれど、それでも欲しているアルカナがあるんだったら、これからも勝てる試合はさせてもらうさ」
スピカはその言葉がますますわからなくなった。
試合は楽しく高揚するものなのに、どこか醒めてしまっている。
それが混乱しているせいなのか、現状のおかしさがもどかしいからなのか、今の彼女にはわからなかった。
****
校庭の端から、レダはシュラークバルの試合を見守っていた。
彼女自身、シュラークバルの試合自体にはそこまで興味がなかったが、エルメスがもっとも輝く瞬間を見るのが好きだった。
彼がバットを振るって点を取れば、途端に歓声が上がる。彼のプレイスタイルは、誰もかれもが魅入られる。
甘いマスクに運動神経が万能で、できないことがあまりないという彼は、レダにとってはもったいないくらいに大切な人だった。
だからこそ。
彼となにげなく話をしている後輩の少女の存在が気にかかった。
彼女を身を挺して守っていた少年は、今はいないようだ。
嫉妬している自覚がある。彼女が大アルカナの所持者である限り、レダは彼女より上の立場に行けることはないのだから。
「だから……やらないと」
(私は……あなたの本当の恋人になりたい)
エルメスを騙している自覚があるからこそ、レダは彼に嘘がばれて見捨てられることを、なによりもおそれている。
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