王都

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王都

 季節は夏を飛び越して、秋を迎えようとしていた。いよいよスピカの学園アルカナへの召喚が迫っていた。  学園アルカナからよこされた制服は、採寸もしていないにも関わらず、スピカにぴったりだった。  修道女のトゥニカを思わせるような白と黒を基調としたワンピースに袖を通すと、ストロベリーブロンドを掻き上げた。 「うん、よく似合う」  シュルマは複雑そうな顔で、制服姿のスピカを見た。それにスピカは笑う。 「おじさんそんな顔しないでよ。今生の別れみたいなさあ」 「ああ……だが本当に不安だ。忘れ物はないな?」 「うん、学園アルカナからの入学要項に書かれているものは、全部鞄に詰めた」 「アルカナカードは?」 「はい」  この国ではアルカナカードは身分証にもなるから、基本的にはカードフォルダーに入れ、服のポケットなりフォルダーに紐を付けてズボンベルトや首にぶら下げておくのが一般的であった。  スピカはカードフォルダーに入れたアルカナカードを取り出すと、それの表面をなぞる。  今までは小アルカナに偽装していたし、地元の人たちも学園アルカナがあまりにも縁遠いせいで制服の種類すら知らないから、彼女の本来のアルカナカードの存在を知らない。  だが、学園アルカナに召喚された以上は、大アルカナに偽装し直さなければならなかった。 【運命の輪】はアルカナカードの内容を偽装することができるが、いくつか条件が存在している。  見たことのないアルカナカードに偽装することは不可能なのだ。  彼女が日頃教会で下働きとして働いているのも、基本的に礼拝中はアルカナカードを掲げて行うのが慣わしなため、彼女は人のアルカナカードを見放題となる。  その中で、シュルマのアルカナカード以外だったら、スピカはアルカナカードをひとつしか見たことがない。  スピカが触れると【運命の輪】のカードの絵柄が変わる。 【運命の輪】から一転、【愚者】へと変わる。 【愚者】は他のアルカナカードと比べても、もっとも小アルカナに近いとされ、もっとも平民からも出現確率の高いとされている大アルカナであった。これの所持者の魔力量だって、平民より少し上くらいだとされているから、いくらでも誤魔化しが利くだろうと踏んだのだ。  スピカの判断に、シュルマは大きく頷いた。 「まあ、【愚者】への偽装が一番妥当だろうな。念のため、必要に迫られない限りはアルカナカードを人に見せるのは止めておきなさい。ここから先は、私は助けることができないから。本当になにかあったら、いつでも連絡してきなさい。あと、本当に何度も言うが【世界】にだけは気をつけなさい」  危機管理能力が高く育ったスピカとは言えども、王都に出るのは初めてなのだから、どうしてもシュルマの心配事は増える。  さすがにそれは彼女もよくわかっているものだから、何度も何度も素直に頷いて話を聞いていた。 「うん、わかった。おじさん。行ってきます」  こうしてスピカは小さな町を離れ、学園アルカナのある王都に向かっていった。  今までの生活で滅多にない鉄道を乗って辿り着いた王都の煌めきに、スピカはポカーンと大きく口を開いた。  自分の今まで住んでいた町だって、そこまで小さくはないし、田舎と呼ぶには鉄道も普通に敷かれている程度には人流の多い町だったのだが、王都は桁が違う。  白亜の建物が並び、そのどれもこれもがスピカの知っている民家や店よりも高さがある。遠目に王城があるのを見ながら、地図を見ながらうろうろと学園アルカナの敷地を探しはじめた。 「おじさんはなにかあったら店の人に聞きなさいって言ってたけど……」  スピカは王都に出るまでに何度も聞いたシュルマの言葉を思い返した。  教会は神殿の息がかかっている上に、王都内の教会は特に国に忠誠を誓っているから、見つかったらそのまま断頭台に連れて行かれてもおかしくないから止めておけ。  その点平民の場合は、なにかと貴族に対して言いたいことを溜め込んでいる場合が多いから、お金さえ払えば見逃してもらえる場合が大きいと。  スピカはどこかの店に入って場所を聞こうかと考え込んでいる中。 「おっとごめんよっ!」 「あ、こっちこそ!」  いきなり角でぶつかられて、スピカが頭を下げる。だが、ぶつかった男がなにか持っていることに気付いて、スピカは青褪める。  大して入ってないとは言えど、スピカの全財産の入った財布を持って男は走り出していたのだ。 「ま、待って! それ返して!」  ひったくりなんて、平和な町生まれのスピカは初めて遭遇した。  ぎょっとしたのは一瞬、慌てて男の背中を追って走りはじめた。  鞄を抱えて走ると、荷物の重さに負けて脚がもつれそうになる。だが全財産を失って、学園アルカナで無事にやっていけるかどうかわからない。外とどれだけ連絡ができるものなのか、なにもわからないのだから。  スピカは必死で走って引ったくりを追いかける中、だんだん路地裏に入り込んでいることに気がついた。だんだん道の端から甘い腐臭が漂い、あちこちにゴミがうち捨てられているのが目に入る。  その上高い建物のせいで影が落ちて表通りよりも暗い上に、民家もどんどん減ってきているため、土地勘のないスピカからしてみれば、不安にさいなまれそうになる。  男はそのまんま必死で走っている中、路地裏からそこそこ長い脚が伸びてきて、その男の足を思いっきり引っかけた。  そのまま男はつんのめってひっくり返る。 「あれー? ごめーん。俺、足が長くってー」  ケタケタ笑いながら出てきた少年を見て、スピカは目を瞬かせた。  教会の神官を思わせるカソックのようなデザインは、白と黒でつくられていた。その制服は、どう見ても学園アルカナのものだったのだ。  赤く短い髪の少年の口元には、にやりとした笑みが浮かんでおり、ひょいと屈み込んで、男の落としたスピカの財布を手に取った。 「これもーらい。俺の縄張りに来てひったくりとは、お前根性あるなあ」 「なっ……なんなんだ! お前は!」 「俺ぇ? 未来のエリートでーす」 「……お前なんか、学園アルカナで落ちぶれてしまえ!」 「なに? お前に使うつもりなんかなかったけど、喧嘩売られたなら買うよ?」  少年はケタケタと笑いながら自身のカードフォルダーを持つと、たちまち男は怯んだ顔をした。  小アルカナのアルカナカードは大した魔力を持っていないが、大アルカナのものは違う……大アルカナの固有魔法を使われてしまったら、小アルカナでは太刀打ちできない。  学園アルカナの制服を着た少年のあからさまな脅しに、男は途端に喉を突っ張らせて、そのまま必死で逃げ出してしまった。  それをスピカはポカンと眺めてから、おずおずと少年のほうに寄っていった。 「あ、あの……財布……ありがとうございます……」 「お前なあ……田舎から出てきた訳? だったらここに来たのなら、財布を分けろって教わらなかったのかあ?」 「へっ?」  スピカは目を瞬かせると、少年は大袈裟に溜息をついた。金色の瞳はうろんげにスピカを覗き込んでいる。 「普通に考えて、学園アルカナの制服着た女子がこんな路地裏にまでやってきたら、食べちまうぜーって奴に連れさらわれるに決まってんだろ。だから、なんか盗られても諦めるのが普通なんだよ。財布を分けるってのは、スリやひったくり対策」 「食べる? 私、食べられるところだったの?」 「ええ……もしかしなくっても、下ネタ通じない系?」 「えっ、今の下ネタだった……の?」  叔父であり出家済みのシュルマが下ネタなんかスピカに吹き込む訳もなく、そもそも平和な町出身の娘が、人流のもっとも多い王都に住まう子よりも耳年増な訳もなかった。  少年は呆れ返った顔して、「まあ、いいや」と言いながら、ひょいとスピカに財布を差し出した。それをスピカは「ありがとう」と言いながら受け取ると、少年は「じゃあな」と言って立ち去ろうとするので、慌てて彼女は「待って!」と彼の制服の裾を掴んだ。  少年はまたしもうろんげな目でスピカを睨んだ。 「なによ、俺そろそろ行くんだけどぉ?」 「い、一緒に行って! 私、迷子! 学園アルカナって、どっち!?」 「ええ……世間知らずって、お前貴族かなにか?」 「違う違う。私、王都は初めてで、本当に全然土地勘ないから……お願い。駄目?」 「んー……」  少年はスピカを上から下まで眺めたあと、ようやく溜息をついた。 「いいよ。多分俺と同い年だろ。このまんま行こう」 「ありがとう!」 「ふーん」  少年の声の意味は、スピカはよくわからなかった。 ****  表通りでも、王城から離れると静かな道も増えてきて、広々とした通りを路面列車が走っていくのが見える。路面列車のひとつに乗って、学園アルカナに向かうのだ。  スピカが「王都に着いたら歩いて行けると思ってた」と言ったら、途端に少年に笑われてしまった。 「お前っ、ほんっとうに世間知らずだなっ!?」 「し、知らないよ! 王都なんて初めてだったし! でも私の町だって別に田舎じゃないからね!? 普通に列車通ってるし! 本だって新聞だって、発売日にはちゃんと届くし!」 「そりゃ失敬。でも安心したー。学園アルカナに召喚決まったときは、貴族だらけの学校で俺ぼっち決定じゃんと思ってたのにさあ」 「そんなに学園アルカナって、貴族だらけなの? 私、貴族なんて見たこともないから実感が沸かなくって」 「まあ、地方のほうだとあんまり見ないかもな、貴族なんて。いるよ。あいつら本当にお高く止まってらっしゃるから」  少年はふんっと鼻息を立てた。  どうにもシュルマが言っていたように、平民の貴族嫌いというものは相当のものらしいし、普通に貴族が平民に対して態度が悪いらしいと、あまり実感が伴わないなりに、スピカは思う。  おまけに、路面列車に乗っているものの、学園アルカナの制服を着ているのはスピカと少年以外だったら、あとふたりほどしかいないのだ。 「学園アルカナって言うくらいだから、もっと召喚されているのかと思っていたけど……そんなに生徒がいないの? 私たち以外だったら同じ制服の人を見かけないんだけど」  スピカはちらりと制服の人たちを見るが、それぞれ手持ちの本を読んでいたり車窓を眺めていたりで、視線が合わなかった。  スピカの世間知らず丸出しな光景を一瞥しながら、少年は軽く手を振る。 「違う違う。そもそも大アルカナを持っていて、学園アルカナに召喚されるくらいに魔力量があるのが、ほとんど貴族だっていうだけだよ。貴族は路面列車なんか使わねえ。皆自分家から馬車で向かうから。平民とぎゅうぎゅう詰めで列車になんか乗りたくないってさ」 「そうなんだ……でもあなた……そんなに貴族が嫌い?」 「ああ、嫌いだね」  そうきっぱりと吐き捨てるように少年は言った。  スピカはその態度に、またも目を瞬かせた。悪態はつくし、口も悪いが、スピカからは少年は悪人には見えないのだ……善人ではないが、同い年の少年なんて大概女子に対しては態度が悪いから、こんなもんだと思える。まだ目の前の少年のほうがスピカのひったくられた財布を取り返してくれた分だけまだマシに思える程度だ。  だが、貴族の話をすると、途端にペラペラと毒を吐き出す。 「そういえば、自己紹介まだだったね。私、スピカ。スピカ・ヴァルゴ」 「あー、そういえばまだだったか。俺ぁ、アレス・キュリオンティ。よろしく」  そう言って手を出され、スピカもそれを握り返して握手した途端。アレスは周りを一瞬一瞥してから、スピカに「おい」と耳寄せた。 「……お前、本当は【愚者】じゃなくね?」 「……ええ?」  アレスは気付いたら、手にカードフォルダーを持っていた。スピカは思わず首に触れて、愕然とする。  どのタイミングでかはわからないが、アレスに首にかけていたカードフォルダーをすられていたのだ。 「……俺、【愚者】だからわかんの。【愚者】は一番多い大アルカナのカードだから、見せたら見くびられるから、わかりやすい場所になんかカードフォルダーは持ち歩かないし、礼拝のときくらいしか出さねえの。なんで隠さない訳?」  アレスにカードフォルダーを弾きながらそう指摘され、スピカはダラダラと冷や汗をかいた。 (油断した。この人は平民だし、助けてくれたから大丈夫かと思ってたのに。まさか……平凡な【愚者】だから見逃してもらえると思ったのに、まさか本物の【愚者】の人に特性のせいでばれるなんて、思わなかった……)  初手を誤ったことに、ただスピカは後悔した。 **** 【愚者】 ・××× ・××× ・×××
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