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生徒会執行部は、この数日間仕事で忙殺されていた。
会場の準備、楽団の手配、ドレスコートのレンタルの手配、社交界デビューを目前に控えている生徒たちへのダンス講座などなど。
それに加えて、学園内で起こっている不可思議な現象の調査に追われていた。
なお、未だに新入生から生徒会執行部に所属してくれるメンバーは出ていない。
「……以上になります。会長」
副会長のイシスからの報告に、オシリスは目眩を覚えていた。
アルカナ集めで、未だにアルカナを【世界】以外全てのアルカナを揃えたものは存在していない。【世界】が絶賛捜査中の【運命の輪】が完全にステルスを決め込んでしまっているのはもちろんのこと、あからさまにわかりやすいアルカナ所持者たちは実力者揃いだ。彼らからアルカナカードを取り上げられる猛者がそう簡単に現れなかったことが多い。
しかしそんな中、既にアルカナ集めに破れてアルカナを奪われたはずの生徒たちが、何故か新たなアルカナカードを携えて、再びアルカナ集めに参戦しているというケースが多数、生徒会執行部に届いていた。
「……おおかた、【世界】はこれだけ大事にしてまでも【運命の輪】を捕らえたいのだろうが……今までだってそう簡単に見つかってはいないんだ。手駒を増やしたところで、同じじゃないのか?」
「会長、私にはそこまで【運命の輪】が重要なのかはわかりかねますし……そもそもどうやって新しいアルカナカードを確保するんですか? そもそも用意することなんてできるんでしょうか……」
少なくとも生徒会執行部のメンバーの中で、【愚者】のようなアルカナのコピーができる人間なんていない。一部のアルカナにはカードの偽装ができるようになっていると聞き及んでいるが、それでも別のアルカナ所持者だった人間が、別のアルカナの所持者になるという例は、聞いたことがなかった。
イシスの疑問に、オシリスは深く深く溜息をついた。
「……【世界】の仕業だ」
「【世界】が? あの、【世界】が【運命の輪】を捕らえるために、こんな手間暇のかかることを?」
「おそらくだが、この一連の出来事は見せ罠だろう」
「見せ罠……ですか」
「だいたいの人間は暴れ回る人間のほうにばかり目が行き、本来の罠のほうには視線が向きにくい。俺たちを使ってまで、【運命の輪】に向かって【世界】はなにかを仕掛けてきている」
イシスはそれに沈黙する。【世界】の意図がなにもわからないというのがひとつ。会ったこともない【運命の輪】をそこまで警戒する意味がわからないというのがひとつ。学園アルカナに通っているのは、五貴人や貴族、捜索されている【運命の輪】だけでなく、平民や他のアルカナだっているというのに。
「あの方……迷惑を考えてらっしゃらないのですか?」
「あれはこの国の秩序しか考えていない。大事のための小事と言って、好きなだけ切り捨ているからな」
「……わたくし、ときどきわからなくなります。革命組織と五貴人、どちらのほうがマシなのかと」
実際問題、平民が学園生活に不自由しないようにと、彼らができる学園内のバイトを増やして回っている革命組織のほうが、まだ学園の平和にひと役買っているようにも見える。生徒会執行部も、彼らが問題行動さえ起こさなかったら、最初から事を構えるつもりはないのだから。
彼女の言葉に、オシリスはメガネの弦を押しながら苦言を呈する。
「イシス。これらは全部五貴人に筒抜けだ。それくらいにしておけ」
「……申し訳ございません」
「まあ、不満が出ても仕方がないだろう。この学園がいかに管理されているかということを、生徒会執行部はどうしても思い知らされることになるからな」
「……はい」
そこで学園内の不審な争いに関する議題は打ち切られ、目前に迫った舞踏会に関する議題に話は移った。
オシリスは【世界】がなにを考えているのかは知らない。ただ、心優しい貴族すら不満を覚えていることについて、なにかしらアクションを起こしたほうがいいとだけは思っているが、それすら筒抜けである以上、口にすることはできなかった。
****
五貴人もまた、舞踏会に向かっての服の手配で浮き足立っていた。
「ほら、これが新しいドレスですの。手配してから一週間で仕立て上げていただきましたのよ」
身長の高い華やかな女性は、新しいマーメイドラインのドレスをうっとりとしながら見せて回っていた。隣の抑揚のないかおの少女は、それを見守っている。
「……そう」
「あなたはわざわざ手配せずとも届くのですから、ありがたいことですわね?」
「……別に。私はタニア様のように自由ではないから」
「謙遜は典雅ではなくてよ。あなたの歌があれば、確実に国を……いいえ、世界を狙えるのですから」
「……そんなの、いらない」
「無欲が過ぎるのも考え物ですわね」
片や立っているだけで光り輝く星そのものの印象の女性。巻き上げた金髪にくっきりとしたエメラルドグリーンの瞳は華やかで、この学園の女性陣は皆一様に美しい造形をしているが、それを抜いても目を引くオーラを纏っている。
片や目を反らしてしまったらすぐに存在を忘れてしまうほどに印象の薄い少女。銀糸のような長い髪をひとつにまとめ、アメジストの瞳はけだるげだ。よくよく見れば大きいながらも垂れた目、控えめに引き結んだコスモス色の唇と、造形はおそろしく整っているのに、何故か印象が残らずにすぐに忘れてしまう。綺麗過ぎると返って印象に残らないを地で行く少女であった。
こう色も風格も対極なふたりを眺めながら、モスグリーンブロンドの青年は【世界】に声をかける。
「それにしても。君もずいぶんとまどろっこしいことをしているようだけれど。そろそろ【運命の輪】を捕らえる方法を得たのかな?」
「おや、君がそれについて興味があるとは思っていなかったのだけれど」
「もちろん、君がやりたいことにも、【運命の輪】にも、僕は正直あまり興味はないさ。だって日陰でめそめそしている子を探し出してつつき回すのも、皆でさらし首にするのも、そこには愛がないじゃないか」
「おやおやおや、【運命の輪】に愛ねえ……」
【世界】は目を細める。
天使のような造形が、まるで堕天したかのように歪む。
「僕はね、君の博愛主義をとやかく言う気はないんだ。本当だよ。君の愛は学園のいかなる生徒にだって必要だよ。でもね、【運命の輪】だけは駄目だ。【運命の輪】は秩序を乱すし、その秩序の乱れは混沌を招く……最悪、アルカナで統一された時代より逆行してしまいかねないんだからね」
「はい、これらは全て、きちんと教義でもお話ししていることでしょう?」
そう言いながらひょいと【世界】の隣に立った青年が、笑みを溢す。ブルーブロンドの長い髪を靡かせた青年は黒曜石の瞳を向けた。
教義の中で語られる神のような造形の彼は、穏やかな口調で語る。その口調を耳にすると、誰もが膝を折って懺悔のひとつでもしたくなるような、そんな不可思議な声色をしていた。
「アルカナが敷かれる前は、この国は混沌としていました。それはもう誰もかれもがむやみに魔法で地を荒らし、大気を濁らせ、空に逆らった……その混沌に秩序をもたらしたのがこのアルカナです。ですから、この秩序を脅かす存在は排除しなければならない。わかりやすい話でしょう?」
「僕はその教義の内容が本当かどうかわからないのだけれど。そもそも教義で語られている宗教は、支配体制にとって都合がいいようにできているよね。それって【世界】の? それとも神殿の? だから僕は鵜呑みにしてないのだけれど」
青年の反発に、【世界】は「そこまでだよ」と謳うように言った。
「疑問を持つことは破滅を招くよ。僕はこの国の皆に今が一番幸せだと、その幸福を享受して欲しいんだから。そのためだったら僕は皆の代わりに罪を犯すし、もちろん【運命の輪】だってこの手で葬る。そのための仕込みはあちこちに仕掛けたのだからね。時間はかかってしまったけれど、舞踏会に間に合わせたから充分だ」
「君、本当に勝手だよね。舞踏会には【運命の輪】だけじゃない。君の守るべき平民もいるし、社交界デビューの練習にやってきた貴族だっている。彼ら彼女らを巻き添えにするつもり?」
「【運命の輪】を血祭りに上げたあとなら、いくらだって楽しく過ごせばいいさ。そんなに時間は取らせないから。それに」
抑揚のない顔つきでお茶を飲んでいた少女は、【世界】に話を振られて小首を傾げた。
「【世界】様、私は次は、誰を壊せばいいの?」
鈴を転がしたような声で、おぞましいことをのたまった。
それにタニアと呼ばれた女性は「典雅ではありませんわ」と注意をしたものの、彼女は知らんぷりしてお茶を口にした。
【世界】はにこやかに答える。
「壊すのは【運命の輪】さ。仕掛けはしたからね。せいぜい後始末でオシリスには胃を痛めてもらおう」
「君、本当に勝手だよね。真面目に学園をよくしようとしている生徒会執行部の子たちが可哀想だ」
「君と話すと本当に話が堂々巡りだね。君が止める気なら、僕はそれに応えないといけないけれど?」
【世界】が小首を傾げると、彼の艶やかな髪に光輪が跳ねた。隣でにこにこと笑う神官の青年を見て、青年は深く溜息をついた。
「止めておくよ。僕も君のことは嫌いだけれど、絶対に負けるってわかる争いはしたくないし、優先順位があるから」
「うん。君が話のわかる人で助かっているよ」
「それで、【運命の輪】に仕掛けるのはいいとして、革命組織は放置しておくので?」
「うん、革命組織は足止めして、そこで【運命の輪】が始末されるのを見届けてもらおう。これで彼らの心を折れれば、もう下手な真似はしないだろうしね」
五貴人の皆を見ながら、【世界】は天使のような笑みを浮かべた。
この場にいる誰もが、彼のこの表情は本心からであり、他人から見たらおぞましいものだということを知っている。
「世界がどうか平和でありますように」
……彼らの言う秩序は、たったひとりの犠牲を持って成り立っている。
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