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狂想曲のはじまり
舞踏会当日。
スピカは寮の自室で、クローゼットの鏡を見ながらドレスを着付けていた。
使用人を雇っているような貴族たちならいざ知らず、平民は自分でドレスの着付けを行わなければいけなかった。
ミモレ丈のドレスは背後が長くレースが波打ち、脚だけを目立たせないものだった。
長い丈のドレスだったら動けなくなるが、短いと下手したら下品に見えかねないのを軽やかなレースがカバーしてくれている。
パステルピンクのドレスにバラのコサージュの愛らしさも、スピカは気に入っていた。
それに合わせてヒールが低めのパンプスを履く。本当だったら制服の制靴を履いていきたいと思っていたが、当然ながらルヴィリエに説教された。
「何足もドレス用の靴が買えないんだったら、せめて一足、なんにでも合うのを買いなさい。一足だけだったら、さすがにスピカでもなんとかなるでしょう?」
そう言われて渋々町の靴屋を回って買ったのは、できる限り覚えたステップを踏める程度に地面を踏みしめることができるヒールの低いパンプスだった。
飾りひとつないツルンとシンプルな白いそれだったら、次からドレスをレンタルすることになっても合わせることができるだろうという寸法だった。
首元を飾る首飾りは、さすがにこれ以上はどれだけ搾ってもスピカは捻出することができないからと、ルヴィリエから借りた。彼女から借りたのは真珠の首飾りで腰を抜かしそうになったが、ルヴィリエにやんわりと言われた。
「これ、偽物だから。だからそんなに怖がらないでよ」
「偽物って……でも本物そっくりで……」
「本物に似てなかったらドレスに合わせられないでしょ。さすがに子供用のビーズネックレスで行く訳にもいかないんだから」
「うん……」
そんなものかと思いながら借りた首飾りで、全体的にまとまった。
髪形は普段と同じハーフツインだけれど大丈夫だろう。そう思いながら、部屋を出て行った。
「あ、スピカ!」
そう言って手を振ってくれたルヴィリエの格好を見て、スピカは「ふわぁ……」と声を上げた。
ルヴィリエは勿忘草色のAラインドレスを着ていたのだ。オフショルダーだがいやらしくないよう白いショールを巻いている。
普段黄色いリボンで留めているブルーブロンドの髪はアップでまとめていて、普段の気の強い彼女を知っているとより一層大人びて見えた。耳飾りに首飾りとオプションは多いけれど、下品にならない程度に付いている。
「すごい、ルヴィリエ可愛い!」
「スピカこそ、可愛い! 私の貸した首飾りも似合ってる」
「ルヴィリエこそ。髪形まで自分でこんな風にまとめられるんだね?」
「ひとりで髪の毛をまとめられるようになったのだって、寮に入ってからよ?」
ふたりでそう言い合いながら、皆で待ち合わせした寮の入口へと向かう。
ダンスパーティーの会場は入学式も行った講堂のはずだが、今日はどうなっているのかはスピカたちも知らない。
ちらりと見ると、誰もかれもが華やかなドレスやドレススーツを着ている。
「やあ、フロイラインたち」
そう言って杖を携えて現れた姿に、スピカとルヴィリエは一瞬固まった。
相変わらずシルクハットに白塗りと、得体の知れない雰囲気のナブーだったが、今日はすらりとしたドレススーツを纏って立っていたのだ。
カソック風の制服だと、白塗りも相まって不審人物観しか醸し出さないが、金色の刺繍の施されたドレススーツを着ていると、不思議と富豪の風情が感じ取れた。
(服のせいなのか、パーティーのせいなのか、さっぱりわかんないな……)
ひとまず失礼過ぎる感想を打ち消すように、スピカは「こんにちはー」と挨拶をした。
ナブーはにこにこ笑ってふたりのドレスを褒めた。
「うん、初めてのパーティーに初めてのドレス。ふたりともよく似合っているよ」
「ありがとうございます。それじゃあ会場でお会いしましょう」
「まあ、待ちたまえ。ひとつだけ忠告しておこうか」
ナブーはにこにこと笑いながら、ふたりを見比べた。
スピカとルヴィリエは、互いに顔を見合わせて彼の言動に少しだけ困る。
「なんでしょうか……?」
「今日は【世界】くんがなにやら仕掛けているようだからねえ。一曲踊ったら即刻寮に退去することを忠告しておくよ」
「え……どうしてそんなこと、ナブー先輩が?」
「うん。うちで働いている者たちが、生徒会執行部の動きや五貴人の動きを捕捉しているから。どうにも不審な動きが多過ぎてねえ……多分これは革命組織も把握しているだろうさ」
そう言われ、スピカは困った顔をする。
(そりゃ別に、私は貴族でもなんでもないから、ダンスパーティーに長居する理由はなにもないし、コネとか社交界デビューの予行練習に来た子たちとは違うけど。そこまでするの?)
そうひとりげんなりしている中、ルヴィリエはナブーに耳飾りの音を立てつつ尋ねる。
「なんでそんな重要な話、私たちにしてくれるんです?」
「そりゃもう。一番いい席で鑑賞したいからねえ」
「はい?」
「舞台において、どうして主役が主役であると思う?」
「はい?」
ナブーの話がいきなり飛躍したのに、ルヴィリエは目を瞬かせる。ナブーはそんな彼女ににこりと笑みを向ける。
「選ばれた立場であったら主役なのか? 否。恵まれた環境であったら主役なのか? 否。わたしはね、主役にもっともふさわしいのは、行動力が物を言うと思うんだよ」
「えっと……話が飛躍していますよね……?」
ルヴィリエの困惑しきったツッコミを軽くスルーしながら、ナブーはちらりとスピカを見る。
「危険や危機を、君たちがどう乗り越えるのか見届けようじゃないか」
「た、助けてくれたりは、しないんですか?」
「いつもサービスはしないさ。主役が育つ手伝いはするけれど、わたしが全て手を出したら育つ妨げになってしまうだろう? それじゃあ」
言いたいことだけ言って、シルクハットを脱いで一礼してから、再び被り直して、そのままナブーは立ち去ってしまった。
ふたりは呆気に取られて、ナブーの後ろ姿を見送った。
「ねえ、スピカ。舞踏会はまた今度にして、もう今日は寮でトランプしている?」
「しないよー。それにアレスとスカトにナブー先輩の忠告伝えてないでしょうが。それに、革命組織の人たちだってこのこと知ってるかどうかわからないじゃない」
「スピカ、まさかその人たちにも忠告をするつもりなの?」
「前にお世話になったし」
それにルヴィリエはなにか言いたげに視線を揺らしたが、最終的に深く溜息をつくだけだった。
「もう、一曲終わったら、本当に早く帰ろうね?」
「わかってるよ。でもごめんねルヴィリエ。巻き込んじゃって」
「いいの。スピカの安寧が守られるなら」
ルヴィリエの物言いに一瞬首を捻りながらも、寮の入口へと向かう。
他の舞踏会参加者たちも、ここで待ち合わせをしているのだろう。ドレスアップした見知った顔の見知らぬ姿を目にしていたら、「スピカ、ルヴィリエ!」と声をかけられた。
ドレススーツを着たアレスとスカトであった。
アレスは赤毛に合わせてか、ローズマダーの色のドレススーツで、裾の黒い刺繍がスーツの雰囲気を引き締めている。レンタル品らしくシンプルだが似合うものを選んできたのだろう。
一方スカトはレースの波打つ黒いドレススーツで、全体的に前時代的な印象を思わせた。銀色の羽を思わせる刺繍がまた、前時代的な印象を残すが、不思議とスカトには似合っていた。こちらはスカトの実家からのものだろうか。
「ふたりとも格好いいね」
「ん-、スピカはまた。馬子にも衣装じゃねえの?」
「なにをー。頑張ってバイトしたんだから、もうちょっと褒めろ!」
「はいはい、似合う似合う」
「感情が籠もってない!」
スピカとアレスがいつものようにギャーギャー言う中、スカトはあっさりと「ふたりともよく似合うな」と言ってのける。
いつも通りの会話をしてから「ナブー先輩がさあ」とルヴィリエは声をすぼめて言う。
「一曲踊ったらさっさと帰れって。危ないからって」
「危ないって……また不審人物が出るとか?」
「わかんない。生徒会執行部も五貴人も動きがおかしいとは言ってた」
四人とも押し黙るが、スカトはぽつんと言った。
「……カウスさんたちは、既にこのことを知っているのかな」
「うーん、革命組織はなにかを掴んでいるっぽいとは、ナブー先輩も言っていたけど」
「わかった。じゃあ僕は一曲終わったら、カウスさんたちに会いに行ってくるよ」
そう言ってのけるスカトに、ルヴィリエは唇を尖らせる。
「ちょっと……危ないって言ってたじゃない」
「わかっているが。僕もあの人たちには世話になっているから。それに、あの人たちもなにかを掴んでいるんだったら情報交換したいし。君たちに迷惑はかけない。特にスピカは厄介ごとに巻き込まれやすいから、早いこと帰ったほうがいい」
「うーん……」
スピカからしてみれば、革命組織の先輩たちにはお世話になっている手前、情報は流したほうがいいとは思っているが。それのせいでスカトを置いてけぼりにするのには抵抗があった。
「なら全員で革命組織の先輩たちと情報交換してから、即離脱っていうのは?」
「って、スピカまで行くのかよ!?」
アレスがあからさまに嫌そうな顔をした。
それにスピカは頷いた。
「私もスカトと同じ意見で、お世話になっているからちゃんと情報交換しておきたいし。一曲終わる前に離脱しちゃえば、騒ぎには巻き込まれないでしょう?」
「えー……お前、踊るの諦めるの?」
「そりゃルヴィリエが特訓してくれたんだもん。踊りたいけどさあ……」
しばらく沈黙が降りたあと、アレスが深い溜息をついた。
「あーもう。ふたりも頑固者連れてたらこうなるよな。わかったよ。じゃあさっさと用事済ませて離脱したら、ここで踊ろう」
「え」
「俺はともかくさあ、スカトの下手さに巻き添え食らったお前らが踊れないのは可哀想じゃない?」
そう言ってアレスがにやにやと笑う。
スピカもルヴィリエも、ダンスの特訓のたびにスカトの下手さで足を踏まれては悲鳴を上げていた。おろしたての靴に足跡を付けられたらすごく嫌だなと思ったが、まあ仕方がない。
「もう! じゃあそうしよう!」
ルヴィリエはそう悲鳴を上げた。
寮での新入生たちの舞踏会はなされる。
そのとき、人数は減ってしまっているが、今の彼らはそのことに、ちっとも気付いてはいないが。
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