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謎が多すぎる
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歩いている間、本能的に僕の頭の中で情報が整理された。まず、事件の容疑者は火野智、そして家政婦の服部、あとは矢本と小形のコンビと湊一喜、早紀夫婦の六人だ。また、そのうち矢本と小形にはアリバイがある。そう考えるとあとは四人か。
その中に八人もの人を殺した殺人鬼がいるのだと思うと、恐ろしい。しかし、それは変えられない事実だろう。
日ノ本は三階に上ると村本の部屋に入った。僕も続いて入るが、またしても微かな血の臭いが鼻を刺激する。彼は寝室に入り込むと、何やら呟きながら室内を見渡した。
「何をやってるんだ?」
「世界堂、何か違和感はないか?」
「違和感‥‥‥?」
「何かが、変わっているんだ」
そう言われて、改めて室内を見渡す。中央に敷かれた布団、終始漂う和室の香り。そして、奇妙な雰囲気を醸し出している、部屋の左右に対称に飾られた六つの置物。奥から順に、熊、たぬき、馬‥‥‥。
「いや、分からないな」
「この置物の、順番が変わってる」
「いや分かるわけないだろ!」
思わず突っ込むが、一応、昨日に村本の部屋を訪ねたときの光景を思い出してみる。
——和室の左右には価値がいまいち分からない置物が奥から熊、馬、たぬきというように置かれていて、彼のセンスが気になった。
「思い出したか?」
「‥‥‥まあ、そんな気もする」
「あまりにあの置物が奇抜だったからな。熊、馬、たぬき、のリズムで覚えてたんだ」
「相変わらず、君の記憶力には驚かされるな」
いや、実際リズムで覚えていたのなら、その観察力を称えるべきか。
日ノ本は当たり前のような顔で僕の言葉をスルーすると、神妙な面持ちで腕を組み、そして首をひねる。
「問題は、なんのために並び替えられたか、だ」
「村本さんが適当にいじったんじゃないか?」
「何のためにだ?」
「例えば‥‥‥掃除とか」
「あの男が、掃除するはずがないだろう!」
日ノ本は何故か嬉しそうにそう叫んだ。しかし、それには同感である。では何のために並び替えられたか。
そこであることを思いつき、口を開く。
「例えば、麻薬の隠し場所だったんじゃないか?」
「それはもう警察に発見されただろ」
「じゃあ、警察が麻薬を発見した際に間違えた順番で並べなおしてしまった、という可能性は?」
「それもあり得ない。この置物の順番は、今朝からずっと間違っていた」
——部屋の左右には相変わらず熊、たぬき、馬とセンスのない置物が鎮座しており、
「あ、ホントだ」
僕が今朝に村本の部屋を訪れた際、実際に置物を見ていたではないか。それを瞬時に思い出せる自分に、少しだけ嬉しくなった。
「つまり、この置物が並び替えられたのは昨日の夕方から、今朝までの間というわけだ。その間に部屋を訪れたのは?」
「ええと」夜中に薬を置いていった——「服部さんだ!」
彼女なら何か知っているかもしれない。そう思い至ったときには彼の姿はなくなっていた。一人取り残された部屋に、虚しくドアの閉まる音が響く。
故人が使っていた部屋に一人でいる、ということが急に怖くなってきて、僕は部屋を飛び出した。
「薬を部屋に置いたとき、ですか?」
「はい。そのときに、あのー、左右に置いてある置物に違いはありませんでしたか?」
自分から服部のところに向かったくせに、日ノ本は一言も喋ろうとしないので、仕方なく僕が訊いてみた。
「ああ、ございました」
どうせ覚えていないだろうと思っていたものの、まさかそう言い切れるほどだったとは予想もしていなかったのだ。
「え?」
「昨晩、村本様の部屋を訪ねたとき、わたくしは目を疑いました。何せ、置物に違いも何も、それ自体がなかったのですから」
「それ自体が、なかった?」
それはつまり、あの陽気に飾られてある六体の置物が、すべて煙のように消えてしまっていたということだろうか。いや、そういうことなのだろう。
「ええ。それで、村本様が片付けたのだろう、と思って、そのときは気にしていなかったのですが‥‥‥。それが、どうかされましたか?」
「あ、いえ‥‥‥」
「世界堂。行くぞ」
僕は服部に礼を言うと、そのまま日ノ本と真っすぐ部屋に戻った。部屋に入るや否や、出しっぱなしの布団(従業員たちも忙しいのだろう)に寝転がる。
何が起こっているのだろう。まったく整理がつかなかった。置物が並べ替えられたどころではなく、それらは一度煙のように消えていたのだ。しかしながら、当然のように彼らは今朝現れた。
「‥‥‥まるでマジックだな」
僕は天井を仰ぎながら、呟く。これほど神出鬼没な置物は、これまでに見たことがない。しかし、問題はこれ以上にあった。
まず、盗まれたものの、すぐに返ってきたサロンの鍵。
ヤマタノオロチに見立てられた異様な死体。
夜中に焼却炉に投げ捨てられる首なし死体。
そして、容疑者それぞれのアリバイ。
さらに、知らぬ間に並べ替えられた置物か‥‥‥。
情報が多すぎて頭痛が起きそうだ。僕は無性にむしゃくしゃして髪を掻きまわした。
「まだまだだ‥‥‥」
そのとき、日ノ本は微かにそう呟いた。
僕がそちらの方を向こうとすると、突如ドアからノックの音が響いた。誰が訊ねてきたのだろう、とドアを開けると、そこには童顔の竹取と、大柄なスーツの男が立っていた。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、ええと、どうやら解剖の結果村本さんが睡眠薬を飲まされていたことが分かったんです。なので、荷物を拝見しよう、と」
鼻で笑う声が部屋の奥で聞こえた。
「証拠をずっと残しておくような犯人などいないんじゃないか?」
と、寝転がりながら言う日ノ本の姿が見えた。
「とにかく、荷物の提出をお願いします」
僕は言うとおりにスーツケースを提出し、日ノ本も意味ないなどと文句を言いつつ、唯一の所持品であるウェストバッグを警察たちに渡した。
荷物の中から睡眠薬を探し出そうとしているのだろう。しかしながら、僕は普段睡眠薬を持ち歩いていないし、日ノ本もおそらくは持っていないなので、詳しく話を訊かれることはないはずだ。
「こんなの意味ないに決まってんだろ‥‥‥」
「まあ、ああいう風に慎重に捜査するのが警察だから」
そんなことを言い合っていると、検査は終了したようで、残念そうな顔をして荷物を返された。まるで僕らを犯人扱いしていたような振る舞いだ。
警察が去り、また推理でもしてみようと思っていると、またしてもドアが開き、今度は見崎がプレートを運んできた。
「遅れてしまってすみません。本日の昼餉となります」
見崎はそう言って、ローテーブルに昨日となんら変わりない献立のものを置いた。
「どうも」
「いろいろと忙しくなってしまって、すみません」
「いやいや、忙しくなったのは見崎さんのせいじゃないし‥‥‥」
犯人のせいだ。今頃あの殺人鬼は何をしているのだろう。愉快に口笛でも吹いているのだろうか、と思うと怒りがたまってくる。
「この天才の前で、完全犯罪が成立することはねえ」
見崎が去っていくのを見送ると、日ノ本がそう言った。いつもなら呆れているところだが、この状況で言われると、とても頼もしく見えてくる。
実際、彼は一度難事件を見事な推理力で解決しているのだ。確かにそんな彼の前で完全犯罪など、起こりうるはずがない。
「そういえば、朝ご飯、食べてないね」
腕時計を確認すると、時刻はすでに十二時を過ぎていた。当然、あんな騒ぎの中で朝ごはんを作る余裕などなかったのだろう。
「だが、またおかしいことになっちまった」昼ご飯を頬張りながら、日ノ本は言う。「まさか、睡眠薬を飲まされていたとはな‥‥‥」
「それが、どうしたんだ?」
「死体を発見したときのことを思い出せ。八人の生首は、驚愕の表情で目をカッと開いていたはずだ」
——合わせて八つもの生首がカッと目を開き、村本の周りを扇状に転がっていたのだ!
なるべく思い出したくなかったが、気味が悪いほど鮮明に残っている記憶をよみがえらせて、それが確かであることを確認する。
「それが、どうしたんだ?」
「‥‥‥どう考えてもおかしいだろ。あの七人組はいいとしても、村本は確かに睡眠薬を飲まされていたのだから、眠ったまま殺されたはずだ。にもかかわらず、村本の目はカッと開いていたんだぞ?」
「‥‥‥少なくとも、食事中に話すべきではないことは定かだね」
食欲が一気に失せるとともに、不可解な矛盾の連続に頭が爆発しそうになる。
しかし日ノ本はまったく躊躇しない様子で続ける。
「睡眠薬は殺す手間を減らすに飲ませたんだから、殺す瞬間に覚醒した状態だったら明らかにおかしいだろ」
「覚醒した状態‥・・・」その言葉で、僕は今まで完全に忘れてしまっていたことを思い出した。「あああ!」
「どうした?」
あまりの衝撃に、僕は身を乗り出す。
「そういえば僕、見たんだよ。生前の村本さんを」
「は⁉」
「見張りから部屋に戻ろうとしたときに、甚兵衛を着た影が階段を下っていくのが見えたんだ。あの背丈と髪型からして、あれは村本さんだった」
「なんでそれを早く言わねぇんだよ! それで、それはいつの話だ」
「それは‥‥‥十二時十分、だった」
つまり、最後に村本の姿を見たと思われる服部よりも後の出来事である。なぜそれを今まで思い出せなかったのだ、と自分でも後悔した。
「どんな様子だった?」
「妙に周りを警戒してた。しかも嫌にうろつかない足取りで」
「‥‥‥」しばらく彼は黙り込む。「何が起こってるんだ‥‥‥?」
そんな中、僕も何か推理しなくては、と思って考えを巡らす。昨晩の記憶をもう一度思い返してみた。
そして——
「日ノ本、少しいいか? 僕に考えがあるんだ」
「お前の話を聞いている暇はない」
「‥‥‥」話すか。「僕はあの夫婦が怪しいと思う。まずバスの中でのことだ。彼らは夫婦なのに前後の席に座ってたんだ。次に、僕らが見張りのために外に出たとき。そのとき、奥さんの早紀さんとすれ違ったけど、持っている袋からしてお土産を買っていたようだ。でも、なんでせっかくの買い物なのに、旦那さんと一緒に行かなかったのだろう? 以下の怪しい行動から、僕は——」
「ははははははははははははっ!」
ばっちり決まったはずなのに、返ってきたのは大笑いであった。彼は漫画のように腹を抱えながら床をのたうち回っている。
「な、何がおかしいんだ」
「はあはあ‥‥‥だ、だって、二人席なんだから、夫婦で前後に座るのは当たり前だろ!」
「‥‥‥え?」
そう言われても、まったくピンとこなかった。むしろ、二人席だから隣同士で座るのではないのか。
「どうやらお前は勘違いをしているようだな」日ノ本は笑い涙を拭く。「あの夫婦には、子供がいるんだよ! その子供の背が背もたれに届いていなくて、お前の席からはまるで前後に一人ずつ座っているように見えたに過ぎない」
雷に打たれたような衝撃を受けた。夫婦のどちらかの席に子供が座っていて、その子の背が小さいせいでこちらの席からは隠れて見えていなかった、というわけだったのだ。そういえば、バスから降りるときも僕は窓から見える景色に夢中になっていて、彼らが降りる瞬間を見ていなかった。
「で、でも、早紀さんが一人で買い物をしていたのは——」
「夫の方が子守をしていたんだ。そのときはすでに九時を過ぎていて、ガキも寝るころだからな」
「‥‥‥そんな」
すべては僕の些細な勘違いから始まったのか‥‥‥。よくよく思い返してみれば、さっき夫婦の部屋を訪ねたとき、一喜は『まだ寝ているので』と言って我々を部屋に入れようとしなかった。
初めはまだ早紀が寝ているのだと勘違いしていたが、そのすぐあとに彼女は化粧をした状態で現れた。そう、先程まで寝ていたはずなのに化粧をしていたのである。一喜の言う『まだ寝ているので』の主語は二人の息子だったのだ。
一方、日ノ本はなおも笑い声を上げている。
「やはりお前はアホだ。いや、面白いアホだ。まさか、たまたま背もたれに隠れていただけで‥‥‥」そこで明らかに彼は顔色を変えたのだった。「ん? 隠れる‥‥‥」
「‥‥‥どうかしたのか?」
彼の顔を覗き込むと、日ノ本は右手で耳を押さえ、そして目を瞑っていた。
この仕草が日ノ本が推理するときの癖だったことを思い出し、僕は思わず顔を綻ばせる。
じっと待っていると、やがて日ノ本の口角がゆっくりと上げっていくのが分かった。
「隠れる‥‥‥隠れる‥・・・ふっ、ふははははははははははっ! そういうことだったのか。解けたぞ‥‥‥この事件の謎が!」
日ノ本はそう言ったかと思うと、今までに見たことがないような速さで部屋を飛び出していった。
「なんだ、あいつ‥‥‥」
僕は寂寥感の漂う部屋で独り、そう呟いた。
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