安い男

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安い男

殴るように愛し合い 貪るように恋をする そこだけは必死で 後は無気力 なんでだろうと尋ねると、相方は本能だろうと呟いた。 ああ死ぬ前に子孫は一匹残したいね、と笑って、今度馴染みの女とやるときにコンドウムに穴を開けてやらうと二人で誓う。 ここの空気は薄すぎて、まともに暮らせる訳がねえや、と笑う俺。 金がなけりゃあうまくいかねえ、女がいなけりゃ情けねえと嘆くお前。 お互い似たもの同士で厄介者。 世間にとんと未練はないがこの世はまるで大海原、ゆらりゆらりと戯れるにゃあ、天敵が多すぎる。 千切れた尾鰭じゃうまく逃げられやしねえ、老いた体は無理がきかねえ。 だから俺達ゃ死ぬ気で突っ込む、弱い魚が一匹二匹、あがいた所でどうにもなりゃあしないけど 、やるだけやったら海月になってゆらりと死にたい。 とりあえず今は大騒ぎ。 【安い男】 塀の中は暗くて寒い 塀の外は明るくて寒い 俺が入った時は6月だった。雪の降る中、空を見上げる。馴染みの看守が俺の名前を呼んだ。 「岩下、今度はもっと時代が進んでいるぞ、寂しくなっても戻ってくるな」 「慣れっこですよ、あたしゃあ流行にゃあ乗れねえタイプでして…」 「そりゃあそうだなあ、全くお前って奴は、娑婆と塀の中を行ったりきたりで流行なんか関係ないもんなあ、ま、しかし今度ばかりは懲りたろう、ニ十の誕生日も四十の誕生日も塀の中で迎えるってのは悲しいぜ」 「…6ヶ月」 「ん?」 「4年と6ヶ月ですよ。この6ヶ月ってのが癖物なんだよ、一年だったら丁度入った時と同じ感じで出ていけるのにナア、アア6ヶ月…寒い時にオツトメご苦労ってのがなんとも侘びしくって」 「そうだなあ」 馴染みの爺さんは笑ったが、俺は本当に寂しかった。 空から雪が降っているし、夏物のスーツはすうすうする。作業服を着せてもらった方が、よっぽどマシだった。 俺が悲しいのが解るのか、雪は止む気配がないなあ、と思っていると、車のクラクションが聞こえ、振り向くと車の窓から懐かしい面子が顔を出している。俺の相方が助手席にいて、運転席には若手がいる、多分後ろにはあの人が乗っているんだろう。 「イワシ、大事ないか」 「おう」 「まあ乗れや」 「うん、じゃあ山口さん。また今度」 「またじゃないよ、もう戻ってくるなよ」 「はい、ありがとうございました」 看守が見送る中、俺は後部座席のドアを開ける。むわっとする香水の大群、ああ戻ってきた、と感じるのはこの瞬間で、また、同時に戻れねえと後悔するのもこのタイミングだ。 「おつかれさん」 シュッ、とした切れ目の男がニヤッと笑う。俺は黙って頭を下げた。 「いつもすみません、わざわざ」 「気にするな、なんにも気にする所じゃねえよ。迷惑かけてんのはいつだって俺さ。可愛い子分に辛い思いをさせて俺はこうして後ろでふんぞり返ってる、悪い親分だ」 「それが兄貴の仕事ですから。それに」 「それに?」 「兄貴の坊主頭なんて見たくねえや」 わはは、と車の中に笑いがおきる。相方が黙って俺に煙草を寄越し、俺も黙って受け取った。 久方ぶりのニコチンだった、唇に当たるフィルターの感触にすら目眩がするほど俺は飢えている。 最後の一服は生臭い中で吸っていた。 俺は機械が嫌いだ。 銃の暴発で右手の中指から小指までが吹っ飛んだ奴を間近で見て以来、俺は銃には触らない。古めかしいドスが似合っていた。 斬らなきゃ切れない、それでいいと思った。 酔ったのは、やった後だ。だから鮮明に覚えている。俺の4年と6ヶ月、その時間分の男はアスファルトに生えた大根だった。 人の縄張りも体裁も気にしないど根性大根はやっぱり邪魔だ。道路は綺麗にしておかなくちゃ、いつ足をひっかけて転ぶか解らない。 いい気になっている奴を道端で待ち伏せて、後ろから追いかけ回し、高いスーツの上から斜めに構えたドスで力一杯体当たりをしたのは、ブチブチと何か奇妙な音が聞こえて、深い所まで到達したかと思えば、後は滑らかな感触がしたのは、4年と6ヶ月以上前でその時に飲んだのは韓国焼酎だった。 ボトルにそのまま口をつけて胸が焦げそうになるまで飲み、永遠のおねむについた奴の横でしこたま吐いた。黄色い反吐に自分のプライドやらポリシーが全部入っているような気がして、また吐いた。 それからゲロまみれの手で携帯を探して相方にかけたんだっけ。俺の相方は三馬、いつだって一緒よ、なあんて女みてえだが、奴のあだ名はサンマ、俺はイワシ、互いに兄貴の金魚の糞だ。 弱い魚は手を取り合わなくちゃあ生きていけねえ、秋刀魚の方が上等だけどサンマは一緒サ、と言う。 安くて美味い、だけどどうせ俺達ゃ安い、名前と中身は一緒サ、と糸目の目を更に細めて言った。 兄貴の竹沢さんはそんな俺達を飼っている。 裏切らなけりゃ、餌はくれる。まるで生け簀の番人みたいだ。餌は金とこの人の度量だ。嘘みてえな話だが、竹沢さんは俺と5つしか離れちゃいない。 安い魚を竹沢さんは安い金で買い、俺達ゃ飼われる。 命の売り買いを自分でしているが、構っちゃいられねえや、とつくづく思う。 「イワシ、穴は死守したか」 お前はようく狙われるから、助手席からサンマがからかった。ああ大丈夫、今回は、と言うと兄貴がぽんぽんと俺の肩をさすり、なんとライターを出して俺に掲げた。苦労をかけさせてすまない、そんな言葉が聞こえてしまうと俺は寂しくもないのに目が潤む。 火のついた煙草からニコチンを得てやっぱりこの世界が俺の世界だ、そう思う俺は安い心の持ち主だ。 【安い男】完
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