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1.はじまりは突然に
成金子爵令嬢、リディア・オールドマンが最愛の彼と再会したのは、十年前のとある夜のことだった。いや、正確には『再会』ではなく『初対面』であったのだが。彼女からしてみれば、それは紛れもなく『再会』だった。
その日は、チェスター王国の第一王子である、フィリップの十三回目の誕生日パーティが王宮で催されていた。招かれたのは、今後、フィリップとともに国を盛り立てていくだろう有力貴族の当主とその子どもたち。当時七歳のリディアも、そのパーティに父親とともに参加していた。
広くて、華やかな会場。光を溢れさせる大きなシャンデリア。ドレスを着た沢山の女性たちに、鳴り響く管弦楽。
圧巻の光景に目を奪われながらも、リディアの視線は最終的に一人の少年に止まることとなる。
彼は一人、ベランダにたたずんでいた。一緒に来たはずであろう父親の姿は近くになく、彼は会場に背を向けたままじっとベランダの外の暗闇を眺めていた。
漆のような黒い髪が、風に靡く。
(あれって……)
――既視感。
その時の感覚を正しく表現するならば、まさしくそれだった。
つまりリディアは、その背をどこかで見たことがあったのだ。
社交界なんて初めてで、同世代の男の子なんて親戚ぐらいでしか会ったことがないのにもかかわらず。リディアはなぜかその背に、いいようもない懐かしさを感じてしまったのだ。
リディアは知り合いと話す父親から離れ、まるで引き寄せられるように少年の元に歩いていく。
気配に気がついたのか、少年は暗闇を見つめていた目をリディアの方に向けた。
「ダグラス・シャーウッド……」
少年の顔を見た瞬間、その名前がリディアの口から転がり落ちた。
光の射さない青みがかったエメラルド色の瞳に、褐色の肌。少し癖のある黒い髪は短く切りそろえられていて、頬を撫でる夜風に揺らめく。リディアに向けるその表情にはどこか影があって、十歳の少年にしては大人びた雰囲気が彼の周りを覆っていた。
「君は?」
声変わり前の、少し高い少年の声が耳を擽る。
その瞬間、リディアは全てを思い出した。
自分に前世があることも。この世界が前世でプレイしていたスマホゲーム『眠れる君に口づけを……』によく似た世界だということも。
自分がヒロインの恋敵役、もとい当て馬役として登場する。いわゆる『悪役令嬢』というポジションのキャラだということも。
そして目の前にいる彼が、当時の自分の推しキャラで、ゲーム内でのラスボスで、課金でルートを開かないと、絶対的に死んでしまうキャラだということも……
全部全部、まるっと思い出した。
思い出して、しまった――。
(だから、私は――)
リディアは、十年前の全てが始まってしまった日を思い出しながら、窓枠から手を離した。窓ガラスにうっすらと映る自分は、もうあの頃の幼さを残してはいない。それもそうだ。もう彼女も十七歳である。
「リディア様」
背中にかけられた声にリディアは視線だけ向けた。そこには長髪の燕尾服姿の男が立っている。
通った鼻筋に、整った顔立ち。髪の色と同じ灰色の瞳は静かな湖畔のようで、その奥にはナイフのような鋭さが見て取れた。身長も高く、街を歩けば振り返らない者はいないだろうというほどの美形である。
男の名前はクリス・ミッチェル。リディアにつけられた専属の執事だ。そして、リディアの心強い協力者で、彼女がもっとも信頼している人物でもある。
クリスは感情も抑揚もあまり感じさせない、淡々とした声を出す。
「今朝、ローラ様の方に動きがありました。いま、ピーターが後を追っています。方向から考えて、茨の森に向かったのは確実かと」
「そう。とうとうこの日が来たのね……」
その報告に彼女は一瞬だけ目を伏せた。そして、数秒の間を開けた後、長いブロンドを翻しクリスに向き合う。
「クリス、今まで溜めた軍資金は?」
「五千万ペンドです」
「守備は?」
「上々かと」
「根回しは?」
「完璧です」
リディアは腰に手を当て、形の良い唇をぐっと引き上げた。
「それじゃ、その軍資金五千万ペンドで、破滅の運命にあるダグラス様を見事お救いしてみせるわよ!」
リディアの高らかな宣言に、クリスは一瞬だけ呆れるような表情を浮かべた後、ふっと表情を崩し、黙って頭を下げるのだった。
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