578人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
八 甘い痛み
ゴットランド王国。白い城壁の城。王宮には庭があった。初夏の薔薇が薫る風の中、庭師のレイアは庭の手入れをしていた。すると庭の奥から野太い悲鳴が聞こえた。
「いやあ?助けて」
「私には無理です。リラ先輩」
「何言ってんのよ?うおおお」
庭を飛んでいた蜜蜂。リラを追いかけていた。レイアは静かに彼女を背に回した。
「興奮しないで。静かに、落ち着いて」
「だってだって」
「し……ほら。向こうに行った」
レイアの言う通り。蜜蜂は去っていった。この話をニッセに報告すると退治せねばならぬと言い出した。
「王宮の者が刺さったら大変だからな。早速、退治しよう」
「ニッセ庭長。何かいい方法あるのですか」
「ふふふ。わしを誰と思っているのじゃ」
老庭師は管理室の奥から謎の薬草を集め出した。
「これを焚いて巣を燻すのじゃ。早速明日、やって見るぞ」
上司の言葉。張り切っているニッセ。しかし、翌朝、リラの姿はなかった。
「原因不明の腹痛とのことじゃ」
……逃げたな。
「私たちだけでやるんですね」
他の庭師も理由をつけてこない現場。ニッセとレイアだけが巣を見ていた。木の上。大きな巣。ニッセは大きく息を吐いた。高齢の彼、レイアは覚悟を決めた。
「庭長。ちょっと下がっていてください」
「レイア?」
「私がやります。無理はしませんから。時間をかけてやりましょう」
この煙の作戦はレイアも同感だった。森に住んでいる時はこうして対処していたレイア。ニッセに任せるよりは自分で行ったほうが安全と見た。二人は巣の周りを煙で囲って行った。するとぶんぶんと蜂が怒って出てきた。
「まずいぞ?レイア。思ったよりも数が多い」
「下がって!これは耐久戦です」
巣から逃げ出して来た蜂。これは薬草の煙に巻かれてバタバタと落ちてきた。ニッセの煙は効果があるが、まだまだ数ある蜂。レイアは距離を保ちながら巣を追い詰めていった。
やがて森はしとしと雨。時間がかかる作業。ニッセを部屋に帰したレイアは一人、庭の隅で蜂をやっつけていた。煙に含まれる薬草の成分。蜂を湿らせ地上に落としていた。
……よしよし。これでうまくいくはずだし。
ようやく先が見えてきた彼女。その背に何者かが声をかけた。
「ねえ。レイア」
背後からの声。レイアは振り向く余裕がなかった。
「ブーセン。ここは危ないの。向こうにおゆき」
「やあ?煙を焚いて何しているの?」
しかしその声に振り向いた。
「ユリウス王子こそ……」
……どうしてここにいるの?
ブーセンを肩に乗せた王子。レイアの姿を不思議そうに見ていた。しかし、レイアはその身を押した。
「ダメです!ここは危険です」
「どうして?何もいないよ」
蜂が見えないのか、王子は警戒心ゼロ。その時、風が吹き煙が晴れた。いきなり蜂の軍団が現れた。レイアは王子を背にした。
「うわあ。何これ?」
「ブーセン!王子を王宮に!」
レイアの命令通り。ブーセンと王子は一瞬で消えた。しかし。レイアは刺された。
「痛い!この!この!」
そばの松明を振り回し、焚き火の中に薬草を投げ入れ煙を増やした。その煙で目から涙が出てきた。
……はあ、はあ。これで、終わったかな。
巣から出てくる蜂が少なくなった。ここでやめては元も子もない。レイアは煙を燻し続けた。
夕刻。蜂が大人しくなった様子。ずっと見ていたレイア。ここで一旦、庭の泉にやってきた。水鏡。映る自分。そこにはひどい顔の自分がいた。
「有り得ない?痛……後で軟膏を塗ろっと」
「おい。レイア。大丈夫か」
「その声は」
背後の声。例の男。しかし。この顔を見られたくないレイア。持っていた布で顔を覆い、目だけ出した。
「ルカさんですか」
「うおおお?びっくりした?お前、何してんだよ」
オレンジ色の夕焼けの庭の外れ。顔を隠すレイア。ルカは驚きで目を見開いた。
「ここは危ないです。どうぞお部屋に戻ってください」
「お前の方が危ないって。して。本当に何をしているんだ」
ここに蜂がブーンと飛んできた。レイアは咄嗟にルカを庇うように抱いた。
「蜂の巣なんです。動かないで」
「これは?で、お前。刺されたのか」
気がつくと足元には大量の蜂の残骸。ルカは眉間に皺を寄せた。
「仕事ですから」
「顔か?どれ、お前は」
彼女の顔を包むように手を出したルカ。しかしレイアはそっと交わした。
「触ったら痛いでしょう?」
「す、すまん」
「本当にいいんです。これから仕上げなんで、ここから離れて下さい」
「お前。大丈夫かよ」
心配そうについてくるルカ。言っても無駄な様子。レイアは振り向いた。
「じゃあ。その松明を持って。そこで見ていて」
木の巣の下。大な葉を敷き詰めたレイア。そして手には火が付いた棒を持っていた。
「お前……何するんだよ」
「静かに。行きますよ。それ!」
投げつけた棒。巣に命中。そして落下した。
「う?ばか!中から蜂が出てきたぞ」
「逃げてーー」
二人は必死に蜂から逃げた。ルカはレイアの手を握っていた。そして気が付けば落とし穴のところまでやってきていた。
「はあ、はあ。すげえ?何あの羽音」
「ルカさん……刺されなかった?」
「お前」
彼女の顔の覆いは外れていた。自分を心配するレイアの顔は赤く、それは痛痛しく腫れていた。
「お前、顔。ひどいぞ」
「その言い方もひどいです。それで、本当に大丈夫?ルカさん」
見つめる瞳。本当に心配そうに自分を見ていた。ルカの心は熱くなった。
「ああ。自分の心配しろよ」
「これからしますよ。あ?」
ルカは思わずレイアを抱きしめた。その体が熱かった。
「レイア?」
「はあ、はあ。ちょっと刺されすぎました……ブーセン、どこ。ブーセン」
彼の腕の中で朦朧とする声。
「しっかりしろ」
「はあ、はあ、頭が痛い?……」
彼女のあまりの苦しみにルカも叫んだ。
「おい!ブーセン!出てこい?いるんだろう」
「なんだよ。うるさいな。あ?レイアが大変だ!」
驚くブーセン。これに仲間のブーセンもやってきた。
「ルカ!そこに寝かせて!早く」
「こうか?」
ルカは草に彼女を寝かせた。その手をしっかり握った。
ブーセン達は一斉に魔法をかけた。光に包まれたレイア。やがて元の綺麗な顔に戻った。
「レイア?聞こえるか」
「はい……ブーセン、ありがとう。ルカさんも。お世話になりました」
「お前さ」
無謀な仕事に呆れるルカ。妖精は構わずはしゃいでいた。
「レイア元気になった?遊べるかい?」
無邪気な妖精。無理して微笑むレイア。それを見ていられないルカは妖精の頭を撫でた。
「ブーセン。よくやった。俺が後で遊んでやるから、今は帰れ」
まだ痛そうなレイアを見たブーセン。不貞腐れてパッと消えた。雨上がりの草の上。二人の髪が濡れていた。
「なあレイア。お前はバカか?なんな巣、ほっておけばいいのに」
レイアはルカの手を借りてよろよろと起き上がった。
「だって。誰かが刺されらた困るでしょう」
「だからと言って」
「いいんです。それに私も欲しかったので」
「欲しいって。何をだよ」
驚き顔のルカ。支えてもらいながら立ったレイア。彼に肩を抱かれて微笑んだ。
「いいものですよ。ありがとう。ルカさん」
「レイア……」
この夜はこのまま、途中までルカに送ってもらい部屋に帰ったレイア。翌朝、巣のところに戻ってきた。
「やったわ!上手くいったわ」
「レイアよ……どうじゃった、おお?大きな巣じゃな」
壊れた巣。ニッセとレイアはよいしょと運んだ。そして木箱に入れ、蜂蜜を作り出した。
「これはいい蜂蜜ができますね」
「ああ。王子も喜びになるだろう」
……これで。あの王子が元気になればいいな。
レイアの苦労の結果。こうして蜂蜜が完成した。煮沸した瓶に詰めた瑠璃色の液体。これをニッセは王宮に提出した。
◇◇◇
「残りはこれしかないの?」
「すいません、リラ先輩」
「どうせあんた。独り占めしたんでしょう?」
「まあまあ、リラ君。みんなひと匙だけのご馳走じゃよ」
レイア命がけの蜂蜜。残量があまりに微量。結局、彼女の口には入らなかった。王子が元気になればそれでいい。レイアはそう思っていた。
そんな時、管理室にノック音がした。
「失礼する。ここに蜜退治のレイア:カサブランカはおるか」
「ガルマ殿。レイアはそこにおりますが」
ニッセの返事。一同は一斉にレイアを見つめた。
「私が何か?」
「来い。そなたのした事に王子がお怒りだ!早く来い」
怒るガルマ。ニッセは青ざめ、リラはクスクス笑っていた。レイアは仕方なく一緒に廊下を歩いた。
「……蜂退治のレイア:カサブランカよ」
「庭師です」
「まあ良い。して、そなたはルカ殿を知っておるな」
静かに尋ねるガルマ。レイアはドキとした。
「はい」
「あの方は、お前が思っているような方ではない。今後は、会うのを慎むように」
「は、はい」
……会ってはいけないってこと?でも、いつも向こうから来るんだけど。
隣を歩くガルマは難しい顔。レイアはひとまず何も言わずにいた。そして部屋に通された。
「ここで待て」
「はい」
白い部屋。おそらく高貴な人の部屋である。レイアは落ち着かないので窓辺に立っていた。やがて戸が開いた。
「レイア!大丈夫かい?」
「王子……これはどういう事ですか」
「何を言っているんだよ」
ユリウスはレイアをじっとみた。その目には涙があふれていた。
「ごめんよ……僕のせいで、蜂に刺されたんでしょう」
「そんなことは」
「ううん。ルカがめちゃくちゃ怒ってた……うう。僕を許して」
レイアの手を取ったユリウス。おでこのつけたレイアの手は涙で濡れてきた。
「王子?どうか、気にしないで」
「痛かったでしょう?僕、知らずに邪魔しちゃって。本当に、本当にごめんなさい」
「王子……本当にいいんです。顔をあげてください」
レイアはじっと彼をみた。
「私。王子に元気になってもらいたいんです。だから。もういいんです」
「レイア」
「蜂蜜は?もう、手に取られましたか?」
「あるよ……そこに」
テーブルの上。そこには綺麗に包まれた瓶があった。琥珀色のハニー。見るだけでうっとりする色。ユリウスも顔を上げた。
「君があんなに苦労したのに。僕が口にできるはずないよ」
「それは困ります。ほら?せっかくですのでどうぞ食べてください」
「……わかった。今、爺やを呼ぶから。ここで待っていて」
王子は部屋を出て行った。しばらくすると、ドアがいきなり開いた。
「レイア!俺が試食してやるぜ」
「ルカさん?王子は?」
「んなもん。どうでもいいだろう?さあ。爺!俺たちにお茶を淹れるんだろう?早くしろ」
「はいはい」
老執事は嫌そうな顔でルカの指示を聞いていた。彼はテーブルに紅茶セットを置いた。ルカは大きな椅子に座りふんぞり返っていた。
「おい。何度言えばわかるのだ。『はい』は一回だろう」
「はい」
「何だその『はい』は?俺に対する敬意が見られんぞ」
「……」
無視した爺。ルカは真っ赤になって怒った。
「爺!レディの前だぞ。失礼だ」
すると爺はおもむろに部屋を見渡した。
「おやおやルカ様。どこにレディがいるのですか?爺の目には見えませぬ」
「お前……レイアを愚弄しているな」
ギリギリ怒るルカ。しかしレイアは静かに二人を向いた。
「いいのです。私は森娘で庭師。ここにいてはおかしいですもの」
「レイア……」
先ほど。ガルマからルカに会うなと言われたばかり。レイアは頭を下げた。
「失礼しました」
切ない目で見つめるルカ。レイアはそれ以上、何も言わず部屋をでた。
……これでいいよの?さあ。仕事に戻ろう。
庭師の自分。立ち位置、相手の立場。レイアは静かに仕事に戻って行った。
「爺や。どうしてなの」
「ユリウス王子。あの娘は下人です。王子が口を聞くような身分の娘ではありませぬ」
「爺!あいつはな?ユリウスを庇って、蜂に刺されたんだぞ?それを追い返すとは。お前は非道だ」
「ルカ殿下……それはあの娘の仕事。私の仕事は王子を守る事です。貴方様も王子を思うなら。謹んで下さいませ」
すると彼は立ち上がった。
「爺や。僕はね。彼女にお礼を言いたかっただけなんだよ。一口だけ。あの蜂蜜を食べて欲しかったんだけなんだ」
「ユリウス王子」
「僕の立場って。そんなこともできないんだね……よく、わかったよ」
「決してそこまででは?王子、王子!」
しばらく。彼は背を向けたまま口を開かなかった。爺は必死に謝った。
「ユリウス様?どうか、お許しを」
振り向いた彼。その顔は悲しそうだった。
「爺……だめだ。ユリウスは奥に入っちまった。しばらく、出てこない」
「そんな」
悔しそうな顔の彼は髪をかき上げた。
……ユリウス。お前はこの国の王子なんだぞ。
沈む夕日。窓辺に立つルカ。ユリウスの純粋な心に、胸を締め付けられていた。
第八「甘い痛み」完
最初のコメントを投稿しよう!