八 甘い痛み

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八 甘い痛み

ゴットランド王国。白い城壁の城。王宮には庭があった。初夏の薔薇が薫る風の中、庭師のレイアは庭の手入れをしていた。すると庭の奥から野太い悲鳴が聞こえた。 「いやあ?助けて」 「私には無理です。リラ先輩」 「何言ってんのよ?うおおお」 庭を飛んでいた蜜蜂。リラを追いかけていた。レイアは静かに彼女を背に回した。 「興奮しないで。静かに、落ち着いて」 「だってだって」 「し……ほら。向こうに行った」 レイアの言う通り。蜜蜂は去っていった。この話をニッセに報告すると退治せねばならぬと言い出した。 「王宮の者が刺さったら大変だからな。早速、退治しよう」 「ニッセ庭長。何かいい方法あるのですか」 「ふふふ。わしを誰と思っているのじゃ」 老庭師は管理室の奥から謎の薬草を集め出した。 「これを焚いて巣を(いぶ)すのじゃ。早速明日、やって見るぞ」 上司の言葉。張り切っているニッセ。しかし、翌朝、リラの姿はなかった。 「原因不明の腹痛とのことじゃ」 ……逃げたな。 「私たちだけでやるんですね」 他の庭師も理由をつけてこない現場。ニッセとレイアだけが巣を見ていた。木の上。大きな巣。ニッセは大きく息を吐いた。高齢の彼、レイアは覚悟を決めた。 「庭長。ちょっと下がっていてください」 「レイア?」 「私がやります。無理はしませんから。時間をかけてやりましょう」 この煙の作戦はレイアも同感だった。森に住んでいる時はこうして対処していたレイア。ニッセに任せるよりは自分で行ったほうが安全と見た。二人は巣の周りを煙で囲って行った。するとぶんぶんと蜂が怒って出てきた。 「まずいぞ?レイア。思ったよりも数が多い」 「下がって!これは耐久戦です」 巣から逃げ出して来た蜂。これは薬草の煙に巻かれてバタバタと落ちてきた。ニッセの煙は効果があるが、まだまだ数ある蜂。レイアは距離を保ちながら巣を追い詰めていった。 やがて森はしとしと雨。時間がかかる作業。ニッセを部屋に帰したレイアは一人、庭の隅で蜂をやっつけていた。煙に含まれる薬草の成分。蜂を湿らせ地上に落としていた。 ……よしよし。これでうまくいくはずだし。 ようやく先が見えてきた彼女。その背に何者かが声をかけた。 「ねえ。レイア」 背後からの声。レイアは振り向く余裕がなかった。 「ブーセン。ここは危ないの。向こうにおゆき」 「やあ?煙を焚いて何しているの?」 しかしその声に振り向いた。 「ユリウス王子こそ……」 ……どうしてここにいるの? ブーセンを肩に乗せた王子。レイアの姿を不思議そうに見ていた。しかし、レイアはその身を押した。 「ダメです!ここは危険です」 「どうして?何もいないよ」 蜂が見えないのか、王子は警戒心ゼロ。その時、風が吹き煙が晴れた。いきなり蜂の軍団が現れた。レイアは王子を背にした。 「うわあ。何これ?」 「ブーセン!王子を王宮に!」 レイアの命令通り。ブーセンと王子は一瞬で消えた。しかし。レイアは刺された。 「痛い!この!この!」 そばの松明を振り回し、焚き火の中に薬草を投げ入れ煙を増やした。その煙で目から涙が出てきた。 ……はあ、はあ。これで、終わったかな。 巣から出てくる蜂が少なくなった。ここでやめては元も子もない。レイアは煙を燻し続けた。 夕刻。蜂が大人しくなった様子。ずっと見ていたレイア。ここで一旦、庭の泉にやってきた。水鏡。映る自分。そこにはひどい顔の自分がいた。 「有り得ない?痛……後で軟膏を塗ろっと」 「おい。レイア。大丈夫か」 「その声は」 背後の声。例の男。しかし。この顔を見られたくないレイア。持っていた布で顔を覆い、目だけ出した。 「ルカさんですか」 「うおおお?びっくりした?お前、何してんだよ」 オレンジ色の夕焼けの庭の外れ。顔を隠すレイア。ルカは驚きで目を見開いた。 「ここは危ないです。どうぞお部屋に戻ってください」 「お前の方が危ないって。して。本当に何をしているんだ」 ここに蜂がブーンと飛んできた。レイアは咄嗟にルカを庇うように抱いた。 「蜂の巣なんです。動かないで」 「これは?で、お前。刺されたのか」 気がつくと足元には大量の蜂の残骸。ルカは眉間に皺を寄せた。 「仕事ですから」 「顔か?どれ、お前は」 彼女の顔を包むように手を出したルカ。しかしレイアはそっと交わした。 「触ったら痛いでしょう?」 「す、すまん」 「本当にいいんです。これから仕上げなんで、ここから離れて下さい」 「お前。大丈夫かよ」 心配そうについてくるルカ。言っても無駄な様子。レイアは振り向いた。 「じゃあ。その松明を持って。そこで見ていて」 木の巣の下。大な葉を敷き詰めたレイア。そして手には火が付いた棒を持っていた。 「お前……何するんだよ」 「静かに。行きますよ。それ!」 投げつけた棒。巣に命中。そして落下した。 「う?ばか!中から蜂が出てきたぞ」 「逃げてーー」 二人は必死に蜂から逃げた。ルカはレイアの手を握っていた。そして気が付けば落とし穴のところまでやってきていた。 「はあ、はあ。すげえ?何あの羽音」 「ルカさん……刺されなかった?」 「お前」 彼女の顔の覆いは外れていた。自分を心配するレイアの顔は赤く、それは痛痛しく腫れていた。 「お前、顔。ひどいぞ」 「その言い方もひどいです。それで、本当に大丈夫?ルカさん」 見つめる瞳。本当に心配そうに自分を見ていた。ルカの心は熱くなった。 「ああ。自分の心配しろよ」 「これからしますよ。あ?」 ルカは思わずレイアを抱きしめた。その体が熱かった。 「レイア?」 「はあ、はあ。ちょっと刺されすぎました……ブーセン、どこ。ブーセン」 彼の腕の中で朦朧とする声。 「しっかりしろ」 「はあ、はあ、頭が痛い?……」 彼女のあまりの苦しみにルカも叫んだ。 「おい!ブーセン!出てこい?いるんだろう」 「なんだよ。うるさいな。あ?レイアが大変だ!」 驚くブーセン。これに仲間のブーセンもやってきた。 「ルカ!そこに寝かせて!早く」 「こうか?」 ルカは草に彼女を寝かせた。その手をしっかり握った。 ブーセン達は一斉に魔法をかけた。光に包まれたレイア。やがて元の綺麗な顔に戻った。 「レイア?聞こえるか」 「はい……ブーセン、ありがとう。ルカさんも。お世話になりました」 「お前さ」 無謀な仕事に呆れるルカ。妖精は構わずはしゃいでいた。 「レイア元気になった?遊べるかい?」 無邪気な妖精。無理して微笑むレイア。それを見ていられないルカは妖精の頭を撫でた。 「ブーセン。よくやった。俺が後で遊んでやるから、今は帰れ」 まだ痛そうなレイアを見たブーセン。不貞腐れてパッと消えた。雨上がりの草の上。二人の髪が濡れていた。 「なあレイア。お前はバカか?なんな巣、ほっておけばいいのに」 レイアはルカの手を借りてよろよろと起き上がった。 「だって。誰かが刺されらた困るでしょう」 「だからと言って」 「いいんです。それに私も欲しかったので」 「欲しいって。何をだよ」 驚き顔のルカ。支えてもらいながら立ったレイア。彼に肩を抱かれて微笑んだ。 「いいものですよ。ありがとう。ルカさん」 「レイア……」 この夜はこのまま、途中までルカに送ってもらい部屋に帰ったレイア。翌朝、巣のところに戻ってきた。 「やったわ!上手くいったわ」 「レイアよ……どうじゃった、おお?大きな巣じゃな」 壊れた巣。ニッセとレイアはよいしょと運んだ。そして木箱に入れ、蜂蜜を作り出した。 「これはいい蜂蜜ができますね」 「ああ。王子も喜びになるだろう」 ……これで。あの王子が元気になればいいな。 レイアの苦労の結果。こうして蜂蜜が完成した。煮沸した瓶に詰めた瑠璃色の液体。これをニッセは王宮に提出した。 ◇◇◇ 「残りはこれしかないの?」 「すいません、リラ先輩」 「どうせあんた。独り占めしたんでしょう?」 「まあまあ、リラ君。みんなひと匙だけのご馳走じゃよ」 レイア命がけの蜂蜜。残量があまりに微量。結局、彼女の口には入らなかった。王子が元気になればそれでいい。レイアはそう思っていた。 そんな時、管理室にノック音がした。 「失礼する。ここに蜜退治のレイア:カサブランカはおるか」 「ガルマ殿。レイアはそこにおりますが」 ニッセの返事。一同は一斉にレイアを見つめた。 「私が何か?」 「来い。そなたのした事に王子がお怒りだ!早く来い」 怒るガルマ。ニッセは青ざめ、リラはクスクス笑っていた。レイアは仕方なく一緒に廊下を歩いた。 「……蜂退治のレイア:カサブランカよ」 「庭師です」 「まあ良い。して、そなたはルカ殿を知っておるな」 静かに尋ねるガルマ。レイアはドキとした。 「はい」 「あの方は、お前が思っているような方ではない。今後は、会うのを慎むように」 「は、はい」 ……会ってはいけないってこと?でも、いつも向こうから来るんだけど。 隣を歩くガルマは難しい顔。レイアはひとまず何も言わずにいた。そして部屋に通された。 「ここで待て」 「はい」 白い部屋。おそらく高貴な人の部屋である。レイアは落ち着かないので窓辺に立っていた。やがて戸が開いた。 「レイア!大丈夫かい?」 「王子……これはどういう事ですか」 「何を言っているんだよ」 ユリウスはレイアをじっとみた。その目には涙があふれていた。 「ごめんよ……僕のせいで、蜂に刺されたんでしょう」 「そんなことは」 「ううん。ルカがめちゃくちゃ怒ってた……うう。僕を許して」 レイアの手を取ったユリウス。おでこのつけたレイアの手は涙で濡れてきた。 「王子?どうか、気にしないで」 「痛かったでしょう?僕、知らずに邪魔しちゃって。本当に、本当にごめんなさい」 「王子……本当にいいんです。顔をあげてください」 レイアはじっと彼をみた。 「私。王子に元気になってもらいたいんです。だから。もういいんです」 「レイア」 「蜂蜜は?もう、手に取られましたか?」 「あるよ……そこに」 テーブルの上。そこには綺麗に包まれた瓶があった。琥珀色のハニー。見るだけでうっとりする色。ユリウスも顔を上げた。 「君があんなに苦労したのに。僕が口にできるはずないよ」 「それは困ります。ほら?せっかくですのでどうぞ食べてください」 「……わかった。今、爺やを呼ぶから。ここで待っていて」 王子は部屋を出て行った。しばらくすると、ドアがいきなり開いた。 「レイア!俺が試食してやるぜ」 「ルカさん?王子は?」 「んなもん。どうでもいいだろう?さあ。爺!俺たちにお茶を淹れるんだろう?早くしろ」 「はいはい」 老執事は嫌そうな顔でルカの指示を聞いていた。彼はテーブルに紅茶セットを置いた。ルカは大きな椅子に座りふんぞり返っていた。 「おい。何度言えばわかるのだ。『はい』は一回だろう」 「はい」 「何だその『はい』は?俺に対する敬意が見られんぞ」 「……」 無視した爺。ルカは真っ赤になって怒った。 「爺!レディの前だぞ。失礼だ」 すると爺はおもむろに部屋を見渡した。 「おやおやルカ様。どこにレディがいるのですか?爺の目には見えませぬ」 「お前……レイアを愚弄しているな」 ギリギリ怒るルカ。しかしレイアは静かに二人を向いた。 「いいのです。私は森娘で庭師。ここにいてはおかしいですもの」 「レイア……」 先ほど。ガルマからルカに会うなと言われたばかり。レイアは頭を下げた。 「失礼しました」 切ない目で見つめるルカ。レイアはそれ以上、何も言わず部屋をでた。 ……これでいいよの?さあ。仕事に戻ろう。 庭師の自分。立ち位置、相手の立場。レイアは静かに仕事に戻って行った。 「爺や。どうしてなの」 「ユリウス王子。あの娘は下人です。王子が口を聞くような身分の娘ではありませぬ」 「爺!あいつはな?ユリウスを庇って、蜂に刺されたんだぞ?それを追い返すとは。お前は非道だ」 「ルカ殿下……それはあの娘の仕事。私の仕事は王子を守る事です。貴方様も王子を思うなら。謹んで下さいませ」 すると彼は立ち上がった。 「爺や。僕はね。彼女にお礼を言いたかっただけなんだよ。一口だけ。あの蜂蜜を食べて欲しかったんだけなんだ」 「ユリウス王子」 「僕の立場って。そんなこともできないんだね……よく、わかったよ」 「決してそこまででは?王子、王子!」 しばらく。彼は背を向けたまま口を開かなかった。爺は必死に謝った。 「ユリウス様?どうか、お許しを」 振り向いた彼。その顔は悲しそうだった。 「爺……だめだ。ユリウスは奥に入っちまった。しばらく、出てこない」 「そんな」 悔しそうな顔の彼は髪をかき上げた。 ……ユリウス。お前はこの国の王子なんだぞ。 沈む夕日。窓辺に立つルカ。ユリウスの純粋な心に、胸を締め付けられていた。 第八「甘い痛み」完
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