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九 王子の視察
「それでは朝の打ち合わせをする。まずは王子の視察についてじゃ」
庭長のニッセ。庭師を集めて説明をした。レイアはじっと話を聞いていた。
「先日。物品庫にて火事があった。これを重んじた王子は、各部署を一斉点検されておる。調理室では調味料の瓶に大量のワインが入っておった。これは没収。コックは減給になっておる」
朝の庭。草の上。座って聞いていた庭師たちはそわそわし始めていた。しかし、最近入ったレイアだけはどこか他人事。自分の仕事のことを気にしていた。
「そしてだな。わが庭師の部署も視察に来る。順番から言って近日じゃ。皆の者。今のうちに誤解されぬように備品の手入れ、清掃を徹底するのじゃ」
ニッセの本気。違反品に心当たりのある庭師たちは重く返事をし、持ち場へと帰っていった。そんな中、レイアはさてと立ちがり、自分の担当の庭に向かおうとしていた。
「おい、待てレイアよ」
「庭長、どうしたんですか」
「ちょっと。ちょっと来い」
真剣な顔。彼女は言われるまま庭の休憩室にやってきた。ここはニッセと初めてあった部屋である。彼は静かに彼女を椅子に座らせた。
「どうしたんですか?」
「実はな。レイア。わしはお前に黙っておったことがある」
「え」
悪い予感。レイアは老人を見つめた。
「お前を雇ったのは大臣にはまだ報告していないんじゃ」
……終わった。
庭師の試験。これに落ちたレイアはニッセの弟子としてここにいる。しかし彼は、まだ王宮に正式に許可を得ていないと椅子にもたれた。
「すまん。お前が祈草を育ててから報告しようとしてたんじゃ」
「そうですか……すいません。無理させてしまっていて」
ニッセの作戦も本当なら問題ないはず。しかし今回は特別の視察。レイアがここにいてはまずい状況。小屋のテーブルを前に、二人は頭を抱えた。
「庭長。私の事はガルマ隊長は知っているんですね」
「ああ。彼は祈草を欲しておるからの。ギュッと目をつぶってくれていたんじゃ。しかし、大臣は知らぬ」
困ったニッセ。レイアはそれしかないと前を向いた。
「では。視察の時、私、隠れていますよ」
「そうしてくれるか」
うんとレイアは微笑んだ。
「私。なんとか祈草を収穫できるまで隠れ続けます!そうしたら問題ないですよね」
「すまんの。レイア。それまでは耐えておくれ」
こうしてレイアは視察に向けてひっそりしていることになった。今回の話。レイアが目立つのが嫌だったリラも協力してくれることになった。そして。視察の日になった。
王宮の庭。普段はひっそりしている離れ。この場所に大勢の家来を引き連れた王子の一行がやってきた。
「ニッセ。案内を頼む」
「はい。ガルマ隊長。王子、ご機嫌いかがですか」
首をたれたニッセ。頭を上げると憮然とした王子がいた。
「元気なわけねえだろうが?」
「王子?」
驚くニッセ。これをガルマが間に入った。大汗をかきながら笑顔を讃えていた。
「はっはは。王子が機嫌が悪くて申し訳ない。早速、庭を案内してくれ」
「は、はい」
王家の庭。そこにはそれぞれ担当の庭師がいる。王子は白馬の乗り、広い庭を巡っていた。
「爺さん、ここは?」
「ここは百合の園です。担当者はあれで」
ニッセが紹介していたが、王子は無視してニッセに尋ねた。
「……祈草はどこだ。俺が見たいのはそこだ」
「祈草?まだ生えていませんが」
「では。その場所を案内いたせ!そら」
見たいという王子。馬で駆け足の王子。ニッセは短足で必死に走ってレイアが耕している庭に案内した。
「ここです。はあ、はあ」
「ご苦労。これが、祈草か」
白馬から降りた王子。まだ双葉の薬草の若葉を愛しそうに見つめた。
「よく出来ている。して。この係はどこに」
「はい。私です!」
元気よく返事をする娘。王子は彼女の名を尋ねた。
「リラと申します」
「リラ……お前がこの庭を耕したのか」
「はい」
彼は目を細めた。
「では聞くが。これはいつ収穫になるんだ。それに、どんな花が咲くか知りたい」
「収穫時期は、そうですね。秋だと思います。それに、花は……たぶん、白い小花で」
「お前は自分で育てていて。花を見たことがないのか」
王子は冷たい目でリラを見下ろした。リラ、いつもと違う王子に一歩引いた。王子は冷酷に続けた。
「ガルマ。庭長を呼べ。俺はこの庭の本当の担当者と話がしたい」
「……かしこまりました」
王子の威圧感に押された現場。リラは慌てて彼女を探しにいった。
「レイア!どこにいるの?レイア」
「リラ先輩。どうしたんですか」
「あんた?ここで何をしているのよ」
庭の隅の小屋。彼女はここで何やら料理をしていた様子。リラはその匂いを嗅いだ。
「呑気に料理をしてたの?」
「呑気ではないですが。視察が終わった後、皆さんに振る舞おうかな、と」
得意のサフランパンケーキ。レイアはブーセンと一緒に作っていた。空気をまるで読んでないレイア。青ざめたリラはとにかく一緒に来いと袖を引いた。
「あんたが来ないと。私たちがまずいのよ」
「私が行った方がまずいと思うんですけど」
興奮するリラ。しかしその背後のドアからノック音がした。リラは恐る恐る扉を開けた。
「ええ??こんなむさ苦しいところに?」
「うるさい!?そこにいるんだろう」
入ってきた王子。背後にはガルマがいた。ガルマのその目は何かを訴えるように狼狽えていた。
王子は怯えるリラに静かに伝えた。
「ここは良い。俺はそこにいる女に尋ねたいことがある。外で待て」
「は、はい」
小屋の外にリラは出てしまった。部屋には王子とガルマとレイア。そしてブーセンだけになった。静かになった部屋。レイア、不思議そうに彼を見つめた。
「ルカさん?どうして王子の格好をしているんですか」
パンケーキ作りの途中。エプロン姿の彼女。木のスプーンを持ち自分をまっすぐ見つめるレイア。彼は思わず抱きしめた。
「お前」
「え」
「……くそ」
……会いたかったのは俺だけかよ?!
驚くレイア。両手が塞がっているお手上げ状態。しがみつくルカをよそにガルマに尋ねた。
「ガ、ガルマ隊長。これはどういうことですか?」
「……全てを見抜くレイア:カサブランカよ」
ガルマは苦しそうに話した。
「そこにいるのは王子であるが、王子ではない。王子の中の、ルカ殿下なのだ」
「ん?わかんないです?ねえ、ルカさん。どういう意味なんですか」
素直な瞳。ルカは彼女を胸に抱き唸った。
「レイア……俺はさ。ユリウスの中にいるんだ。この体はユリウスなんだ」
「はい?」
ルカは大きな両手でレイアの顔を包んだ。
「この手も、お前を見ているこの目も。本当はユリウスなんだ。でも、今、お前の前にいる心は、俺なんだ」
「……王子の体の中に、王子とルカさんがいるってことですか」
「ああ……」
……辛そうな目。
ルカとの時間が長いレイア。どちらかというと王子の顔を方をよく見たことがなかった。
……不思議な話。でも、本気みたいだわ。
「ん?レイア。焦げ臭くないか」
「あ。パンケーキが!?」
この声にルカは体を解いた。レイアは慌ててかまどに向かった。
「うう。これは焦げちゃったわ。まあ。まだ焼けばいいし」
「おい。それは俺の分もあるだろうな」
「ないですよ」
「焼けばあるだろうが?っていうか。全部よこせ」
口は悪いがレイアに甘えるルカの様子。ガルマは頭を下げた。
「ルカ殿下。私は小屋の外におります」
「……ああ」
なぜか二人きりになった小屋。ルカはシャツのボタンを外し椅子にふんぞり返った。
「はあ、疲れた」
「一体どういうことなんですか」
レイアは彼にお茶を出した。彼はそれを飲んだ。
「……色々あってな。お前に頼みたいんだよ」
ルカは長い足を組み、整えた髪をぐしゃぐしゃにした。やっとルカの風貌になった。
「俺の中のユリウスをさ。呼んで欲しいんだよ」
◇◇◇
ルカは自分はユリウスの高熱をきっかけに、こうして出るようになったと打ち明けた。
「俺もさ。今までどうしていたのかは覚えてねえけど。この一年はユリウスと一緒にいるんだ。あいつが思っていること。あいつが眠っている時のこと、俺は知っているんだ」
「王子はどうなんですか」
「最近までは俺のことを、知らなかったんだ。でも最近は俺たちは会話していたんだ」
思い詰めた様子。レイアはルカのそばに座った。
「しかし。あいつは胸の奥に入っちまって。全然応答がないんだ。こんな事は初めてで」
「呼びかけるとか、何かきっかけはないんですか」
……ユリウスの心配をしているのか。くそ。
なぜか悔しいルカ。レイアに冷たく話した。
「ない。全然ない。だからお前に呼んでもらおうと、こうして来たんだ」
「私ですか?私は庭師ですけど」
「でも。ユリウスの友人だろう」
「友人」
……確かにそんな命令をされたような気がする。
仕事人間、真面目なレイア。ルカを見つめた。
「友人とはあまりにも立場が違いますが。ルカさんも王子に出ててきて欲しいんですか」
「まあな」
……私を利用しているだけなのね。ビックリした。
熱い温もりのルカ。これにドキドキしていたレイア。ルカの悪ふざけと胸を押さえた。
……本気にしちゃいけないわ。できることをしないと。
「でも。王子を呼ぶって。どうすれば」
「俺もわかんねえよ。とにかくレイアに」
この時、ルカのお腹がぐううとなった。
「……パンケーキ。食べますか」
「ふん!」
ひねくれルカはそれでもテーブルについた。レイアは葉っぱのお皿に木のナイフを支度した。
「手を拭きましょう。はい、手を出して」
「ほら。出してやるから、勝手に拭け」
……大きな手。でも子供みたい。
日ごろ、弟の世話をしているレイア。わがままルカを可愛いと感じた。ハーブのお湯で浸したタオル。これで彼の手を拭いてやった。
「いい匂いだな」
「それはミントですね。さあ、食べてください」
「おう」
丁寧にいただきます、と挨拶したルカ。静かに口にパンケーキを運んだ。
「どうですか?」
「……」
「何か言って欲しいんですけど」
「愛しているよ」
「冗談はいいんです。感想を聞かせて」
ルカはじっとレイアを見つめた。
「お前さ。これ、魔法かなんか使ったろ」
「いいえ。私は魔法は使えないですもの」
……なんでこんなに美味いんだ?
あまりの美味しさにルカは驚いていた。彼はユリウスの一部。美食で暮らしていた。そんな彼はレイアの素朴なパンケーキに震えていた。
「ル、ルカさん?ど、どうしたの?」
「……う、うう」
様子がおかしいルカ。レイアは目を見開いた。
「気分が悪いんですか?私、人を呼んできます。誰かお助け」
ここで彼はレイアの腕をむんずと掴んだ。
「それ止めて」
「でもルカさん。顔が悪いわ」
「ふふふ。レイア。それを言うなら顔色でしょう?ふふふ」
朗らかに笑う彼。明らかにルカではなかった。
「え?あの……王子ですか」
「うん!やっぱりこのサフランパンケーキって。レイアだったんだね」
ユリウスは嬉しそうにむしゃむしゃ食べ出した。レイアは様子を見ていた。
「あの……本当に王子ですか?さっき、ルカさんが、王子がいないって心配していて」
「ああ。そのこと?まあ、レイアは心配しないで。これからは僕はしっかりするから」
「そうですか」
……これでよかったのかな?まあ、王子が良いって言ってるもんね。
ここでレイアは王子にお茶を淹れ始めた。狭い部屋。背を向けてお湯を沸かしていた。
「レイア。俺は熱いお茶だし」
「え。ルカさんなの?」
振り向くと。王子が椅子に座っていた。
「今のは気にしないで。僕は猫舌で、熱いのはダメなんだよ」
「はい」
そしてお茶を淹れたレイア。テーブルに運んできた。
「王子。どうぞ」
「……レイア。あのよ」
「ルカさんですか」
性格の入れ替わり。レイアは早変わりにドキドキした。
「ああ。俺だ。あのさ、ユリウスはパンケーキが食いたくで出てきたんだ。だけど、俺は食ってねえし。今は俺が奴を抑えているから。もっとパンケーキを持ってこい」
「は、はい」
どこか苦しそうなルカ。レイアは必死に彼の皿にパンケーキを乗せた。
「どうぞ。ルカさん。早く食べて」
「ああ」
一生懸命食べたルカ。やがて満足そうに椅子にもたれた。レイアは皿を片付けようと彼に近寄った。すると彼はレイアの肩に手を回した。
「ルカさん?」
「レイア。またな……ふふ。ユリウスが怒ってるし。ふふふ」
そう言ってルカは微笑んだ。そして目を瞑った。開いた時、目の輝きが違っていた。
「もしかして。王子?」
「くそ……僕もパンケーキ食べたかった。でも、お腹がいっぱいだよ?ははは」
レイアを見て笑う王子。楽しそうだった。そして部屋に入って来たガルマは、久しぶりの王子の姿に涙を流した。
……そうか。ルカさんは、王子の中にいるんだわ。
喜ぶガルマを他所に。レイアはどこか寂しく思っていた。
「王子の視察」完
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