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六 シュレースヴィッヒ家
「ニッセ庭長」
「な、レイア。何じゃ突然」
「すいません。これどうぞ」
ある朝。事務室にいたレイア。リラがいない時間。庭で見つけた木苺をニッセに渡した。
「たくさんあったんですが、形の綺麗なものは王宮に届けて。それはその残りです」
形が歪なもの。虫がかじった跡のもの。レイアはニッセに渡した。
「ほお。うん、うまい!残り物でも上等じゃ」
「よかったです」
美味しいと食べるニッセ。レイアはここで質問をした。
「あの庭長。私、不勉強なので教えて欲しいんですけど。このお城の王様って、どなたなんですか」
「う?胸が詰まった?お前?……そんなことも知らずによくここにおったな」
あまりの知識不足。しかし、彼女の下手は自分のせいになるかもしれない。ニッセは気を取り直して説明した。
今の王はシン王と言い、ユリウス王子は長男だと説明をした。
二人きりの小屋。レイアはお茶を飲みながら聞いていた。
「王様ってどこにいるんですか」
「今は国境の西城じゃ。定期的に国中の城を回っておる」
……では、今はユリウス王子がここを守っているのね。
「王子が一人で留守番ですか」
「王妃。そして王子の妹君のアン姫がいる。それは元気な姫じゃ」
「では。次の王様はユリウス様なんですね」
「ああ。男子であるし、アン様はまだ十歳で若いしの」
「そうですか」
ここでレイアは思い切って聞いてみた。
「あの。ルカ様っていませんか、若い男で王族らしいんですけど」
「若い男でルカ?はて、そんなのはおらんぞ」
……いないって。そんなはずないのに。
しかし。ニッセは立ち上がり自分でお茶を淹れ出した。
「昔は確かに王族がたくさんいたんだ。特に今のシン王は妹弟が多くてな。それを亡き王はどんどん近隣の王族と結婚させた。婚姻による平和条約じゃ。おかげでこうして戦争は無くなった」
……私のお父さんも、それでお婿に行ったのね。
レイアの父。その名と王族ということしか聞いていない。彼女はその話が聞けそうでドキドキの胸を押さえた。
「それで。今は王族は少ないのですか」
「ああ。ちなみに今のシン王の妃様は、隣国の王女だ。敵対する国であったが、シン王の結婚の前に、弟のアレックス様がお婿に行ってな」
……アレックス。お父さんだわ。
いきなり出てきた父の名前。レイアはドキとした。
「アレックス様は隣国の長女と結婚されたんだ。そして今、我が国にいるのはその妹君なんじゃ」
「そのアレックス様は、ご健在なんですか」
「いや。落馬にて亡くなっておる。気の毒に子供は残せなかった。向こうは再婚したはずじゃ」
生前、母から聞いた話と同じ。悲しい事実。レイアは母の形見の指輪をそっと撫でた。『アレックスからロゼッタへ』と印字された愛の指輪。レイアの生まれの証。これにそっと目を伏せた。
「詳しいですね」
「ははは。長く勤めておるのでな」
ニッセはレイアにお茶をくれた。
「ところで。お前さんはロゼッタの娘か」
「う!」
ロゼッタはレイアの母の名前。ニッセは笑った。
「やはりな。お前さんに初めて会った時、誰かに似ていると思ったんじゃ。ずっとモヤモヤして気になったおったが、昨夜、歯を磨いていてやっと思い出したんじゃ」
「よく思い出されましたね」
「ああ。大したもんだと久しぶりに妻にほめられたよ?ははは」
平和な会話。レイアはお茶を飲んだ。
「すいません。母を知っている人がいるとは思いませんでした」
「そうだな……彼女が来たのはちょうど。お前さんくらいの歳だったかな」
ニッセは遠くを見た。
「わしも若かった。身も細く、背もこれくらい高くてな……」
目撃者のいない武勇伝。この妄想。レイアは付き合ってあげた。
「わしはしばらく独身だったのでな。歩けば恋文を渡されたものだ。相手に悪いので、街を歩くのを控えたくらいだよ」
「今でも素敵ですよ」
「まあな。隠せないものだよ」
ニッセは短い足を組み直した。
「だがな。ロゼッタはそんな私に。見向きもしてくれんかった」
「きっと恐れ多くて、遠慮したんだと思います」
「そうかもな、して?お前さんは親無しだったな、彼女は亡くなったのか」
しんみりした部屋。レイアはうなづいた。
「事故で。でも今は弟がいます」
「ああ。士官学校のか。弟さんを大切にせねばな」
「はい」
沈んだ顔のレイア。ニッセはさあと立ち上がった。
「お前さんには早く祈草を育ててもらわんとな」
それが本業。レイアもうなづいた。
「はい。今は土の入れ替えを進めています。植えるのはもう少しですね」
「……王子はまだ改善せぬ。我々が薬草でお支えするのだ」
「はい」
祈草は使われていない。ルカの言葉が響く胸。しかし、どうすることもできないレイア。ただ庭を整備していた。
◇◇◇
夜。王子の寝室。
「さて。やってみるよ」
「はい、ユリウス王子」
ガルマは真顔でベッドの横に座った。
「ご安心くだされ。我が優しく起こしてみせますぞ」
「ねえ、どうする気?やっぱり怖くて眠れない」
寝ている時の夢を知りたいユリウス。これを知るために教わったレイアの方法を二人は試そうとしていた。
「問題ございません!どうぞ、さささ。枕を下に」
「ああ」
ベッドに入ったユリウス。ガルマは布団を彼に掛けた。
「さささ。肩を冷やすとなりません」
目を瞑るユリウスの首元。ガルマは力一杯、布団を掛けた。
「ぐえ?苦しい」
「失礼!つい、力が入りました」
「もう、ガルマがいると眠れないよ」
それでも笑う王子。暗くした部屋でガルマに訊ねた。
「ねえ。教えて欲しいんだ。僕がルカの時って、どんな感じなの」
「そうですね……非常に雄々しく、大胆不敵、質実剛健、快刀乱麻で、豪胆な男」
「僕と真逆だね」
「そ、そんなことございません?」
王子は悲しくつぶやいた。
「いいんだよ。僕は弱虫さ。剣も苦手で、父上にいつも叱られるし」
「まだまだこれからです!人生はこれから」
「ガルマはいいよな。呑気でさ」
布団をかぶる王子。ガルマもため息をついた。
「王子。貴方様はご病気で武術をされる時間がありませんでした。しかし、これからは大丈夫です。庭にて祈草を育てておりますゆえ」
「そんなの効かないよ」
「効くと思えば効くもの。私を見てください。昨日、犬に噛まれましたが、ほら?もう元気です」
「まだ血が滲んでいるじゃないか?治ってないよ、それ?ふふふ、ははは」
優しいガルマの話。これを聴きながら王子は眠った。
そして真夜中に起こされた。
「は!はあ、はあ」
「王子。しっかりなさって!」
「あ、ああ……ここは、どこだ?」
寝着の自分。全身脂汗。苦しい息。目の前に広がるのは夜の庭。そばにはランプを持った汗だくのガルマがいた。
「覚えてますか?」
「待って。そうだ……レイアがいるかと思って、ここに来たんだ」
ルカの気持ちを思い出したユリウス。ポケットに手を入れた。
「これ……そうだ。彼女にあげようとしたんだ、部屋にあった貝殻を」
「そうです。ルカ様はそれを持って庭にきたんです」
「そうだ、そうだよ……彼女に会いたかったんだ」
しかし、誰もいない夜の庭。松明を持つガルマは、彼を部屋へと一緒に帰り始めた。夜風吹く庭の小道。そこにいるのは夜の花だけだった。
「ガルマ。僕はこうやって夜になるとルカになっているの?」
「毎晩ではありません。まずは、部屋に帰りましょう」
ひそひそと話すガルマ。王子の建物に戻ってきた。入り口の衛兵は静かに敬礼した。この様子。この兵も全ての事情を知っている様子だった。夜の廊下。誰もいない時間、ガルマは説明しながら寝室へ進んだ。
「ルカ様はこうやって夜の庭を歩かれます。そして戻ると部屋で眠るんです。朝になるとユリウス様になっています」
「じゃ、今はどうしたの」
「貴方様は今までルカ様でした。が、我が渾身の力で後ろから驚かしてみました。するとビックリされて、貴方様に戻ったのでしょうね」
「僕って。寝ている時に、ルカになるんだね」
部屋に戻ると爺が待っていてくれた。桶にはお湯。タオルにて土で汚れた手足と優しく拭いてくれた。手慣れた様子。こうなることを知っている動き。ユリウスは爺に尋ねた。
「もしかして。毎晩こうしているの」
「はい……ルカ様は自分で洗いませんので」
「ごめんよ」
「悪いのはルカ様で。王子ではございませぬ」
ルカが嫌いな爺。ユリウスにお茶をくれた。
「心配なさらずに。このまま眠られよ。今宵はもう、ルカ様にはなりません」
「そうなの」
「はい。今まではそうですので、おやすみなさい……」
爺とガルマに見守られたユリウス。すやすやと眠りについた。
翌朝。朝食後、雨の日。ユリウスはガルマと爺。そして王宮医師を部屋に呼び真実を聞いた。
「最初はですな。ユリウス様が熱を出された日でした」
人払いの部屋。爺はポツポツと話し出した。
「夜中。歩き出したのです。話しかけるとその口調はいつもと違うまるで別人。そしてルカ様と名乗られました」
「僕が寝ている時だったんだね」
「そのようです。私どもは熱が下がれば、そんなことはないと思っておりました」
ガルマも苦しそうにうなづいた。
「しかし。あの方はそれ以降も現れたのです。しかも最近では夕刻。おそらくユリウス様がお昼寝やうたた寝をしている時など、おいでになるのです」
「そんなにか?それは知らなかった」
ショックのユリウス。ガルマは続けた。
「ルカ様になると。お体が疲れるのようで。王子は熟睡されます。すると又、ルカ様になりやすいのです」
「なるほど。僕じゃなくてルカの時間が長くなっているんだね」
王子の言葉。爺とガルマは気を鎮めようとお茶をのんだ。
「お前達。そんなに気にしないで。僕は真実を知りたいんだ。そして?王宮医師の見立ては?」
「はい。どうぞ御心を持ってお聞きください」
医師は図面を書いて説明した。
「高熱がきっかけですか。王子の中の心。優しい心とそうでない心。それが分離したのだと思っています」
「優しい心とそうでない心。悪魔的なものってこと?」
「言葉ではそうですが、決して悪い意味ではありません」
幼き頃から王子を知る医師。はっきり伝えた。
「日頃、自制している部分と言いましょうか。誰でもある気持ちです、例えば、仕事を休みたい。嫌なことをはっきりNOと言いたい。というものでしょうか」
「自制している心」
ここで爺は王子に向かった。
「私もそう思います。あのルカ様は、それは自由でございます。嫌なことは嫌とはっきりおっしゃいますし。やってはいけないこともやってしまうような危うい方です」
「僕ができないことを、平気でやっているんだね」
「ええ。困るくらいです」
真面目な爺を困らせるルカ。ユリウスはどこか羨ましくなっていた。
「そうか。いいな、そんな自由で」
「王子……」
ユリウスを愛するガルマ。落ち込むユリウスを見ていられなかった。
「王子とて自由です。あのルカ様は一時的なもの。そうであるな?医師よ」
「はい……しかし、ルカ様の時間が長くなってくるのは危険です」
「僕はルカになってしまうんだね。そうか……」
真実を知ったユリウス。一人にしてくれと部屋に残った。
……僕は昔から、期待されて育ったけれど。
ひ弱で戦いを好まず。優しい性格。剣よりも花が好き。男は強く、という力強い父親の精神論で育ったが、自分には無理だと思っていた。
……でもルカは、そんな弱さを吹き飛ばしているんだろうな。
自分なのに、自分じゃない。そんなルカが羨ましかった。窓の外は大雨。城の庭は水になっていた。
……国民も、僕なんかじゃなく、ルカの方がいいんじゃないのかな。
思わず涙が出てきたユリウス。孤独な彼は悲しみに暮れていた。
◇◇◇
「あーあ、雨か。レイア。降る前に農具を片付けたでしょうね」
「はい」
リラの言葉。本当はそれを忘れていたレイア。しかし、明日は晴れると思っていた。そのままでも乾くだろうとこれをやり過ごした。
「ねえ、レイア。肥料ってどうなっているの」
「雨の前にやりました」
「そう」
本当は忘れていたレイア。しかし、明日の朝にやってもバレないと思っていた。
「あのね。レイア。裏庭の薔薇ってどうだった」
「雨で花が散ると思ったので。蕾を残して切りました」
「まあいいか」
……全部先輩の仕事のはずだけど。
なぜか全部レイアの担当。一体リラは何をしているのだろうと思ってしまうレイア。しかし、雨の日。庭仕事ができない庭師。管理室にて資料を作っていた。
「レイア。祈草はどうだい」
「そうですね。雨上がりに植えたいと思います」
「何よ?まだ植えてなかったの?遅いじゃないのよ」
種も貴重な祈草。ダメ元では育てられない。ここは何を言われても準備万全で植えるつもりのレイア。リラにはすいませんと謝っておいた。
そんなリラ。他の部署に資料を届けるといい、部屋を出て行った。
「すまんな。レイア。リラ君なりにやっておるのだよ」
「いいんです。一切、気にしてないですから」
ここにブーセンが現れた。
「ねえ、レイア。僕、つまんない」
「そうね。雨だものね」
「遊んで!ねえ、ほら」
「ほほほ。レイア、遊んでやりなさい。仕事はいいのでな」
「……すいません」
我がまま妖精。しかしニッセにも可愛い妖精。許しを得たレイア。流石に遊べない身の上。この部屋のキッチンを使い薬草を使った料理を始めた。
「ブーセンも一緒に作ろうね」
「うん。僕、いい子。なんでもするよ」
こうして一緒に作ったのはサフランパンケーキ。ゴットランド王国の名物であった。
「できた!美味しそう!」
「お手伝いをしてくれたおかげよ。ブーセンはなんでもできるのね」
「うん!僕、なんでもできる!」
褒められて嬉しいブーセン。ウキウキと部屋を跳ねていた。これにニッセは目を細めた。
「レイア。実にいい匂いじゃな」
「庭師の皆さんの分。庭長とこれはリラさんの分です」
焼いた大きなケーキ。切り分けたレイア。その上にゴットランド羊の生クリームを乗せた。そして残りをブーセンにあげると言った。
「いいの?」
「ええ。城中のブーセンにあげてちょうだい」
「本当?こんなにたくさん」
彼らにとっては大きなケーキ。レイアはうんとうなづいた。
「レイアは食べないの?」
「味見をしたから、それでいいの。いいからお食べなさい」
普段、質素な暮らしのレイア。王宮のものを使ったこの食べ物は王宮のものという認識だった。よってこれを食べようという発想がなかった。
喜んだブーセン。魔法で城中に配った。
「あらら?でもまだ残っているわね」
「僕らはもう要らないよ。どうする?」
その辺を歩いている兵士にあげることも可能である。しかし、一人分。分け方が問題であった。
食べ物を粗末にできないレイア。ブーセンに頼んだ。
「よくお聞き。この城でね。『一番、心が傷付いて、落ちこんでいる人』に、これを渡せないかしら」
ブーセンはじっとレイアを見た。
「確かにいるよ、一人だけ。その人にあげればいいの?」
「うん。ちょっと待って?メッセージを考えるわ」
レイアは思いを巡らせた。
「いいこと?『これは愛しか入っていないサフランパンケーキです。どうぞ、元気を出して』って伝えてね」
「わかった!」
ブーセンは魔法で消えた。そしてしばらくして戻ってきた。
「これ、お礼だって」
「貝殻なの?綺麗ね」
ピンクの貝殻。レイアは頬に当てた。
「誰にもらったの?」
「知らない。でもケーキは食べてたよ」
「そう、ならいいや」
食器を洗うレイア。ブーセンは教えてくれた。
「あのね。その人、泣いていたの」
「まあ。可哀想に」
「でもね。レイアのケーキをあげたら、元気になったよ」
「よかったわ。あ。見て、晴れたわ」
城の窓の外。青空が見えていた。
……そうよ。クヨクヨしていられないわ。
初夏のゴットランド王国。遠くは海が見える城には眩しい夏が近づいていた。
第六話「シュレースビュィヒ家」完
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