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高校生時代(亜里沙と杏子と友明)(2)
青い空に一筋の飛行機雲が描かれていた。
杏子が横にいたアリサを見ると、彼女はその空に真っ直ぐ手を翳していた。わずかに広げた指の間からこぼれる空の青を自分とつなげているかのように。
「アリサ」
「ん?」
声をかけると、アリサは返事をしてから一呼吸置いて、杏子を見た。本当はもっとずっと空を見上げていたいというふうだった。
「お弁当、食べ終わったんだ」
杏子の膝の上にある、ナプキンで包まれたお弁当箱を見て言う。
アリサはとっくに食べ終えていた。彼女はアレルギー体質で、食べられないものが多いため、いつもおばあちゃんが作ってくれた質素で小さいお弁当を持ってきていた。
少食のためか、アリサはとても細くて、その上色白で、繊細な雰囲気を持っていた。
二人以外誰もいない昼休みの屋上で、穏やかな風にアリサの髪の毛がふわふわと揺れていた。
天気のいい日には、いつも屋上で二人きりでお弁当を食べた。ハンカチを敷いて、その上に腰を下ろして。
こんなに気持ちのいい場所なのに、ここに来ている生徒が他にいないのが不思議だった。
「この前、授業が始まる前に言いかけたじゃない? 心境の変化があったって。あれって、なに?」
杏子が問うと、アリサはふと目を伏せた。
「杏子は高校卒業したら、どうするの?」
「なによ、急に」
「なにか将来の夢があるのかなって思って」
質問をしたのは杏子のはずなのに、何故か杏子が答える側になっていた。
「夢、かあ。特にないなあ。わたしにはアリサみたいな才能もないし」
「わたしの才能って?」
「アリサは絵が得意じゃない。これからもずっと描いていくんでしょ?」
アリサは小さく息をついた。
「うん、好きだから」
「だよね、もったいないよ、やめちゃったら」
沈黙したアリサに、杏子はもう一度聞いた。
「で、心境の変化って?」
アリサはまた空を見上げた。
「好きなことを活かした仕事に就こうかなって」
一気に言う。それから杏子の顔を見て、言葉を続ける。
「今まではね、そんなこと考えてなかったの。自分にどんな才能があるとか、興味がなかったし。だから、早めに結婚して、家庭に入ろうかなって、それがわたしには向いてるって思ってた。でもね、やっぱりもうちょっと考えてみようかなって。自分にしかできないこと、あるかもって」
杏子は、うんうんと頷いた。
「あるよ、アリサにしかできないこと。だってアリサ、才能あると思うもの」
「そうかな」
「そうだよ、それに、家庭に入るなんて、アリサが思ってるほど、アリサには向いてないと思う」
「そう?」
アリサは鼻で軽く笑ったけれど、それは自嘲的な笑いに感じられた。
「友明にも、そう言われた」
「え?」
「“普通のお嫁さんってタイプじゃない”」
「なんか……」
杏子は急に腹立たしくなった。
「デリカシーがないよね、あの人」
アリサの彼氏である立場で、そういうことを言える神経が信じられなかったのだ。杏子も同じことをアリサに言ったけれど。
「わたしが言うのと、あの人が言うのは違うよ。あの人はアリサとつきあっているんだから、そんなこと言うべきじゃない」
訳のわからない怒りがこみ上げて、杏子は熱弁をふるった。
とにかく杏子は繊細さのない、アリサとは不釣合いな柏木友明に対して、一度も好感をもったことがなかった。彼のやることなすことが気に障り、なんでアリサはあんな人とつきあっているのだろうと、いつも思っていた。
アリサは杏子の横でクスクスと笑い出した。怒っていた杏子は拍子抜けしたが、さっきの自嘲的な笑いとは違い、アリサが楽しそう笑っているので、杏子は自分の中の怒りがやわらいでいくのを感じた。
その瞬間、アリサが描く将来に、自分も存在していたいという湧き上がるような想いに、体中が満たされた。
そしてその数日後の休み時間、アリサは杏子のそばに来て言ったのだ。
「わたし、決めた。絵を描き続けて、将来は自分の個展を開けるようになりたい。絵本も作ってみたい。それと、例えばわたしの絵をモチーフにしたグッズ販売なんか出来ればいいなって思う」
「素敵ね」
杏子は心の底から言った。
「もしその夢が実現したら、わたしも手伝いたい。アリサはアーティストとして、わたしは、その手伝い、雑用とか事務的なことをやる。そうすれば、アリサは創作に専念できるでしょう?」
「ありがとう」
アリサは瞳を輝かせた。
「夢は実現させてこそ意義があるんだよね。わたし、がんばる」
アリサは嬉しそうに、はにかむように笑った。
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