地獄篇

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「なんという馬鹿なことを……」  緑から事の顛末を聞き終えた六文太は言葉を失ってしまった。それは決して緑の所業を咎めてのことではなく、緑の清廉な慈悲深さに心を打たれた為であった。 「私は自らの行いを後悔なぞしておりません。あの子を見捨てるような人間が、極楽浄土でのうのうと胡座をかいて過ごす事が一体どうして出来るのでしょうか」 「だがしかし、それでは貴女が地獄に……。そのようなことは……」 「何ですか?」 「あってはならぬのだ。貴女はではないか。お主のような人を地獄に堕とすことなぞ、そんな人の道理を外れた所業は見捨ててはおけぬ」  六文太は、この現状を受け止めきれずにいた。なぜならば、極楽浄土とは、善人の為にあるもので、地獄は悪人を懲らしめて、自らの犯した過ちを償わせる為に存在しているのだ。それなのに、この緑という名の清廉な善人が、地獄に行く事なぞ、認めてよい訳がない。  六文太はこの未曾有の事態に、ただ言葉を尽くすことも出来ずに立ち尽くすしかなかった。ところが、 「あはははっ!おっかしい! 貴方は本当に可笑しな事をおっしゃいますのね?」  からんからん、と。まるで神社の鈴緒を振るい、鈴を鳴らすようにして、緑は着物の袖を口許に当てながら、狂喜的に笑い始めた。 「何を笑っておるのだ。何も可笑しいことなぞ……」 「だって、これが嗤わずにいられますか。 この世には善人もいなければ、悪人もおりませんのに。それなのに貴方ったら、おっかしいわぁ」  けらけら、からから。清らかな神の鈴を鳴らすようにして緑は嗤い続けた。その姿を見た六文太はこの女子が狂っているようにも映ったが、清廉な巫女のようにも映ってしまった。 「本当におっかしいたら、ありゃしない! あはははっ! あはははははっ!」  からからから。風車が相も変わらず廻り続ける。緑も笑い続ける。  狂っているのは、緑なのか。  それとも、。  六文太には分からなくなっていった。  ただ、嘲笑い続ける緑の美しい声と、彼女の頬をつたう涙の雫が、三途の川の瀬の小石の群れへと、点々と痕をつけていくその光景を、六文太は眺め続けるしかなかった。
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