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程無くして、六文太と緑の元へと黒い高瀬舟を漕いで、一人の船頭が現れた。三途の川の瀬に高瀬舟を着けたその男は、櫂を川の砂利に突き刺すと、六文太に向かって片方の手を挙げた。
「源六か」
「六文太じゃねぇか。こんなところで何してやがる」
六文太に話しかけてきたその男は、源六という名の、地獄へと悪人を送り届ける船渡しを生業にしている船頭であった。
「仕事を怠けて女を口説いているんじゃねぇだろうな。 それで、隣にいるその女は、どっちだ?」
「何の話だ?」
「なにをとぼけてやがるんだ。その女が善人か悪人かと訊いておるのだ。六文を持ってねぇ悪人なら、俺が地獄に放りこまなきゃならんからな」
源六と六文太は旧知の仲であった。互いに三途の川の船頭としての仕事に生き甲斐をもち、励み合ってきた者同士であった。
ところが、六文太は今日ほど源六と顔を合わせた事を怨めしく思った事はなかった。地獄への船渡しをしている源六に、六文を持たぬ身である緑を引き渡さなければならない。六文太にはその所業が、人の道理から外れているようにしか思えてならなかった。
「六文は持っておりません。私は地獄に参ります」
「そうか、そうか。それならとっとと乗りな。己の罪深さを地獄で、たぁっぷりと償うがいいさ」
源六は悪辣とした笑いを浮かべながら、緑に手招きをして、黒い高瀬舟に乗るように促してくる。
「待っておくれ! 緑さん、貴女は地獄に逝くべき人では」
高瀬舟に乗り込もうとする緑のか細い掌を掴んだ六文太は、直ぐに彼女の異変に気がついた。
掴んだその掌は小刻みに震えており、もう片方の着物の袖で隠している口許からは、カチカチと歯が打ち付けられる音が聞こえた。
隠された頬から上の表情は蒼白になっており、その瞳には怯えと畏れが満ち溢れていた。
「私、恐ろしくなんてありません。はやく手をお離しになってください。私は地獄に参ります!」
緑は震える手で、掴んだ六文太の手を勇ましく払うと、高瀬舟に乗り込んで腰を下ろしてその蒼白の顔を三途の川の遥か彼方へと向けてしまった。
六文太に背中を向けて、座り込んだその姿はまるで、六文太に自身の心の怯えを悟られるようにしているかのようであった。
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