地獄篇

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「待って頂戴! どうか、後生でございます!」  大声をあげた緑は、櫂を漕ごうとしていた源六の了承を得る前に、高瀬舟から飛び降りて、地に伏した六文太の元へと下駄を鳴らしながら駆け寄った。 「嗚呼、なんてことなの。私のせいだわ」  三途の川の瀬で、砂利にその身を埋めながら白目を剥いてうわ言を呟く六文太の頭を膝元へとのせた緑の表情は憂いに溢れていた。 「酷い有り様だわ。お願いでございます。どうかお気を確かに持って下さいまし。六文太殿」  緑は、蛍火色の川へと膝から下を水浸しにした六文太を引き摺って、なんとか川から引き上げた。そして、腕から肘までの着物の生地を力一杯破くと、生地の切れ端を水に浸してから六文太の額にのせて懸命に介抱した。  からからから、と。川原に突き刺さったいくつもの紅い風車が時の流れに逆らうようにして廻り続けている。  されど決して時は戻らない。もしも仮に時が戻ったとしても、緑の逝き着く先が地獄であることに変わりはない。  六文太を憂う心を持つ緑が、珠子に六文を施した時へと遡り戻ったとしても。緑が珠子を捨て置くことなど有り得ぬ話なのだ。  詰まるところ、緑がいまこの場において、慈悲の心を捨てぬ限り、緑の逝く着く先は地獄において他ならない。  六文を施す者の辿る宿命は、変えがたい。  施しを知れば、地獄に堕ちる。  施しを捨てれば、極楽浄土に迎えられる。  この新たに生まれた道理を前に六文太は打ちのめされてしまった。己の中に生まれた矛盾によって、六文太は心を壊したのだ。 「わしは“悪人”だ。赦されぬ、赦されぬ……赦されぬのだ……」  これまで六文の銭を施された“善人”を高瀬舟で極楽浄土まで渡してきた六文太の人間としての矜持が、緑を地獄に落とす“あの世の道理”を受け入れることが出来なかった。  六文太にしてみれば、善人であるが故に六文を持たざる身である緑を捨て置くことは、善人を極楽浄土へと渡してきた船頭としての自らの在り方を否定することと同義であり、己の信じてきた人としての道理そのものを失うことでもあった。故に六文太は道理から外れた存在へと堕落してしまったのだ。  道理から外れた者を人は“狂人”と呼ぶ。  ──六文太はこの日、狂人になったのだ。  この世の道理を世間の人々はみなそう言うであろう。六文太は狂っている、と。  実に傑作な話である。
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