地獄篇

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「緑さん。頼みがある……。聞いてもらえぬだろうか」  緑の膝に頭をのせてもらい、介抱されていた六文太は、漸く正気を取り戻し我に帰ったのか、彼女へと懇願し始めた。 「どうされたのですか、六文太殿」 「わしの目を抉ってはくれぬだろうか。このおおうつけ者の眼が、もう決して何者も見ずに済むよう抉り出して欲しいのだ。そうすれば、“善人”も“悪人”もわしの眼にはもう二度と映ることはないだろう」  白い霧に包まれた虚ろな空を見上げた六文太は、静かに瞼を閉じた。緑から御沙汰が下されるを待つようにして、彼は息を殺した。 「どうかそんな恐ろしいお考えはお捨てになって頂戴。それに貴方に目を潰されてしまっては、私が困ります」  六文太の右頬に片手を添えていた緑は、もう片方の手で後ろ髪に挿してある(かんざし)を引き抜いた。  鋭い針のような簪の先端を六文太へと向けた緑は、 「この簪を受け取ってください。母の形見なんです……」  六文太の掌にその簪を握らせた。 「嗚呼、そうか。その簪でわしに目を抉れと言うのだな」  覚悟を決めた六文太は瞼を開いて、掌に握った簪で自らの眼をひと思いに突こうとした。ところが、 「やめてください。誤解しないで頂戴。私が貴方にこの簪を差し上げたいのは、そのような無粋な理由ではございません」  握り拳を作らせるようにして六文太の掌を、緑は強く握りしめた。緑は簪で眼を抉ろうとする六文太を思い止まらせようとしていた。 「この簪をに渡して欲しいのです。いずれこの三途の川に、そのお方は現れるでしょう」
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