地獄篇

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三途の川の瀬に一人の男ありけり。 その者は、いつ訪れるやもわからぬ待ち人の為に三味線に見立てた棒きれ片手に唄い続ける狂い人なり。 三途の川を訪れる者はみな耳を澄ませて聴くがよい。観るがよい。六文の銭を施された極楽浄土に赴く者にも、六文の銭を施されたなかった地獄に堕ちる者にも、等しく響く観音の如きその者の唄に耳を澄ませてごらんなさい。その菩薩のような顔を拝んでおやりなさい。 その者を笑いたくば笑うがよい。 紅い風車の奏でる笑い声を掻き消すようにして、待ち人を(いざな)う為に唄い続けるその妄執を、笑えるものなら笑ってみせよ。 待ち人が来るまで十年であろうと、五十年であろうと、三つ子の魂百に至ろうとも紡がれ続けるその者の妄執とその文太(芸術)の響きを魂にしかと刻み込むがよい。六文の銭に翻弄された狂い人の足掻きをしかと受け止めてみせよ。 六文の銭が織り成すこのお伽草子──三途の川の文太(芸術)は何人にも等しく響く。善人であろうとも悪人であろうとも。 そこに例外はない。 【地獄篇 完】
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